覚める夢を見て覚めない現を知る






「手塚先輩と越前ってあんなに仲が良かったか?」

全国大会も無事に終わり、一旦は部活へ区切りを付けた3年生は「身体が鈍るから」と、前線には出ないが部活へは自由参加していた。
特に手塚や不二などの高等部に入っても即戦力になる人物は、こうして毎日のように姿を現していた。
受験戦争など全く関係無い、一貫した教育システムは、この学校に通う生徒達に生き生きとした生活を送らせているのだ。
手塚は部活へ来る度にリョーマを練習相手に選ぶ。
リョーマほどのプレイヤーでなくては、中学生の中でもハイレベルな手塚の相手は務まらない。
そんな事はわかっている。
でも、違う。
「越前、いくぞ」
「いつでも、いーっスよ」
まるで夢でも見ているみたいに、2人が楽しそうにプレイしている。
激しい練習をして汗を掻けば、手塚がリョーマへタオルを差し出す。
「…大石先輩、手塚先輩って」
桃城は部活に参加していた大石に近付き、小声で話し掛けた。
いつでも厳しい眼差しでコート内を見ていた。
たった一言で部員全員を一喝するほどの存在力を持っていた。
しかし…ここにいる手塚は。
「桃…ぼやっとしてないで、練習、練習」
「あっ、すんません」
桃城だけが手塚を気にしているのではない。
他の部員達も同様に気になっていた。
「…まぁ、お前達が気になるのはわかるけどな。手塚も全国に行くという重責からやっと解放されて、これからは自分が望む形のテニスが出来るようになったからだろうな」
「…なるほど、流石っすね」
誰もが疑問符を投げる手塚の様子。
大石の言葉は納得に値するものだった。
「それじゃ、練習に身を入れるんだ」
リョーマの相手を満足に出来る現在の部員は、桃城と海堂しかいない。
しかし桃城と海堂は、手塚によって部長と副部長の名前を引き継いた為に、自分達の練習に加えて下級生の面倒も見ないといけない。
リョーマの相手だけをしている暇は無い。
手塚の存在は桃城達だけではなく、部にとって有り難いものだ。
「でも、手塚先輩って…」
「あんなに会話するんだ」
自分達が知っている手塚は寡黙。
無駄な会話は一切しない、させない。
「…もう“部長”じゃないからかな?」
「それもそうか」
あっさり納得すると、部員達は自分に与えられた練習をそれぞれ始めた。

大石と手塚は1年生と2年生の練習風景を眺める。
上級生として下級生の育成は今となっては大切な仕事。
今まで自分達が中心になっていた場所で、新しい力が生まれようとしていた。
「…来年はどうなるんだろうな」
2年生でレギュラーの座にいたのは桃城と海堂の2人。
他にも部員は沢山いるが、レギュラーになれた者は誰もいない。
全国へ行けるほどの力を手にする事が出来るのか?
表情が段々と暗くなる。
「大石、青学はお前が思うほど弱くは無いぞ」
「…あぁ、そうだったな。はは、悪い方に考えるのは俺の悪いところだな」
心配性な大石が不安に感じるのは、今の2年生に手塚のようなカリスマ的な存在がおらず、試合で勝てる力を持っている者が少ないからだった。
桃城と海堂だけは早くから頭角を現していた。
その前に、この2人は普通ではない。
2人はお互いをライバルと見ていた。
『こいつだけには負けられない』
そんな気持ちが、2人をここまで強くしたのだ。
他の部員達も『隙あらば』とランキング戦では頑張っていたが、この2人に比べれば自分達ではまだレギュラー入りなんて到底ムリな話しだった。
「…それに、ここには“越前”がいる」
「越前、『青学の柱』か…」
リョーマの持つ力は未知数。
1年生で異例のレギュラー入りを果たし、今年の大会では一度も負けていない。
「越前は今よりもっと強くなるだろう。いつか俺を越えるまでにな…」
部員同士の試合を認めていないこの青学で、たった一度だけ試合をした。
部活と恋愛は別物だと考えていた2人は、部活中は全く会話をしないで練習に打ち込む。
ある日、現在のリョーマの力を知る為に、手塚は学校以外の場所で試合を申し込んだ。
無論、顧問には承諾を得ていたものだ。
試合は手塚の圧倒的な勝利であったが、手塚が本気を出して立ち向かわなければ勝てない相手だった。
「手塚、お前がそこまで認めていたなんて…」
手塚が早々からリョーマの実力を認めていたのは知っている。
だからこそレギュラーを決める為の校内ランキング戦に名前を入れた。
本来なら1年生ではレギュラーどころかランキング戦にも出られないが、全国に行く為の切り札として手塚はあえてリョーマを選んだ。
たぐい稀な才能と、貪欲な向上心。
試合をする度にどんどん強くなっていく。
「…越前はこれからの青学の為には必要なんだ」
「そうだな…俺達がいなくなった、この青学テニス部を越前達が引っ張って行くんだろうな」
「あぁ、そうだな」
これからを思うと楽しみであり、同時に悔しい事でもあるが、たったの数ヶ月間だけだったが、同じ場所にいられた事へ感謝したい。
きっとリョーマがいなければ、全国への夢は粉々に砕け散っていただろう。
「頑張ってくれよ…」
練習に励む下級生達に大石はエールを送った。


