覚める夢を見て覚めない現を知る






心より身体が反応した。

初めに華奢な躯に視覚が奪われた。

続いて零れる声に聴覚も奪われた。

漂う甘い香りに嗅覚まで奪われた。

己では無い己が光を遮り、漆黒の闇から姿を現し囁く。

“無垢な躯を汚し、無垢な心も犯して、自分だけの物にしてしまえ”

何かが蠢く。

もう戻れない。

きっと戻れない。

なのに闇は光を喰らい尽くせない。


「…また、夢…か…」
目が覚めると同時に深い溜息を吐く。
しっかり眠っているのに、どこか重い身体は暑くもないのに少し汗ばんだ肌をしていて、動悸は寝ていただけなのにやけに激しい。
ゆっくりと身体を起こし、軽く頭を振る。
「……ふう…」
乱れた髪を簡単に直し、深呼吸を一つして激しい動悸を抑えてから、枕元に置いてある眼鏡を掛けて時間を確かめる。
「もうこんな時間か」
時計を眺めれば、自らが定めた起床時間を既に2分あまりオーバーしていた。
例えあと1時間ほど寝ていてもこの男に限り遅刻なんて有り得ない。
部活の練習にすら遅れないくらい彼は常に早起きだ。
焦るでもなくベッドから出ると、タンスの上に綺麗に畳んである制服に着替え始めた。
起きたばかりだというのに動きはとても俊敏で、ものの数分で支度が終わると洗顔と食事の為に階下に下りた。
「おはようございます」
ダイニングに入り母親に挨拶をする。
「おはよう国光…あら、少し寝不足なのかしら?」
朝食の準備をしていた母親の彩菜は、ダイニングに現れた息子の顔を見た途端、普段と変わらない表情の中に見える影の部分を指摘した。
「いえ、しっかりと寝ていますが」
気付かれないと思っていたのに、やはり母親というものはどこかが違うのだと、改めて思い知らされる。
「もしかして夢見が悪かったのかしら?」
「…食事を頂いてもいいですか」
まるでどこかに書いてあるかのようにズバリと言われ、黙る代わりに食事の催促をした。

