恋愛のススメ


1. 『声に出してみよう』




「今年の新入生はすっごいの入ったにゃ」
「越前リョーマだっけ、あれはくるな」
「気を引き締めないといけないな」
衝撃的な存在を見せ付けた1年生の話題は、部室内で尽きる事が無かった。
レギュラー達が遠征中、一部の2年生が1年生の数名に持ち掛けた『賭け事』に対し見事な腕前を披露。
直後には、足の怪我で遠征に行かなかった2年生レギュラーの桃城との試合。
この両方に関わっているのが、レギュラーの話題の的となっている1年生の越前リョーマだった。
そしてリョーマによって、プライドをズタズタにやられた2年生の企みによって、年代物のラケットでの試合をする羽目になった。
だが、そんなラケットもリョーマの手に掛かれば、新品同様の使い方を見せてくれた。
最早、リョーマはレギュラーからも恐れられる存在となりつつあった。
「手塚はどう思う?」
「そうだな、もう少し様子を見よう」
大石に話し掛けられた手塚は、無表情のまま答えていた。


手塚の中で、リョーマの存在が大きくなっていく。


それは、1年生が入部してから初めての校内ランキング戦に越前リョーマの名前を入れた時から。
手塚はその冷静沈着で真面目なところから、男子テニス部の部長を務めている。
部活の最中、顧問と部長、そして副部長の三名でランキング戦の組み合わせを決めていた。
本来の規則ならば1年生のレギュラー入りは無い。
あえて規則を破り、手塚はリョーマの名前をランキング戦に入れた。
リョーマは手塚の期待通りに同じブロックにいた2年生レギュラーの海堂と3年生レギュラーの乾を破り、全勝をその手に収めた。
そんなリョーマを見ていると、胸が熱い。
だが、リョーマは自分を見ていない。
リョーマが見ているのは、ここにはいない『誰か』だった。
その誰かなんて手塚には全く心当たりが無い。
そんな時、練習中に顧問の竜崎が答えを口にしてくれた。
「親父ソックリだよ」
リョーマが常に見ていたのは、自分の父親の姿。
世界を手中にする寸前で引退した、日本屈指のプロテニスプレーヤーである越前南次郎。
国内には敵がいなくなり、その視線を世界に向けた。
そして単身アメリカに向かった。
アメリカでは無名の日本選手は一気に頂点に駆け抜けた。
越前南次郎もまたこの青学の出身であり、竜崎の教え子でもあった。
その息子であるリョーマは、今はただの父親のコピーでしかなかった。
天衣無縫なテニスは現役の南次郎そのものだった。
リョーマにテニスを教えたのは紛れも無く父親だ。
スポーツでも何でも、まずは真似をする事から始まるが、リョーマの場合、幼い頃から今までの長い間、父親のスタイルばかりを見てきたので、そのプレイスタイルが身に着いてしまっていた。
手塚は小さな部屋にいるリョーマの扉を、自分の手で開けたいと思うようになっていた。
「青春台の高架下のコートで待つ」
この腕や肩がどうなろうとも、リョーマを父親しかしない小さな世界から連れ出すと決心した。
顧問にもこの試合を申し入れて、掛かりつけの医者にも診てもらい、ベストな状態で向かう。


手塚の中でリョーマの存在が更に大きくなる。


その試合の最中から手塚の胸中には、これまでと違った思いが芽生え始めてきた。
リョーマに今持っている自分の全てを見せて、テニスは父親だけで無い事を自分のテニスで教えた。
リョーマは外の世界である自分を見るようになってきた。
もう少しで、あと少しで。
肘に多大な負担を掛けるドロップショットまで使い、自分の強さをアピールした。
リョーマの瞳は父親の影では無く、目の前にいる自分を映し出した。

手塚の中でリョーマの存在が一気に頂点に達した。

この試合前までは青学の為だと、自分自身を偽っていたが、これ以上は偽る必要性が無くなり始めていた。

そして、それは手塚の手によって、狭かった自分の世界を広げたリョーマも同じ想いになっていた。





リョーマの中で手塚の存在が大きくなり始めた。

ある日の部活の終り、手塚に呼び出されたリョーマは、1つのボールと共に、試合を申し込まれた。
青学テニス部は部活以外では部員同士の試合は行わない。
本来の規則を破ってまでの試合。
竜崎からのアドバイスは「これまで自分が戦った、どの相手よりも強い」だった。
その言葉通り、初めての試合では手も足も出なかった。
アメリカのジュニア大会での4連覇なんて、最早意味を持たないくらいに、惨敗だった。
親父だけを倒す為に。
それがテニスをしている理由だったのに。
そんな小さな世界にいたリョーマを、手塚は自分の力を見せる事で大きな世界に引きずり出した。