「今日の練習はどうだった?」
部活が終わり、2人は同じ道を歩く。
決まってリョーマは手塚に練習の感想を訊ねる。
これが帰り道での当たり前の会話になっている。
「サーブに乱れがあったし、ストロークにも多少ブレが見られたな。何かあったのか?」
ラリーをしていた時、打球に少々違和感を受けた。
「…今日の体育でちょっとね」
「体育で?大丈夫なのか?」
「ボールがぶつかって肩に痣が出来たくらいだよ」
「…ボール?」
「野球してたんだよ。で、ちょっと余所見してたら当たってた」
普段のリョーマからは予想出来ない。
リョーマなら多少余所見していても、涼しい顔でボールを避けられそうなのに。
「家に着いたら、肩を見せろ」
「大丈夫だって」
「嫌でも見るからな。お前の『大丈夫』は信用できない」
「…ちぇっ、何かヤダな…」
命令口調で淡々と告げられるのが、リョーマには嫌で堪らない。
「…お前が傷付くのが嫌なだけだ…」
言葉が少ないのは今に始まった事ではない。
伝える時には伝えなくてはいけない。
黙っていても伝わる思いもあるが、こういう時は全てを口にして相手に自分の気持ちを知っていて欲しい。
「…手塚先輩」
「ここならもう“先輩”じゃなくてもいいだろう」
人の通りが多かった道を過ぎると、通行人はかなり疎らになる。
「…国光…」
「ん、何だ?」
「…後でココ診てくれる?」
指したのは痣のある箇所だった。
手塚の優しさに胸の中にほわんとした暖かさが灯る。
これにはリョーマも素直になるしかなかった。
「痛むのか?」
「ちょっとね…」
部活までの時間はさほど気にしていなかったが、ラケットを振る度に肩が重かった。
痛いとは感じなかったのに、今は少し痛みが出て来た。
「わかった、後でじっくり診てやるからな」