夢なら毎日見ている。
部活で疲れても、どれだけ深い眠りに堕ちていっても、夢の内容はしっかりと覚えている。
次第にエスカレートしていく夢を…。

『夢を見ている…』

いつからなのかは覚えていない。
気が付けば見ていた、としか記憶していない。
夢というものは、目が覚めると同時に忘れてしまうか、はたまた鮮明に記憶されているかなのだが、彼は見ている夢の些細な行動の一つ一つが、はっきりと脳裏に浮かび上がるほど鮮やかに記憶されていた。
暫くの間『夢は何かの間違いだ』と、自分に言い聞かせていたが、眠るたびに見てしまう夢に彼のポーカーフェイスは崩れかけていた。
それでも彼の表情は普段と何ら変わりないように見えていて、授業中はもちろんの事、部活中に気付く者もいなかったが、大石だけはそんな彼の表情に誰よりも早く気が付いた。
「手塚、最近何かあったのか?」
「いや、それは…大石、昼休みだが少しいいか…」
「あぁ…」
それとなく話し掛けてきた大石に、手塚は相談を持ち掛けてみた。
大石はこの青学中等部のテニス部で、初めに友人になった人物。
それに彼のおかげで今もこの青学でテニスを続けていられる経緯があり、彼の存在なくて今の手塚はない。
そんな理由もあり、相談相手に彼を選ぶのは至極当たり前といえばそうである。
但し、相談するに当たっては、自分が見ている夢の内容を明かさないとならない。
…あの悪夢としか思えない夢を、だ。
手塚は昼食を済ませた頃を見計らって、大石のクラスに足を延ばし、2人は男子テニス部の部室にやって来たのだ。
昼休みに部室を訪れる部員は滅多にいない為、相談事をするには最適な空間だった。
「実は夢を見ているんだ」
「夢?どんな夢を見ているんだ?」
ただの夢で手塚が自分に相談を持ち掛ける事など、決して有り得ないと察した大石は、夢の内容を詳しく聞かせて欲しいと口にした。
「それが…」
本来なら己の胸のうちに秘めておけばいいものなのに、真面目すぎる彼には、これ以上胸に秘めておくのは無理だった。
「…俺にはわからないんだ。何故、この様な夢を見るのかが…」
夢の登場人物までは説明しなかったが、内容を詳しく話すと、大石は完全に言葉を失っていた。
「まさかお前がそんな夢を見るなんて」
暫くしてから開口一番に言われた言葉は、思っていたとおりの台詞。
誰もが知る手塚国光の人物像は、成績は常にトップクラスに君臨し、どんな運動もそつなくこなし、何事に対しても冷静かつ的確に対応出来る。
教師なんかよりよっぽど尊敬に値する人物として、同級生のみならず、数々の噂を聞いた下級生からも尊敬の眼差しで見られる人物である。
「英二とかならわかるけどな、お前がなぁ」
ははは、と乾いた笑いをしながら、綺麗に切り揃えられた頭をポリポリと掻く。
今年も多くの新入部員が入部したので、これは部活関連の夢を見ていて、それに対しての相談かと当初は睨んでいたが、手塚個人の悩み相談だとは全く頭に無かった。
まさに青天の霹靂。
「…過大評価しすぎだ」
菊丸や桃城などと比べてみれば、信じ難いかもしれないが、現実に見ているのだから悩んでいる。
たとえ夢の中でも、起こしてはいけない行動であるのはわかっている。
自分でもどうかしている、と思う。
わかっていても止められない。
だからこうして恥を忍んで相談しているのだ。
「…すまない手塚、俺にもわからないよ。夢判断なんて今まで考えた事無いからな…」
いろいろな意味で平凡な大石には、難解な問題だったに違いない。
「…そうか、いや、俺もすまなかった」
ペコリと頭を下げて謝る姿に、思わずこちらも謝罪してしまっていた。
大石とでは、解決策は見付からなかった。
この短い時間の中で、大石は思い付く限りを頭に浮かべてみたが、手塚の悩みを解消出来るほどの良いアドバイスが浮かばなかった。
他の者に相談してみようとも思ったが、内容が内容なだけに人に言いまわすのは好ましくない。
再び1人で頭を抱える日々を過ごすのか、と溜息を吐こうとした瞬間、珍しく部室の扉が開いた。
2人は息を止めて、扉を見つめる。
「…誰かいるの?何だ、手塚と大石か。2人とも何をしているの?」
ゆっくり開く扉から、眩い光と共に入って来たのは不二だった。
不二も部室には誰もいないと頭にあった様で、室内に人の気配を感じた為に表情を硬くし、ゆっくり中に入って来たが、2人の姿を確認した途端、安心した様に穏やかな笑みに変えた。
「不二か、珍しいな、どうした?」
「今日は英二と一緒じゃないのか?」
手塚と大石も詰めていた息を吐いた。
昼休みといえばクラスメイトの菊丸と、昼食ついでにお喋りしたりしているのが日課なのに、今日は珍しく1人だった。
「君達も珍しいね。英二は桃に話しがあるって出て行ったし、僕はちょっとここに忘れ物」
神妙な面持ちの2人に、不二は訊かれた事に全て答えると、外を確認してから扉を閉めた。
まずはロッカーの中から、忘れ物らしき英語の辞書を取り出した。
「…何かあったの?違うね、あるんだね…」
辞書を後ろ手に持ち、2人の前に立つ。
「手塚…不二なら俺なんかより良い答えを出してくれるかもしれないぞ」
大石は耳打ちをするように手塚に言う。
占いを得意とする姉の存在はもちろん、不二自身も多彩な趣味を持っているので、多方面に渡って知識は豊富だろう。
大石と比較してみれば不二の方が手塚の悩みに答えてくれる確立が高く、大石も不二も人の悩みを簡単に他人にペラペラと話すタイプとは違うので、ここで話をしても問題は無い。
「不二…相談があるのだが…」
「…相談って、手塚が?僕でよければ話を聞くけど…」
珍しいね、とからかうが、その目は真剣だった。
「……有り難い」
手塚は悩んだ末、不二に相談してみた。

