恋愛のススメ


6. 『王者、来たる』



「今週は立海大付属との試合だね…」
「ああ、そうだな」
手塚に氷帝との試合の結果のついでに跡部の話を訊いた不二は、手塚が本気になってリョーマに群がる者達の排除に取り掛かった事を知った。
『手塚とリョーマを見守る会』の会長(会員は菊丸だけだが)としては、両手を上げて喜んでもいいくらいだった。
嘘や冗談では無いとしても、どこまでの想いなのかは判断し難い部分であった。
この件で手塚の想いの度合いが測れたと言っても過言では無い。
休憩時間中に手塚を呼び出した不二は、人気の無い場所に連れて行き、立海大付属との練習試合の日の話を始めた。
「ねぇ、僕達も観戦していいかな」
「も、と言う事は菊丸もか?」
「ご名答だよ。あちらの新レギュラーも気になるからね」
練習試合でも立海大付属は本気で掛かってくる。
2年生の切原赤也と中心にした新しいレギュラー達の強さを、自分の目で確認する良い機会とあって不二は楽しみにしていた。
「ああ、どうせ真田も来るだろうしな」
「そうだね。ついでに元レギュラー全員も来るだろうしね」

「…どういう事だ?」
「それがね…」
どうやらこれまで真田だけがリョーマに対して恋心を抱いているのだと思い込んでいたが、真田に触発された他の部員達も次第に気になりだしてきたという情報を不二が仕入れてきた。
どこから手を回したのか、不二の突飛の無い行動に手塚は眉をしかめた。
「真田だけでは無いのか?」
「うん、そうみたい」
手塚の疑問に不二は言葉を濁さずにあっさり答えた。
真実なのだから隠す必要は全く無い。
それに隠しておいたとしても不二には何もメリットが無い。
不二は手塚に恋人の座を譲っても、リョーマを好きだという想いは消していないので、リョーマが嫌な思いをするのだけは絶対に避けたい。
だからこそ手塚に警告しておいたのだ。
「…そうか、わかった」
もっと詳しく話を聞きたいのは山々だが、それなら当日に確かめればいい。
「呼び出して悪かったね」
「いや…」
話が終わると2人はそれぞれの教室に戻って行った。





「なぁなぁ、おチビ〜。これチョーダイ」
「これっスか?いいっスよ」
「サンキュー。じゃ、これあげるにゃ」
またしても昼の休憩を一緒に摂る事になったリョーマと菊丸と不二の3人。
天気が良い時は屋上で食べるのが基本となり、今日も屋上で弁当箱を広げていた。
今日はリョーマも弁当を持って来たので3人はそれぞれのおかずの交換をしていた。
あまり他人との交流を深めないリョーマは、どうやら自分達の関係を知っている2人に対しては先輩後輩の関係を無視して接している。
人には慣れない猫のような気質を持っていても、自分が認めた相手にはリョーマはすんなりと心を開いていく。
「リョーマ君、これも食べる?」
「辛くないなら食べる…」
「これは大丈夫だよ。はい、どうぞ」
リョーマの弁当箱の蓋には、不二と菊丸が自分のおかずから選んだ物を次々と置いていく。
まるで餌付けのようにも取れるが、リョーマは美味しい物が食べられればそれでいいので、全く気にしていない。
「どうも……へぇ、美味いっスね。不二先輩のお母さんって料理上手なんスね」
不二から貰ったおかずを口に入れて、じっくりとその味を堪能したリョーマは飲み込んでから感想を伝えた。
「ありがとう、母さんも喜ぶよ」
リョーマでも食べられるように、不二はあえて辛味の強いおかずは避けて欲しいと母親に頼んでおいた。
菊丸の弁当のような王道のおかずと比べて、不二の弁当は手の込んだものが多い。
「にしても、今日はほんっと天気良いよにゃ〜」
「本当だね」
空に浮かぶのは、秋を象徴しているような鰯雲。
涼しい風に吹かれながらの昼食タイムは、息が詰まりそうな学校生活にとって貴重な時間だ。
菊丸みたいなお気楽主義の性格ならば特に気にしないかもしれないが、人との距離を大切にしている不二にとっては、人の気持ちも考えずに行動する生徒達に囲まれるのはストレスになる。
今ではこの時間にストレスを発散する唯一の時間になっていた。
「ところでリョーマ君。今度の練習試合は僕と英二も観戦させてもらうからね。もちろん手塚も来るけど」
その言葉に大きな目を更に大きくしたのは、リョーマでは無く菊丸だった。
寝耳に水の菊丸が「俺も?」と不二に訊ねれば、「当たり前でしょ」と返された。
「…ふーん、そうなんだ」
それほど関心が無いのか、生返事を返したリョーマは目の前の弁当箱を制覇し始めた。