次の日が部活は休みになる休日は、どちらかの家に泊まるのが恒例になっていた。
今日はリョーマが手塚の家に泊まる番だった。
「ほら、見せてみろ」
「…うん」
既に用意されていた食事を家族と済ませて、2人は手塚の部屋にいた。
帰り道の約束通り、リョーマはシャツを脱いで見せた。
「…少し腫れているな」
「そうなんだ」
背後から赤く腫れている肩に触れれば、そこは体温よりも高い熱をはらんでいた。
「これは冷やした方がいい、待っていろ」
腫れている部位に一度だけ唇を寄せて、手塚は部屋から出て行った。
「…もっと熱くなりそうだよ」
はぁ、と息を吐いて、リョーマはベッドに寝転がった。
静かな室内で、時計の針の音だけが響く。
「…今日はしないのかな?」
手塚の家に泊まる時は必ず行為に及ぶ。
夢の中でしていた全てを今ではしている。
初めてはやはり痛みを伴ったが、今では痛みよりも快感の方が強い。
あの指や舌で快感を引き出され、熱い昂ぶりで突かれる瞬間を思い出すだけでゾクゾクする。
折角ここに来たのに何もしないのは勿体無いが、この肩が思っていたよりも重症だったので困ったものだ。
「気分でも悪いのか?」
うーん、と悩んでいたリョーマの元へ、氷やタオルなどを持った手塚が現れた。
「…違うよ」
起き上がりベッド上にそのまま座っていると、手塚は安心した顔をして用意を始めた。
リョーマに氷の入った袋を持たせて肩を冷やしながら、自分は湿布を肩の大きさに切っていた。
「ね、今日はしない?」
「何だ、いきなり」
ジャキッといい音を立てて湿布を切った手塚は、鋏を置いてリョーマの顔を見る。
「だって、湿布張ると…」
後は言い難くて、ごにょごにょと言葉を濁す。
「ベッドの上で動くと擦れるしな。今より痛くなる可能性もある」
「…うん、でも俺は…」
「俺もお前が目の前にいて我慢は出来ないな」
肩に触れれば、熱かった部位はかすかに冷えていた。
ペタリと冷たい湿布を貼り、端をテープで固定すると、脱いでいたシャツを肩に掛ける。
「…でも、お風呂が…」
湿布を貼ってある肩を2人して見る。
早く治って欲しくて、後先の事は何も考えずにさっさと治療をしたが、まだ風呂に入っていない。
先に風呂に入って汗を流してからゆっくり治療すれば良かったと思っても、後の祭りだ。
「そうだったな…では、今から風呂に入るか」
「いいの、これ」
「肩は濡れないようにして入ればいい」
「そっか、じゃ先に入ろ」
肩が濡れないよう手塚は細心を払いながら、リョーマの身体にシャワーを掛ける。
もちろん湿布は剥がしてある。
「熱くはないか」
「丁度いいよ」
肩以外の全体に掛けると、一旦シャワーコックをひねり湯の流れを止め、スポンジにボディソープをたっぷりと落とし泡立てる。
「ほら、これを使え」
「ありがと」
手塚から渡されたスポンジを受け取り、リョーマは身体を洗い始める。
手塚はその間に自分の髪を洗う。
「国光、シャワー掛けてあげる」
リョーマが身体を洗い終えると、今度はリョーマが手塚の頭にシャワーを掛ける。
「あぁ、もういいぞ」
髪に付いていた泡が全て流れると、手塚は髪をかき上げながら顔を上げた。
その姿につい見惚れてしまう。
「…どうした?」
眼鏡が無いのではっきりとはわからないが、リョーマがこちらを見ているのはわかる。
「ホントにカッコいいね」
「俺がか?」
眼鏡が無いだけで手塚の男としての魅力が数段アップするのに、こうした仕種が乙女心を擽る(自分は女じゃないけど、好きだからやっぱりドキドキする)のを、この男は知っているんだろうか?
「国光以外に誰がいるんだよ」
「そうなのか」
もしここで違う人物の名前を言えば、目一杯不機嫌になる癖に、こういう時は白々しい。
「もう…」
「待て、リョーマ」自分の身体に付いた泡を流そうとしたリョーマを制し、手塚はリョーマからシャワーヘッドを奪い取る。
「俺が流してやる」
背中から肌を隠すように付いている泡を、上から順に流していけば、次第にリョーマの白い肌が目前に現れる。
これまでに何度も見て、触れた肌。
今ではこの身体で触れていない場所なんて無い。
全てを知り尽くしているのに、まだ足りない。