“時に夢は己の願望や心を映す”

手塚の悩みを訊いた不二が、不図零した言葉に手塚は息を飲む。
「もしかして心当たりがあるの?君は望みを言葉にするのも、行動に移すのも苦手だからね」
微かに変わった手塚の表情に苦笑いを浮かべながら、不二は語り掛ける。
数少ない手塚の真の性格を知る者ならばの台詞だった。
「…望み…か…」
口には出せない、胸の中にある望み。
日々成長を続けていく、淫らな望み。
「そうだよ。特に君の場合は何でも自分の中に閉じ込めてしまいそうだからね。そのままでいると、きっとどこかで歪みが出てくるんだよ」
…だからそんな『夢』を見る。
「…歪み…」
…だからそんな『夢』を見続ける。
不二の言葉が胸の奥に突き刺さる。
「ところで、その夢の相手は…誰なの?」
「それは…」
言ったきり黙り込む。
「ごめん、相手に悪いから言えないよね。それとも相手は僕達が知っている人だからかな?なんてね」
好奇心からうっかり聞いてしまったのを謝り、場の雰囲気を少しでも明るくしようと試みるが。
「……両方だ」
冗談のつもりで喋った台詞がどうやら大当たりだった様で、苦悶の表情をしている手塚に、不二と大石は思わず顔を見合わせていた。
こんな相談事だけでもかなりの衝撃を受けたのに、更に上回る衝撃を受けてしまい一瞬だけ言葉を失う。
「僕達が知っている相手…」
「俺も知っているのか」
「そうだ…お前達も知っている」
3人が共通しているのなら、同級生か部活の部員しかいない。
しかも同級生だとクラス数が多いので、この3年間で同じクラスになった人数を調べれば、かなり絞られる。
部活なら部員全員になるが、なにしろ、男子テニス部と銘打ってあるので、部員は男しかしない。
同じテニス部でも女子とはそれほど交流を持っていない。
夢の相手が『女』だと思い込んでいる大石と不二は、部員の顔を真っ先に削除して、同級生の女子の顔を思い浮かべていた。
暫く悩んでいると、予鈴が聞こえてきたので3人は部室を出た。
「あまり悩みすぎないでね、僕も出来るだけ調べてみるからさ」
手塚の教室の前でとりあえずの区切りを付ける。
「あぁ…」
「俺も出来るだけ調べてみるよ」
「…すまない」
2人に礼を言うと手塚は教室へ入って行った。
「かなり重症みたいだね」
「そうらしい」
大石と不二はどこか陰のある背中を見送ると、本鈴が鳴る前に自分達の教室へ向かった。
本鈴が鳴ると、授業を受け持つ教師が教室に入って来たので、自分の席から離れていた生徒は慌てて席に戻り、ざわざわしていた室内は水を打ったように静かになった。
「さぁ、授業を始めますよ」
教師の言葉と共に、授業を受ける体勢になった生徒達。
室内は生徒の教科書やノートを開く音とシャープペンシルの音、教師が黒板にチョークで書く音などの様々な音が支配する空間になる。
手塚は黒板に書かれた内容を自分流に素早くノートに書き込む。
授業中は夢の内容を思い出さないよう、頭を切り替えているが、どうしても考えてしまう。
こういう時は、教師の声がどこか遠くに聴こえる。
自分だけがここに存在している様に感じる。
すると、頭は夢の内容ばかりを気にしてしまう。

不二の言うとおり、悩みの種であるこの夢は、現実の俺が望んでいるのか?
わからない…。
わかっているのは夢の世界で陵辱しているのだ。
2人しか出て来ない夢の中で、あの汚れ無い少年を。

