狂った歯車
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歯車は少しのズレでも見逃してはならない。 ほんの数センチでも、大きな機械には致命傷を与える。 機械だけじゃなくて、それは人の関係も同じ…。 「しまった…」 持っていた携帯の電源を切ると、手塚は小声で呟いていた。 部活が終わった後、全ての雑用は下級生に任せて上級生は先に着替えを始める。 そんな中での呟きはここにいた3年生にしっかり聴こえていた。 「どうかしたの?」 部室の中には声を出した手塚と、その呟きに反応した不二、あとは菊丸と乾の4名だけだった。 「いや、越前に…」 「越前君?」 手塚とリョーマは同性同士だが恋愛関係を持って付き合っている。 数ヶ月たった今でもキス止まりの関係で、その先にはまだ進んでいない。 色々と受ける側には多大な負担になる為、手塚は先へ進むのを戸惑っている状態で、リョーマもそんな手塚の戸惑いに気付いていたが、その件に付いては口出しはしない。 身体を繋げる行為が自分の身体にどれほどのダメージを受けるのかがわからない。 そんな不安があるので、あまりその話題に自ら口にしない。 こんな2人が付き合っているのを知っているのは男子テニス部員のほんの一部。 しかしこのテニス部員達は、リョーマと手塚がとっくに深い関係になっていると勝手に決め付けている。 「あぁ…今日なんだが、実は越前と約束をしていたが、急に家の都合で駄目になってしまったんだ」 今の電話は親からのもので、「急用の為に早く帰って来て欲しい」との内容だった。 本当なら今日からリョーマの家に泊まる約束をしていた。 今日は金曜日で、明日の土曜日は珍しく部活は休みになっているので、泊まる約束を交わしていた。 あと数分も過ぎればここにリョーマが入って来る。 何て言い訳しようか悩んでしまう。 一緒にいたいのはやまやまなのだが、流石に自分の親からでは断れない。 「ねぇ、君の代わりに越前君の相手をしようか?」 困っている手塚に不二は代打をかって出た。 「お前がか?」 「暇潰しくらいにはなるでしょう」 このままだと絶対にリョーマは不機嫌になる。 それならばと、手塚は「助かる」と言い、ここは不二に任せてしまった。 「後で越前には俺からも話をするが、お前達も一応伝えておいてくれないか?」 「大丈夫だよ。俺達にお任せあれ〜」 菊丸のとぼけた返事にはキリリと胃が痛むが、今はそんな場合ではない。 手塚は急いで着替えると家に帰って行ってしまった。 この時に不二の顔を見ておけば、そんな考えは即座に消していたのに。 手塚がいなくなってから雑用を終えた1年生がぞろぞろ入って来た。 もちろんリョーマの姿もそこにあった。 リョーマ以外の1年生は着替え終わった順から部室を後にする。 最後に残ったのは、リョーマと不二と菊丸と乾だけだった。 「あれ?部長は…」 約束をしていたのに、その姿はここには無かった。 しばらく待っていてもその気配は全く無い。 「手塚なら帰ったよ」 リョーマの問いに答えたのは、ベンチに浅く腰掛けて、自慢のデータがたっぷり詰ったノートを広げていた乾だった。 「帰った?」 先に帰るなんて一言も聞いていない。 疑わしい眼差しで乾を見るが、今度は違うところから声が掛かった。 「でも大丈夫だにゃ、おチビの相手は手塚から頼まれているからさ」 扉の前に立っていた菊丸が、楽しそうな笑みを作りながらリョーマへ近寄る。 「菊丸先輩?」 「そうそう、手塚の代わりに僕達が相手をさせてもらうから」 ロッカーの前で何かをしていた不二が振り返り、菊丸の台詞に付け足す。 「…不二先輩」 ベンチから立ち上がった乾とロッカーの前にいた不二もリョーマに近付く。 何だかいつもと様子が違う3人にリョーマは後退りした。 身体の中で警鐘が鳴りだした。 『早くここから逃げろ!』と。 なのに足が動かない。 じりじりと近付いてくる3人からどうやって逃げ出す事が出来ようか。 自分よりも体格が良すぎる乾、リーチの長さを考えれば無理だ。 自分よりも素早い動きを持つ菊丸、足の速さを考えれば無理だ。 …体格も動きもそれほど変わらない不二だが、頭の回転は誰よりも良い。 「何?何なの…」 リョーマに出来る事は少しだけ壁際に逃げて、背中をぶつけるだけだった。 両目を見開いて、3人の顔を見つめる。 「だから、僕達が」 穏やかな笑みを浮かべているが、極めて凶悪な光がその瞳にある。 「おチビの」 猫のように口元を吊り上げているが、決して瞳は笑っていない。 「相手をさせてもらうんだよ」 あまりにもいつも通りで何を考えているのかわからない。 「さぁ、僕達が君を満足させてあげるからね」 けたたましい警鐘の音は最高潮に達していたのに、リョーマにはもう届かない。 歯車は微かに狂い始めた。 |