「でさ、あの2人って今でもなの?」
「はぁ…」
不二の心底呆れた声に反応したのは、今や部長になっている桃城だった。
久しぶりに部活に顔を出した不二は、前と全く変わっていない光景に軽い眩暈を感じた。
自分も好意を持っていた相手だった為に、初めは衝撃的だった。
どうにかして、自分の方に振り向かせたいと思ったが、暫くして考えを改めた。
…何をしても無駄だったから。
手塚はリョーマだけを、リョーマは手塚だけしか見ていなかったから。
2人の間に入るには、それ相当の決意やら努力が必要になっていた。
ラブラブっぷりを見せ付けられていたあの頃。
イチャイチャと引っ付く2人に、周囲は色々と大変な目に合っていた。
それも全国大会が終わるまでの我慢だと三年生は思っていた。
全国大会が終わると同時に、3年生は一応引退した。
引退と言っても、テニスはこれで終わりじゃない。
高等部へ行っても続ける。
一部は中学でお終いだと言っていたが、ほとんどはそのままテニスを続ける意思がある。
だからこうして部活に顔を出すのだ。
部活も気になるが、あの2人の様子がもっと気になるらしい。
「今でもって言うか…グレードアップっすよ」
「グレードアップ?」
「はぁ、見て下さいよ。あれを」
『あれを』と言われて見た先には、コートの隅っこで、手塚の胸に凭れてラケットのガットの張りを確かめているリョーマ。
手塚の手はリョーマの身体の前に。
やはりバカップルは変わっていないようだ。
そのまま見ていると、リョーマはくるりと身体を反転させて手塚と向き合った。
見つめ合って何かを話しているようだが、そんなに密着する必要があるのか?
しかも、啄ばむようなラブラブのキスから、舌を絡めるディープなキスまでしていた。
もちろん周囲には、部員がいるその前で。
迷惑がっている部員に全く気が付かない二人は強者だ。
いや、本当は気が付いているのだから、全く困ったものである。
でもこれに慣れた部員がいるのも確かで、本当に平然としているから、これにはかなり凄い事だと感心しきってしまう。
「あれは勘弁して欲しいんすけど…」
「そうだね…」
あはは、と笑うが頬が引きつる。
手塚がこんなにもリョーマのおかげで角が取れるなんて思わなかった。
真四角と言ってもいいほど、しっかりした性格だったのに、今は…真ん丸だ。
どこに角なんてあったのか?と思うほど滑らかな丸!
「ま、数ヶ月の我慢だよ。桃」
「数ヶ月もアレっすか…キツイっすね」
心底嫌そうな顔をして、溜息を一つ吐いた。
「はは、正直だね。桃」
あの真面目一貫の手塚国光は、一体どこに行ってしまったのだろう?
新入生が入ってくるまでは、確かにいたはずだ。
なのに…越前リョーマ、彼が入部してからいなくなってしまった。
見た目は同じ人物なのに、性格が変わってしまった。
宇宙人にでも連れ去られて、改造でもされたのか?なんて馬鹿な考えも、「実は有り?」なんて真剣に思うほど。
「手塚先輩の1年の頃ってどうだったんすか?」
「手塚の?」
「はぁ…」
「今の手塚とは全くの正反対だったよ。あんなんじゃ無かったよ」
桃城の気持ちがわかったのか、不二はキッパリ、ハッキリ答えた。
「そうっすよね…」
「そうだよ」
去年だって普通だった。
プレイをする姿を見るだけで『この強さが青学テニス部の部長、手塚国光なのだ!』と、誰もが憧れる存在だった。
中学を卒業したら、前の手塚に戻るのだろうか?
それともリョーマと離れた事で、もっと酷い状態になるのか?
誰にもわからない近い未来。
頭を悩ます大きな問題。
どうしたって必ずやって来る。
どんなに足掻いたって無駄なのだ。
そう無駄!無駄!!
手塚とリョーマはあらゆる意味で最強カップル。
この2人に誰が何を言えるのだろう。
この不二ですら諦めたと言うのに。
一体自分に何が出来るというのか?