この手で。

渦巻く黒の部分が頭を擡げる。
己の中の野生が目覚める。
神経が研ぎ澄まされる。

この身体で。

舌なめずりをしながら目の前の獲物を追い詰める。
捕まえて思う存分貪り尽くす。

全てを。

初めの頃は、ただ抱き合うことから始まった。
ただその身体の温度を感じてみたくて、腕を伸ばして強く抱き締めた。
『…越前…』
それだけだったのに…。
それだけで充分だったのに…。
夢は知らぬ間に大胆になり、セピア色だった夢は次第に鮮やかなカラーを作り出す。
『て…づか…ぶちょう…』
抱擁だけに止まらず、額や頬、瞼や鼻先に口付けを施せば、次第に人間としての色に変わっていく。
柔らかさを感じる唇に口付ければ、色の無かった唇は薄いピンク色に彩られる。
触れる部分から色を付け、夢の中は鮮やかなものに変化していく様子は、まるで死の世界が生の世界に移っていくようだった。
『…越前っ…』
そのうち更に大胆になり、夢の中の俺達は何も身に着けていない状態になっていた。
『…ぶ、ちょう…』
自分よりもはるかに薄い胸に手を伸ばし、撫でるように触れれば、小さく開いている唇から甘い吐息が漏れる。
それに気を良くすると、主張する様に硬くなっている小さな突起に舌を尖らせて這わした。
『…やぁ…ああぁ…』
まだ幼さを残す下肢にも手を伸ばして、その中心に息づく性の象徴にも指を絡めて、扱いて、舐めて、しゃぶって何度も絶頂へ導いて、欲望の液体を吐き出させた。
己の飛沫で汚れた身体は淫らで美しかった。

でも、何かが物足りない。

細い身体をいとも簡単にうつ伏せて腰だけを高く上げる体勢にすると、象牙のような白さを持つなだらかな双丘の柔らかさを手で味わい、マシュマロの様な優しい感触を舌や歯でも味わう。
更に尻の肉を掴み広げてみれば、最奥の蕾はまるで俺を誘う様に収縮していた。

ズクリと脈打つ己の欲望。

男同士ならここに突き立てれば、自分も気持ち良くなれるのを本能で察する。
自らの指を舐めて濡らすと、1本だけをゆっくりと押し入れた。
締め付ける力は全く無く、あっさりと指を飲み込んでいく温かくて柔らかい内部は、指にねっとりと絡み付いて離れない。
『…あぁ、ん…ぶ、ちょう…』
『越前…』
指の本数を増やしていけば、内部は腸液で濡れ出したのか指の動きがかなりスムーズになり、挿抽をする度に耳を塞ぎたくなるようないやらしい音を立てる。
充分に蕩けた内部から指を引き抜くと、喪失感からか、誘うようにヒクヒクと蠢いていた。
迷う事無く細い腰を掴み、自らの欲望を突き入れた。
『あぁっ…』
『…くっ…』
頭がクラクラするほどの熱さに、我を忘れて何度も何度も淫らに交わっていた。