立海大付属との練習試合とあって、青学テニス部の部活にも力が入る。
試合形式の練習を加えながら、サーブやボレーなどの基本の練習も欠かさない。
試合には出ない部員達もレギュラー達の白熱した練習風景につられ、普段の練習よりもハードな内容でも誰も弱音を吐かなかった。
「皆、頑張ってるね」
「なんたって、相手はあの立海大付属だからにゃ〜」
「…そうだな」
練習を見学していた手塚達は、秋なのに大粒の汗を流しながら練習している部員達を満足そうに見つめていた。
「…な〜んか、つまんないにゃ。やっぱり参加しよっかな」
「ダメだよ。今は練習試合の為に頑張っているんだから」
珍しく陰から見守っていようと決めていたが、後輩達の頑張りに菊丸はウズウズとしてきた。
「わかってるけどさ…やっぱ、見てるだけって空しい。俺もおチビと打ちた〜い」
「英二が練習に参加したら、リョーマ君達の練習に邪魔になるだけだよ。今日のところは我慢しなくっちゃ」
「…ちぇっ」
不二に止められた菊丸は、両手でフェンスをがっしりと掴むと、跡が付いてしまいそうなほど顔を押し付けて、練習風景を眺めるだけにした。

「よ〜し、次は荒井と桃城」
「はいっ」
「よっしゃ、俺の出番なワケだな」
コートの中ではリョーマを中心とした新レギュラーの面々が、乾から伝授された練習方法や、顧問であるスミレの連続球出し(通称ホレホレアタック)を受けていた。
「…今日の越前はあまり動きが良くないな」
全員が必死になって練習している中で、リョーマだけはどこか不機嫌そうなオーラをまとっていた。
「君も気が付いた?」
「お前も気付いたのか」
「…わかりやすいからね。原因についての心当たりは?」
「俺には見当が付かないな」
見えるはずのない物が見えそうなほど身体中から不機嫌さが滲み出ていたが、その原因には全く思い当たる節が無いが「もしかしたら」と考える。。

昼休みに会えなかったからか?

部活に参加しないからか?

どれもこれも、不機嫌の原因になりそうな要因にも思えるが、こんな事で明らかな不機嫌を見せるようなタイプでは無い。
「え、え?何、何?何なんだにゃ?」
菊丸だけはリョーマの様子に気が付いておらず、マヌケな顔を2人に見せた。
「ふふ、君だけはいつも通りだね」
「……にゃ〜んか、馬鹿にされた気分だにゃ〜」
リョーマに負けず劣らずの大きな目で何度か瞬きをしてから、不二に恨めしそうな顔を向けた。
「馬鹿になんて思ってないよ」
「その笑顔が曲者なんだよな…」
はふぅ、と大袈裟な溜息を1つ吐いてみた。
穏やかな笑顔の裏に隠された本当の不二の顔。
それを知るのはこの校内の中でも一握りだ。
とりあえずクラスメイトの菊丸は一握りの内の1人に数えられる。
「曲者って酷いな、英二は」
「お前達、練習を見る気が無いのなら帰れ」
果てしなく続きそうな2人の取りとめの無い会話を手塚は止める。
内緒話のような小さな声が次第に大きくなってきたものだから、コート内からこちらを気にする部員と目が合うようになった。
このままにしていたら、本当に練習に集中出来なくなりそうだ。
それも元レギュラーの騒ぎによって。
「…ごめん」
「ごめんにゃ〜」
この件に対して2人は素直に謝った。
本来の目的を忘れそうになり、反省気味にコートに視線を向けた。

この3人の目的は、次に控えている最大のライバル校の対処方法。
どうしたらリョーマを不埒な奴らから守り通す事が出来るのか?
元副部長でありながら今でも大きな影響力を真田と手塚が、誰にも邪魔される事無く話し合える場面をどのように演出するのか?
様々な課題が課せられた。
「しっかし、おチビのフォームは何時見てもキレイだにゃ〜」
「基礎がしっかりしているから、ブレなんて全く無いしね」
3人の視線はリョーマに釘付けだった。