あれやこれやと考えても、いい方向には向かない。
もっといろんな事を勉強しとくんだった。
反省にも似た思いで、大きく溜息を吐いた
「…どうかしたのか?桃城」
「うわっ、手塚先輩!」
物思いに耽る桃城のすぐ横に、話題の本人である手塚が立っているではないか。
おかげで必要ないほどに驚いてしまった。
「どうしたんスか?」
ついでと言うのか、当たり前のようにリョーマも横に立っている。
きょとんとしたあどけない顔は、たまに堪らなく憎たらしいと思ってしまう。
可愛さあまって憎さ百倍。
「…いえ、何でもないっす」
「本当にか?」
「はい。本当に何にも無いっすから…」
ビクビクしながらも、どうにか答える事が出来た。
先程の会話が聞こえていたら…。
いや、この心の声が聞こえていたら、この場に存在出来ないかもしれない。
手塚は引退した今でも青学テニス部の中では大きな存在だ。
その才能とセンスに憧れる者達は、仮に『リョーマ命』となろうとも、手塚を自分の目標にするのだ。
だから後輩達は迷惑でも何も言わない。
言ってしまって手塚が部活に来なくなったら…それはそれで困る。
かなり困る。
ならばリョーマとラブラブしながらも、テニスを教えてくれた方がいい。
頭の中に浮かんだ葛藤の末に選んだ道。
部員達の諦めは意外と早かった。
「あの…手塚先輩って…」
恐る恐る、気になっていた事を尋ねる。
「俺か?何だ」
「…高校はどちらに?」
「このまま青学の高等部へ行くが…それが何かあるのか?」
「いえ、何でも無いっす」
青春学園は、中等部、高等部、大学部と分かれている。
中等部へは入学試験があるのだが、それからは無い。
何もせずともエスカレーター式に上がれるのだ。
外部へ出る者もいるが、ほとんどがそのまま高等部へと進学する。
「高等部…近い…高等部…すぐ側…」
ポツリと呟いた桃城の声は、誰の耳にも届かなかった。
暫く考えた末に、諦めが肝心だと何となく悟る。
「は〜練習するか。…行くぞ、越前…」
「ウィース。じゃ、また後でね」
「あぁ…」
とぼとぼと歩く桃城の後を付いて行く前に、手塚に天使のような笑顔を見せると、部活を始める為に去って行ってしまった
今日も可愛い姿を、じっくり堪能しようと決める。
自分も練習に参加するのだが、それよりも何よりもまずはリョーマだった。
…ジャージ姿はやはり可愛いな。
学生服姿もいいが、私服姿はかなりイイ。
ユニフォームだけだと、チラリと見える腹に何度も欲情したものだ。
隠れた部分を想像するのはやはり楽しいな。
普段と変わらない表情の裏では、こんなにも不謹慎な考えをしているなんて誰も想像できないだろう。
顔だけはいつもの固い表情なのだから。
「ねぇ、手塚?」
「何だ…いたのか、不二?」
「僕はさっきからいたんだけど」
桃城の項垂れた姿と、リョーマの愛らしい姿を見ていた手塚の横に不二が立つ。
離れていても桃城のかなり大きな声が聞こえ、ちらりと視線を向けると、「それじゃ、練習だ」との合図で始まった本日の部活。
どうやら今日の3年生の参加は、手塚と不二の2人だけのようだ。
「君はこれからどうするつもり?」
「どうする?何の事をだ?
ラケットに当たるボールの音が響く中、不二は手塚にいろいろと質問を投げ掛ける。
「リョーマ君の事」
「リョーマの?」
とりあえず一番肝心な事を後回しにはしない。
この数ヶ月、2人の様子をしっかりと見せ付けられただけに、これ以上無いほどの肝心要な質問。
「どうするも何も、俺はリョーマと別れるつもりはないし、誰にも渡さない」
「…でも君とリョーマ君は、あと数ヶ月で中等部と高等部に離れてしまうんだよ?リョーマ君の人気ぶりは知っているんでしょう?」
「無論、知っているさ…」
「だったら…」
不二は手塚の固い意志が、リョーマと近い距離にいるからだと思っている。
同じ校舎内にいるからであって、離れたらどうなってしまうのか?