「国光、もういいよ」
泡が排水口に吸い込まれ、今ではお湯しか流れなくなっても手塚はシャワーを止めなかった。
「国光?」
「すまない、我慢の限界だ」
「えっ?」
くるりと身体の向きを入れ替えられると、噛み付くように口付けられた。
上唇や下唇を時々噛みながら、リョーマが口付けに酔いしれるまで続けられる。
「…は……あ…」
「リョーマ」
手塚の手から落ちたシャワーは足元に転がり、ノズルからは勢いよく湯が飛び出ている為、濛々と立ち込める湯気の中で2人は熱く交わっていたが、途中でリョーマが音を上げた。
「…くにみつ、熱い…」
手塚の脚に跨り三度目の交わりを終えた途端、ぐったりと手塚の胸に倒れ込んでしまった。
「リョーマ…?」
「…頭…グラグラ…する…」
顔も身体も真っ赤にさせてリョーマは、激しい息遣いを繰り返していた。
「しまった、調子に乗りすぎたか…」
急いで着替え、のぼせてしまったリョーマをバスタオルで包んで部屋に戻る。
まだ濡れている身体をベッドに横たえて、まずは肩の調子を確かめる。
「…まずい、な」
全く身動きしないリョーマの身体に触れてみる。
肩が異常に熱い。
しかし風呂上りのすぐに湿布は貼れない。
とりあえず濡れた身体を拭き、身体中にまとわり付く熱気が取れるよう、近くに置いてあった本で身体を扇ぐ。
ここまで慌てている手塚は滅多に見られない貴重なものだったが、リョーマがその姿を見ることは無かった。
「……ん…冷たいものが、欲しい…」
涼しい風に閉じていた瞼を開き、虚ろな眼差しでリョーマは訴える。
「あぁ、スポーツ飲料でいいか?」
「…うん、何でも、いい」
即座にキッチンに向かい、冷蔵庫から冷えたペットボトルを取り出し、ついでに肩の為の氷とビニールなどを持っていく。
部屋に入ると、リョーマは軽く寝息をたてていた。
「…リョーマ、寝たのか?」
言いながら顔を覗きこむと、リョーマが薄っすらと瞼を開けた。
「…まだ、起きてる…ちょっと気分悪くて…」
「そうか、飲めるか?」
ペットボトルのキャップを開き、コップの半分ほどまで注ぐ。
「ん、ありがと」
肘を付いて軽く起き上がり、手塚からコップを受け取ると一気に飲み干せば、ほっと息を吐いた。
「もういいか?」
「…もう少しだけ…」
「わかった」
リョーマの応えに手塚はコップに少し注ぐと、リョーマに渡す前に自分の口に入れてしまった。
「…え?…」
渡されるものだと思っていたリョーマが驚いた顔をしていると、手塚の顔が近付き唇を塞がれてしまった。
冷たい舌が上唇と下唇の間に入り込むと、途端に少しばかり温かくなった液体が流れ込んできた。
ゴクリと喉を鳴らして全てを飲み干した。
飲み込んだのを確認すると、手塚は最後に唇を舐めてから離した。
「…くにみつ…」
「まだ飲むか?」
「…ううん、充分だよ」
この後、風呂に入る前と同じように、まずは氷で冷やし湿布を貼った。
身体の熱が取れると、パジャマ代わりに使用している手塚のシャツを着させた。
この2人には大人と子供との体格の差があるので、ただのシャツでもリョーマの太股までがしっかり隠れる。
「明日も腫れていたら、病院に連れて行くからな」
ベッドに入ると、寝る体勢を作る。
「大丈夫だって」
「だからお前の『大丈夫』は当てにならないんだ」
まだ暑い日が続くので布団はまだ夏用だ。
それを身体に掛ける。
「…わかった。じゃ、お休み」
「お休み、リョーマ」
「……ありがとね、国光…」
極めて小さな声で礼を告げるリョーマをそっと抱き寄せて眠りに付いた。

