たいしたことのないこと / つれづれにぽこあぽこ

RPGの自由度

2003.01.06

 エニックスとスクウェアが合併するそうですね(<話題遅っ!)

 言わずと知れた人気RPG(ロールプレイングゲーム)シリーズ、 ドラゴンクエストとファイナルファンタジーの生みの親の合併という話題を受けて、 RPGについて少し考えてみました。

 ようするに「最近のRPGは自由度が低い!」って話なんですけどね。

 まあ、まともに考えるとゲームの自由度といえば 「ゲーム中でキャラクタがいかに自由に振舞うことが認められているか」 っていうような意味合いであって、 そのように考えると新しいゲームの方が自由度が高いです。

 でも、「RPGの『自由度』ってそうじゃないだろ!」って言いたい。 私は自由度の高いRPGは面白いと思う。 でも、私の考える自由度ってのは 「ゲーム中でプレイヤーがいかに自由に振舞うことが認められているか」 だと思う。

 えっ? 同じだろって?

 いえ、違いますよ。 キャラクタではなくプレイヤー自身が自由に振舞うために必要なのは、 高度なゲームシステムではなくストーリー展開です。 それとプレイヤー自身の想像力。 最近のゲームはこのプレイヤーの想像力が邪魔にしかならないようなものが多くなっていると感じます。

 深沢美潮さんの小説 「フォーチュン・クエスト 世にも幸せな冒険者たち」 のあとがきで以下のような文がありました。

 ドラクエに限らずゲームをしているときは、 頭の中にもうひとつの世界ができてしまうんですよね。
「スライムが出てきちゃったよぉ……ったくさぁ、おれたちレベル30だぜ?  ふつうノコノコ出てくるか?」
「んで、どうする?」
「無益な殺生したってしかたないわ! そんなのはほっといて行きましょうよ。 それよりクッキー。私の体力回復してくれない?」
「ちぇ、自分でやればぁ?」
「やだ。私のマジックポイントはあなたと違って戦いにこそ備えるべきなんですからね」
「もー、ワガママ娘!」
「なによ、ホイミ王子」
 ……なぁーんていう会話がドンドコ浮かんできちゃうんです。

 私にはこの気持ちがよくわかります。 昔は確かにこんな想像をして楽しみました。 でも、 今のゲームではこんな想像をするのことは難しいです。

 プレイヤーキャラクタのパーティの面子はおろか、 プレイヤーキャラクタすらプレイヤーの意思とは無関係にしゃべりだし、 プレイヤーの性格がまったく投影されない自分勝手なキャラクタが画面の中で動いている。 プレイヤーはキャラクタの行きたい所に移動させてあげるだけ。 キャラクタは行きたかった所にたどり着いたら、 また勝手に話を進めていっちゃう。

 こんなゲーム楽しいんですかね?(いや、買っちゃうんですが…)

 どうもプレイヤーの性格をキャラクタに投影するのではなく、 キャラクタの性格をプレイヤーに投影しているような気がしてなりません。 で、キャラクタに操作されているような気がしてきます。 一本道のストーリーを寄り道すら許されずに 淡々とこなしていかなければならないようなゲームなら 映画でも見ている方がましだと思います。

 複雑なゲームシステムも不必要に長いストーリー展開もいらないので、 本来の意味で「役割を演ずる(ロールプレイング)ゲーム」がやりたいな。 と思う今日この頃。

 ちなみに、そういう点で考えるとネットゲームはかなり理想的ですよね。


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