リョーマはかなりの人気がある。
それは女子だけでは無く、同性の男子からも。
惚れた弱みでは無く、本当にリョーマは可愛らしい。
男らしいとか、男臭いとかがまるっきり似合わない。
何時だったか、手塚はリョーマが告白されている場面を見た事がある。
無論、自分の恋人に起こっている衝撃的シーンを見過ごせる訳が無く、悪いと思ったが近くに隠れて一部始終を見てしまった。
リョーマは告白してきた女子に対し、かなり素っ気無くお断りをしていた。
『悪いけど、興味無いから…』
いつもの不貞腐れた態度で、告白して来た女子に言っていた。
通常のリョーマが示す態度は、クールの一言で片付けられてしまう為、マイナスイメージをあたえてしまうのではないかと危惧するが、女子達にとっては特に問題が無かったようだ。
ただ、告白しておきたい。
『私はあなたが好きです』
それだけの為に伝えるのだ。
だったら、遠くから眺めるだけにして欲しいと思う。
はっきりと『興味が無い』と言っているのだから。
どうせこういうのは、知らない間に噂として広まってしまうのだから。
手塚とリョーマが付き合っているのは、男子テニス部だけに周知されていて、外部の者は全く知らない。
なかなか上手いコトやっていたんだなと、感心せざるを得ない。
だからリョーマだけで無く、手塚に想いを寄せる女生徒の数は、減るどころか増えて行く一方で、古典的なラブレターの数や、告白の回数は絶える時が無い。
手塚がそれに対し良い返事で応える事は無いが、傍から見れば「モテモテで羨ましい」と誰もが思う。
そんな事をリョーマが知ったら…と、余計なお世話かもしれないが、ついつい気になってしまう。
『手塚先輩の事?だって信じてるから…』
ついついついでに聞いてしまったら、返って来た返事はこれだった。
結局は2人ともがお互いしか見ていない。
惚れたのは一体どっちからだったんだろう?
どちらにしてもベタ惚れなのは間違いない。
メロメロになっているのは、2人ともが同じらしい。
羨ましいと思うが、イチャイチャし過ぎなのは、どうにも困ったものだ。
「リョーマが俺を裏切る時は、俺に魅力が無くなったからだろう。その時は諦めるさ」
「そうなんだ。…意外と諦めはいいみたいだね」
あっさり答える手塚に、不二は驚きを隠せない。
どうやら思い違いをしていたようだ。
きっと毎日のように中等部へ潜り込んだりして、リョーマと乳繰り合うのかと思っていた。
ただのバカップルかと思っていたが、恋愛に対してはかなり真面目だったらしい。
「へー、ちょっと意外だったな」
「不二…お前は俺を何だと思っているんだ?」
「えっ、手塚?そうだね、意外と情熱的かなって最近は思うね」
「最近?」
「初めは、ムッツリスケベって思ってたけどね」
「ムッツリ…」
「その鉄仮面の下で、一体何を考えているのか僕には理解出来なかったからね」
不二との会話は頭が痛くなる。
頭痛にも似た感覚は、これからも続くのだろう。
何を言われても、耐えなければならない。
「…最も、手離す気は更々無いが…」
たとえ離れていても想いは変わらない。
変わらない所か、更にバージョンアップするかも。
離れる事で、想いはもっと強くなるに違いない。
「お前もリョーマを好きだったんだろう?」
「うん、でも諦めたよ。どんなにリョーマ君に近付いても君がいつでも傍にいるからね」
付き合った当初は、あからさまな態度でリョーマに近付く不二の存在がヤケに目に入った。
それでも、リョーマが不二に惹かれて、手塚から去る事は無かった。
リョーマの瞳には手塚だけしか映っていない。
他の人がどれほど近付いても、なびく事は絶対に無かった。
「リョーマ君は、本当に君が好きなんだね」
「……何か企んでいるのか?」
訝しげな表情を浮かべ、つい不二の顔色を伺ってしまう。
この男なら何かしら考えているに違いない。
そう思うのは、致し方ない事だろう。
「まさか、本当にそう思っているんだよ。たまには素直に受け止めなよ」
一癖も二癖もある人物に言われても、真実味に欠ける。
不二の性格を知っているからこそ、何だか裏があるように勘ぐってしまう。
「まぁ、有り難く受け取っておこう」
「のしも付けようか?」
「そうだな」
軽く笑うと、2人も部活へと参加した。
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