今ではこうした穏やかな眠りが訪れる。


「悪夢って何だったんだろう?」
夢を見始めてから数週間後、その悪夢から解放された。
その夢が覚めてからもう数ヶ月が過ぎ、季節は既に秋を迎えていた。
「悪夢か…」
リョーマの部屋でお互いに出されていた課題をしていると、先に終わらせていたリョーマがポツリと呟いた。
今日は土曜日だったが、昨夜からの雨で部活は中止になっていた。
今回は手塚がリョーマの家に泊まっている。
「何かさ、結局は俺達が望んでいたものが夢に出ていたんだよね。それって悪夢じゃないよね?」
手持ち無沙汰で持っていたシャーペンを、勉強の為に運んだガラスのテーブルの上に転がす。
『悪夢だ…』と、只管悩んでいたが、実際にはただの願望に過ぎなかった夢。
「…自分の気持ちに気が付かなければ、悪夢だとずっと思っていただろうな」
最後の文字をノートに書き込むと、手塚もペンを机上に置いた。
こうして2人きりでいる時間が長くなった。
本気で誰かを好きになる事の無かった手塚にとっては、何もかもが初めての経験だった。
夢を見てしまうと嫌悪感や罪悪感などといった、悪い方の感情だけが胸を占めていた。
「そうだね…」
「だが、今は悪い夢は見ない」
自分の気持ちをはっきり認識したから、同じ夢を見たとしても、今は違う。
相手を想う気持ちが、今ここにある。
「悩む必要も無くなったしね」
「そうだな」
しっかり眠っていても身体は疲れ切っていた。
授業は身が入らず、部活中にも考えてしまう。
このままだと心身ともに憔悴しきってしまうまで続きそうな夢を終わらせてくれる切っ掛けをくれたのは、同じ部活仲間の不二だった。
彼も自分と同じ相手に好意を持っていたが、その相手は自分と同じように不二に相談を持ち掛けてしまった事から、不二は自分の気持ちを隠したままでリョーマの相談相手をしていた。
手塚は不二の気持ちに気付き、問い詰めればあっさりと白状してくれた。
不二の中で秘められた恋心。
リョーマは不二の気持ちは今でも知らない。
それは不二が望んだ事なので、手塚の口から伝える事は今後何が起きても有り得ない。
伝えたところで今更リョーマを不二に渡せられない。
不二だけじゃない、他の誰にも渡したくない。
今やリョーマがいるだけで心が安らぐ。
愛すべき相手がいる、こんな生き方があるなんて今まで知らなかった。
「ま、いいか」
今までを思い起こしていた手塚の耳に、リョーマの声が届き、不図そちらに視線を動かす。
見ればベッドに寄り掛かり両腕を上げて「うーん」と、背伸びをしていた。
「何がいいんだ」
主語の無いリョーマの呟き。
こうした独り言のような呟きは、リョーマにはよくある事で、その度に手塚は訊いてしまう。
何を考えているのか?
何を思っているのか?
全てを知りたい気持ちが手塚の胸を占める。
「…知りたい?」
「是非、教えてくれ」
手塚の問いにリョーマは見惚れるほどの笑みを作る。
「こうして国光がいるんだから」
横目でちらりと手塚の顔を伺うと、くすりと笑う。
手塚には珍しく頬は赤みを帯びていた。
普段からそれほど表情が豊かでは無い手塚は『無表情』とか『鉄化面』など本人には決して届かないあだ名でこっそり呼ばれたりするが、リョーマの前だけはこうして様々な顔を現す。
「だから俺は悩む必要なんて全く無くなった…」
「…あまり煽ってくれるな。俺の身が持たなくなる」
無邪気に答えるリョーマに手塚は焦って制止する。
このまま最後まで聞いてしまえば、手塚は己の欲望のままにリョーマを押し倒してしまいそうだった。
本人には全く自覚が無い為に、手塚は自分の理性と闘う日々が多くなったが、リョーマはそんな手塚の様子に簡単に気付き、リョーマから誘う時も増えた。
「俺はそんなつもりじゃないんだけどな」
ぶつぶつ文句を言う。
ここでリョーマから誘ってもいいが、まだ真っ昼間だし、この後に室内テニスコートを予約しておいたのに、破棄するのは勿体無い。