夢とは思えないほど感覚が伝わってくる。
今までにセックスの経験など無かったのに、夢の中の俺は行為に手馴れた感じがしていて、自分自身に嫌悪感を抱いてしまう。

目が覚めれば、罪悪感に苛まれる。


「…ょう、ぶちょう?手塚部長!」
「っ、え…越前か…」
突然名前を呼ばれ意識が戻るが、呼んだ相手が今まさに考えていた相手で少し動揺してしまう。
その動揺を隠す為に周囲を見渡してみれば、今は部活の真っ最中だった。
「越前か、じゃないっスよ」
どうやら何度も呼びかけていたみたいで、かなり機嫌が悪そうな声をしていた。
いや、そんな気がした。
「まぁいいや。大石副部長に話しておいたんだから、当然罰走は無しっスよね」
帽子の下から上目遣いで手塚の顔を見ながら、真紅のラケットを肩に掛け、普段の生意気振りで言いたい事だけさっさと言うと、くるりと体勢を入れ替えて手塚に背を向けた。
「…待て、何の話しだ?」
どうやら部活に遅れて来た理由らしいが、遅れて来た事に全く気が付かなかった。
それよりも部活がいつ始まったのだろうか?
それすら覚えていない。
いや、大石と何か会話をした覚えはあるが、一体何を話したのだろう。
腕を組んだ姿勢のままで思い出そうとしていると、リョーマはピタリと足を止め、顔だけを向けてきた。
「まさか、聞いてないんスか」
「俺は聞いていないぞ」
「………マジ?」
驚いた顔をしてから、不機嫌を丸出しにした顔に入れ替えて身体もこちらに向けた。
表情の一つ一つをじっくりと眺めれば、意外にも表情は豊かだ。
常日頃は1年生ながらにクールを気取り、あまり表情を変えないけれど、こうして面と向かって話せば、それが唯の勘違いだと気付く。
「…理由を話せ。そうすれば罰走は免除しよう」
「しようって…俺は図書委員の仕事で遅れたんですよ。しっかりした理由っス」
誰に対しても強気なのがリョーマ。
これほどの傲慢な態度を部長と3年生以外がすれば、長々と文句を並べるところだが、ここは反抗しないで理由を簡単に話し始めた。
一応は上下関係を気にして会話をする。
「お前の当番は水曜日ではないのか?」
今日は木曜日。
つい昨日、リョーマは当番で遅れて来た。
時間厳守を徹底しているので、遅れて来れば罰としてグラウンドを走らせるが、こうして正当な理由さえあれば罰走などさせず練習に参加させるのが手塚の考えだ。
何と言うのか、当たり前といえば当たり前の考えではあるが、手塚はたとえ1分でも遅れたらレギュラーだろうが誰だろうが即グラウンドを走らせるので、数ある部活の中でもかなり厳しいと他の部活の中でも評判だった。
「へー、良く知ってますね。まぁ、部長だから当たり前か。だから今日は仕方なく代わったんです」
自分のシフトを知っていたのには感心するが、部長だから部員の事を把握しているのは普通かと、この場は簡単に納得する。
「仕方なくとは?」
「えっと…」
図書委員の仕事は、昼の休憩時間と授業終了後に本の貸し出しと返却の受付けや、返された本の整理整頓を目的としていて、主に1年生と2年生が受け持ち、3年生は下級生の補助的な存在だ。
リョーマの話しによると、木曜を受け持つ生徒の1人に急用が入り、授業終了後に即行で家に帰らなくてはいけなくなった。
その生徒はリョーマの隣のクラスで、丁度廊下を歩いている所を発見されてしまい、両手を合わせて頼み込んで来た時は、顔には出さないがテニスだけは楽しみで仕方の無いリョーマは、突発的な出来事で部活に遅れる事が嫌でたまらないので始めは断っていた。
だが相手も必死になって頼むし、周囲もジロジロと自分達を見ていくのでリョーマは仕方なく折れた。
クラスメイトで部活仲間の堀尾に話して、部長か副部長に伝えてもらおうとしたが、本当に偶然、次の授業の為に教室を移動していた大石と出会い、部活に遅れる事を話しておいたのだ。
「…そうか、ならばすぐに練習に入れ」
今の話しを聞いて、大石が話していた内容が『越前が練習に遅れる』だったのを、今頃思い出していた。
「うぃース」
小さく頷いてコートに向かう背中を眺めていると、夢の内容を鮮明に思い出してしまい、慌てて視線を横に逸らせば、その視線の先には乱打をしていた不二がいた。
不二は練習相手だった河村に何かを話すと、手塚に近寄って来た。
「…夢の相手は越前、なんだね…」