練習が終わるまでしっかり見ていた3人は、手塚だけが残り不二と菊丸は先に帰った。





「疲れたか?」
「全然、まだまだやれるよ」
桃城から「何か食べていこうぜ」と誘われたが、当たり前のようにリョーマは手塚と共に帰るのを優先した。
あと数日で立海大付属との練習試合の為に、練習時間はいつもよりも長くなるが、ナイター設備はまだ完備されていないので、暗くなれば練習は終りになる。
「やっぱり、国光達がいないとつまんない」
部活だけでは物足りなかったのか、リョーマは手塚の制服を掴んで催促する。
「まさか、それで機嫌が悪かったのか?」
「え?俺、不機嫌だった?」
「…立海大との試合が終わったら部活に参加しよう」
大きな目がパチパチと音がしそうなほどの瞬きをする。
どうやら本人は全く自覚していなかったようで、手塚はこの話題を続けるべきではないと悟り、別の話しに切り替えた。
「本当に?」
「ああ、だが終わるまではコートには入らない」
「ん、わかった」
手塚の一言でリョーマの表情は様々な変化を見せる。
つまらなさそうな顔、嬉しそうな笑顔、幸せそうな表情。
何もかもが手塚の一言で万華鏡のようにくるくる変わる。
「誰と当たってもお前は全力で行くんだぞ」
自分よりも弱い相手でもリョーマは力を温存しないが、もしもの為を考えて手塚は付け加えておいた。
「わかってる。誰と当たっても俺は俺が持ってる全ての力を出して戦うから。それに国光も見に来てくれるんだからね。真剣勝負だよ」
リョーマの応えに手塚は満足気に頷いた。
顔にも言葉にも出さないが、今回の練習試合はリョーマにとっても意味のあるもの。
3年生がいなくなっても王者と呼ばれる立海大付属のレギュラー。
どれほどの力を持っているのか、自分の目や身体で感じられるチャンス。
「練習試合だが、頑張れよ」
「頑張るから、ちょっと打ってかない?」
「…休み事も重要だぞ」
「はーい」
ぽんぽん、と背中を軽く叩かれて、リョーマは素直に応えた。

立海大付属との練習試合まで、あと2日。


そして当日がやって来た。

「うわ〜、皆強そうだね〜」
「本当だよね」
「当ったり前。何てったって“王者”だぜ」
ずらり、と並んだ立海大付属の面々を、端から端まで見たカチロー、カツオ、堀尾の1年トリオ。
このトリオの中でレギュラー入りを果たしたのは…まだ誰もいない。
「それにしても何であっちはあんなに大人数なんだ?」
「そうそう、僕も同じ事思ってたんだよね」
「練習試合にしては、ちょっと尋常じゃないよね」
公式試合とは異なるので応援団は必要ない。
それなのに…立海大付属のメンバーは、レギュラーは勿論の事、他の部員から元レギュラーまで。
「…偵察なのかな?」
関東大会で唯一負けた相手校の全てをインプットするつもりなのか?
3人には全くわからなかった。

「弦一郎、手塚達も来ているぞ」
「承知している」
柳と真田はコートの中に入り、青学のレギュラーの顔ぶれを確かめながら、外野のメンバーも頭に入れていた。
「…真田、越前はどこかな?」
「幸村…お前まで来たのか」
突然、背後から声を掛けられ振り返ると、そこには元部長である幸村精市がいた。
今日の事は説明してあるが、幸村は「検査に行くから行けない」と言われたので、青学に来るとは思ってもみなかった。
「何だか俺が来てはいけないみたいだな」
「いや、別にそういう意味ではない」

真田達がこんなやり取りとしている時、青学側は…。

「やっぱり来たね」
「勢揃いってね。えっと…真田に柳、幸村。柳生に仁王…丸井…。うにゃ〜、おチビってばモテモテさんだにゃ」
名前を挙げるのが面倒なほど、雁首揃えてやって来ている。
「ま、リョーマ君は全く見て無いけどね」
くす、と小さく笑う不二の横で、手塚だけは黙ってその様子を見ていた。
レギュラーだけが着られるユニフォームを身に纏い、白い帽子と黒いハーフパンツ。
そして手には真っ赤なラケット。
これが、リョーマのスタイルだ。
「あ、試合が始まるみたいだね」
顧問に呼ばれ、両校が集合した。
練習試合を申し込んだ立海大付属側から、今日の試合についてスミレに礼を言う。
スミレも強豪との試合に「いい勉強をさせて頂きます」と話し、それぞれに分かれた。
少し経ってからダブルス2の試合が始まった。
試合を行う者と主審と副審、そして顧問以外は全てコートを出ていた。
「おチビ〜、今日はシングルス1かにゃ?」
「俺はシングルス3っスよ」
リョーマは当たり前のように手塚の傍にやって来た為に、立海大付属の元レギュラー達の視線はコートとリョーマを往復中。
どうする事も出来ない歯痒さを仄かに滲ませていて、無表情のままでこの上ない優越感に浸っていた。
「リョーマ君、ダブルス2がもうすぐ始まりそうだから、アップしておいて」
「わかった」
カチローがリョーマにそう伝えると、リョーマは着ていたジャージの上を脱ぐ。
1セットマッチの試合は、実力の差があれば短い時間で終わってしまうが、両校のダブルス2の選手の実力には目に見えての差が無く、試合も接戦になっている。
「…相手がいるか?」
1人でアップに行こうとするリョーマの腕を手塚はそっと掴む。
「じゃあ、お願いします」
思ってもみなかった申し出に、ペコリと小さく頭を下げる。
リョーマが手塚と共にコートから離れると、同じく立海大付属側からも数人がコートから離れた。
「…さて、手塚の腕の見せ所だね」
「おチビが手塚と無事に戻って来ますよーに」
下手にお邪魔虫をしても話が拗れるだけなので、二人の後姿だけを見送った。

あとは手塚が上手くやってくれるだろう。

リョーマの恋人は手塚だけなのだから。



第6話は立海大付属の登場。
次の7話で終了の予定です。