セックスは嫌いじゃないけど、手塚とのテニスは何より魅力的だ。
「さて課題も終わったし、そろそろ行くか?」
手塚も己の欲望に打ち勝ったようで支度を始めた。
「…っス。今日は負けないから」
リョーマも扉近くに置いてあったテニスバッグからラケットなどを取り出し、別のバックに移し変える。
「俺も負ける気は無いな」
リョーマの実力のレベルが入部した当時とは比べようもないものになっているのは、誰もが認めている。
天衣無縫な父親の南次郎から譲り受けた才能を如何なく発揮している。
才能だけでは上には行けない。
リョーマは部活以外にも、家でその南次郎相手に何時間もプレイをしている。
怠けがちに見られる彼も、見えないところで人には言えない努力をしている。
努力している姿を見られたくないのかもしれない。
彼の本当の強さはまだ計り知れない。
データテニスを得意とする乾でも、手塚や不二のデータを全て知り得なかったように、リョーマのデータも常に更新されているが、更新してもすぐに塗り替えられるデータに乾はノートを閉じてしまった。
「じゃ、行って来るから」
「お借りして行きます」
階段を降りたリョーマと手塚は、居間でごろごろと寝そべっていた父親に出掛ける旨を伝える。
母親は土曜日でも仕事らしく、既にいない。
従姉妹の菜々子も大学の仲間と出掛けている。
「あ〜?こんな雨にどこ行くんだ?」
寝そべったまま身体の向きだけを入れ替える。
『雨降りに出かけるなんて面倒くさい事をこの息子がするもんか?』と、我が息子の性格を熟知している南次郎の顔にはしっかり書かれていた。
「室内コートの予約をしましたので」
「なるほどな…。ま、楽しんで来いや」
手塚が答えると南次郎は納得したのか、再び体勢を元に戻して、片手をヒラヒラと上げていた。
「室内は久しぶりだね」
「そうだな、雨の日くらいしか利用しないからな」
雨の中、傘を差して歩く。
通りを歩く人も疎らで、並んで歩いていても誰かとぶつかる心配が無い。
「楽しみだね」
「そうだな」
しとしと振る雨の中も2人で歩くのなら苦にならない。
南次郎が言うとおり、リョーマは雨の日に自ら進んで出掛けたりしない。
今はこうして手塚がいるから、雨の日でも出掛ける。
室内のコートは予約専用で、2人が到着したその時間も中には予約者しかおらず、プレイに集中出来た。
ギャラリーがいたとしても、この2人にとっては全く関係がない。
「リョーマ、時間だ」
「え、もう終わり?」
2時間の予約はあっという間に終わってしまい、2人は汗を流す為に、備え付けのシャワールームに入る。
シャワールームとしてはしっかりした設備で、個室のシャワーブースと、大人数が入れる風呂やジャグジーに水風呂まで、かなり広かった。
「今日も勝てなかった…」
「ふっ、まだ負けるわけにはいかないからな」
汗を流してすっきりすると、帰り支度を始める。
「今度は絶対に勝つから」
「楽しみにしている」
外に出ても雨の勢いは全く衰えておらず、また傘を差して歩き出した。
時折、風に流された雨粒が顔や身体を濡らす。
「雨が強くなったな、早く帰ろう」
手塚がリョーマを心配して、家路を急かす。
「そうだね、早く帰ってもう一回風呂に入ろ」
2人で家の小さな風呂に入る。
男2人が入ってもそれほど狭く無いが、必要以上に密着する身体に、2人の欲望は簡単に膨れ上がる。
欲望に身をまかせても、どちらも抗議の声を上げない。
むしろ喜んで熱に浮かさせる。

こうして日々を過ごしていく手塚とリョーマは、幸福感に満たされた毎日を過ごしていた。
…夢を見ていた頃を忘れてしまうほどに。

もう二度と悪夢は夢の中に現れない。


光は闇を消し去った。





総受けから塚リョになってからのオフ本でした。
でも、アイドル状態なのは変わらない。
自分としてはかなりお気に入りの話です。