手塚にしか聴こえない声で呟く。
不二には手塚の夢の相手がわかってしまった。
「…あぁ、その通りだ」
不二は手塚の横に立つが視線は合わせない。
手塚もあえて不二に視線を送らない。
(流石に不二には誤魔化しは利かないか…)
優しい笑みを浮かべていても、鋭い眼光で周囲を見ているこの男は、少しの変化にもすぐに気が付いてしまう。
誰も不二だけには隠し事など出来やしない。
「…越前、か。…そうなんだ…」
突然言葉を発したので、チラリと横にいる不二に視線を向ければ、何とも説明し難い顔をしてコートに入るリョーマを見ていた。
不二が良く見せる顔は常に優雅な笑み。
そして試合中に見せる策略的な顔。
今はどちらとも言えない。
「何かあるのか、越前に…」
どことなく含みのある言い方と表情をするので、気になって訊ねてしまう。
「…君もなかなか面食いだなぁ、ってね」
くすくす、と小さく笑う。
「茶化すな」
莫迦な質問をした、と自分に対し失念する。
「…茶化してなんてないよ。見た目だけなら越前は学校の中でかなり上位に入っているし、マゾの気がある奴なら越前の性格なんてかなりツボだろうしね。まぁ、反対にあの性格をどうにかして自分好みに変えたいって思う男子生徒が多いらしいよ」
「…上位とは?」
何やら話のわからない手塚は、実に楽しそうな不二の様子に眉を寄せる。
「ランキングの結果だよ」
あっさりと告げる。
校内で全生徒を対象にした人気ランキングをしている噂が前々からある。
それも何年も前から。
これが賭けの対象として扱われる可能性が非常に高く、生徒会で取り締まろうとして、数年前からその年の首謀者を探そうとしたが全く見付からず、何かしら被害があった話も無い為、そのまま放置されているのだ。
今の生徒会長である手塚にも、当たり前のように話しだけは前生徒会長から聞かされていたが、本当に行われているのかを確かめる事も出来ずにいたのが現状だ。
しかも今の話しからして、リョーマに票を投じたのは女子よりも男子が多いみたいだ。
「越前も男だぞ?」
「その越前に君は夢の中で何をしているの?」
視線だけで手塚を責めていた。
普段なら絶対に見せない、少し怒りを含んだ視線。
「………」
「じゃ、僕は練習に戻るから」
痛いところを突かれ黙ると、再び練習を開始する為に不二はコートに戻って行ってしまった。
その背を見つめながらも、自分もこのままではいけないとラケットを持ってコートに向かえば、菊丸の少し高めの声が聞こえてきた。
「おっチビー、遅かったにゃ?」
リョーマが練習に宛がわれたコートに入れば、菊丸が待ってましたとばかりにギューと抱きつく。
「さぁて、いっちょやりますか?」
ニヤついた顔で近付いてきたのは桃城だった。
「反対にコテンパンにしてあげますよ、…の前に菊丸先輩、重いっス、本気で邪魔っスよ」
桃城には勝気な態度をし、抱き枕同様の扱いをしている菊丸には苛立った声を上げる。
「うえー、おチビってばヒドイにゃ〜」
「英二先輩も懲りないっすねぇ」
いつも同じ行動をしてリョーマの毒舌にやられているのに、菊丸は全く学習をしない。
それもそのはず、菊丸自身がこれを楽しんでいるので、何を言われても寝耳に水。
それでも練習をしなければ、部長である手塚の怒声が飛んでくる事はわかっているらしく、さっさとリョーマを解放し、リョーマとは反対側の面に歩く。
「おっチビ〜、いっくぞ〜」
ぶんぶんとラケット振って、準備完了の合図を送る。
「…いつでもいいっスよ」
リョーマは幾分か楽しそうにラケットを構えた。
菊丸達は先に基礎練習を終えていたので、遅れて来たリョーマの相手をかってでた。
手塚の悩みなど知るはずの無いリョーマは、2人を相手にさっさと練習を始めていた。
綺麗なフォームから繰り出される数々の打球は、性格に似ず真っ直ぐで正確なものだ。
スイートスポットに当たるボールは、小気味の良い音を立てて返させる。
「おチビ、今日もイイ調子だにゃ」
アクロバティックな動きで菊丸もボールを返す。
「当たり前っスよ」
部活中の手塚は出来るだけリョーマの姿を見ないようにしていたが、意識して見ないようにしても、無意識のうちに視線は彼に注がれる。

不図、気が付けば視線はリョーマへ。

そんな自分に溜息を吐く。





04年5月に発行したオフ本の再録です。