リョーマの中で手塚の存在が大きくなっていく。


それからは部活でも校内にいる時でも、リョーマの視線は手塚を捕らえ始めていた。
大きな瞳で穴が開きそうなほど見つめる。
部活中の手塚は、他の部員を見ている事が多く、練習に入っている時間が少ない。
コート内を万遍なく見渡し、部長らしく怠けている部員に喝を入れたり、アドバイスをしている方が多い。
少し物足りなさを感じるくらい。
「おっチビ〜、俺と一緒に打たないかにゃ?」
「菊丸先輩と?いいっスよ」
準備運動を済ませば、しばしの間は自由な時間が取れる。
レギュラー入りしたリョーマには、他の1年生と違い、自由に練習が出来る。
リョーマは黙っていても練習相手が寄って来る。
青学のトップは手塚、そして不二、次に乾であったが、先日のランキング戦でリョーマは乾と海堂に勝っている。
リョーマの実力は火を見るより明らかだ。
「どれだけラリー出来るかやりたいにゃ〜」
誰よりも早くリョーマを捕まえたウキウキ気分の菊丸の後方には手塚が立っていた。
つい、見てしまう。
その端整な顔立ちを。
その眼鏡の奥の眼差しを。
リョーマの中で手塚の存在がもっと大きくなる。
手塚の公式での試合を初めて見たのは、都大会の3回戦。
完璧な試合運びで、手塚の完全勝利で終わった。
リョーマは手塚がこの試合に本気の力を出していない事に気付いた。
サーブの威力もそれほど強くない。
ショットの速度もそれほど早くない。
本来の力はこんなものでは無い。
あの日、高架下で見た手塚のプレイはもっと強く、全身の血が沸き立つような錯覚すら覚えるほどに、凄まじいものだった。
自分との試合の手塚は、この試合のように公式では無かったが、確かに本気だった。

リョーマの中で手塚の存在が更に大きくなった。

テニスを通して手塚の事を知ったリョーマは、もっと知りたいと思うようになり始めた。

こうして2人が同じ想いになったある日、2人の距離は一気に縮まった。





「あ〜あ、まだかなー」
この日リョーマは夕方の部活が終わった後、手塚から残るように言われた。
それも部活が終わって、着替えている最中に。
「せっかく奢ってもらうつもりだったのに」
今日の練習中にこっそり菊丸と賭けをし、その勝負をリョーマの見事な勝利で終わらせたので、何か高い物でも奢ってもらおうと目論んでいた。
ぶつぶつと文句を言い続けても、ここには誰も聞いてくれる人はおらず、唯の独り言になる。
「ちぇっ、何か損した」
一方の勝負に負けた菊丸は、リョーマに強請られずに済んだと、不二と2人でさっさと帰ってしまった。
「部長ってば、待たせておいて遅いよ」
誰もいない部室はとても殺風景だ。
何もする事が無いからベンチに座っているしかない。
ぼんやりと部屋の中を隅々まで見てみる。
綺麗にしているロッカーと対照的な乱雑なロッカーを見ると、使っている人の性格を見事に現しているみたいだ。
いつもなら誰かがいるから狭いと感じていたのに、こうして1人きりなら意外と広く感じるから不思議。
ベンチに両手を置いて足を投げ出すと、天井を見上げた。
(…俺、何かしたっけ…?)
突然ながら頭に過ぎった疑問。
むーん、と天井を見上げたまま悩んでみる。
授業中に寝ていた事は同じクラスの堀尾が桃城に話した事で手塚にも伝わってしまい、随分前に怒られた。
そんな事もあって最近は頑張って寝ないようにしていた。
遅刻だってこの頃はしていない。
グラウンドを走るのは嫌いでは無いが、テニスをしている方がやっぱり良い。
それに…人には言えない想いを抱いているのだから。
こんな風にわざわざ居残りまでさせられて、自分には一向に分からない内容で説教されるのか、と気分が落ち込みかけたところで扉が開いた。
「待たせたな、越前」
扉を開いた手塚の後ろには茜色した夕焼け。
思わず眩しくて目を細めれば、手塚はそれに気付き扉を閉めてリョーマの前に立った。
「…で、何スか、部長の用って」
説教ならば、さっさと終わらせて帰りたいリョーマは自分から話しを振ってみたが、どうやらいつもと様子が違う。
ここが違うって、はっきり口に出して言えないけど、何か違う雰囲気がしていた気がしていた。
「……それは……その、だな…」
あやふやな返答を返す手塚に、リョーマはいつもと違う様子を見せる手塚を不思議そうに見ていた。
軽く握った拳を顎の辺りに押し当てて、何かを悩んでいるような難しい顔をしている。
「…部長?」
思わず呼び掛ける。
「いや…」
その呼び掛けが手塚のスイッチを入れた。
それっきり何も言わずに近付いてくる。
あれ?やけに顔が近いな、とリョーマが思ったその時…。
何か温かいものが唇に触れて…離れた。
「…あ?…」
その『何か』が手塚の身体の一部だと自覚した瞬間、思わず口を開けてしまったが、一瞬だったけど触れた唇の熱さは紛れも無くホンモノだった。
「…嫌だったか?」
すっ、と離れていった端整な顔立ち。
表情は何も変わっていないのに、その色だけは微かに変化していた。
この行為にしても、その後の戸惑いがちに訊いてくる言葉も、あまりにもいきなりすぎて、リョーマは一瞬だけ現実世界からスポーンとフェードアウトしてしまった。
「…今のって…」
瞬きをするのも忘れてしまったかのように両目を限界まで見開いて、今まさに自分の身体の一部に起きた出来事に対して訊ねる。
「…キスだ」
少し困った顔をしながらも、はっきりと今の行為の名称を口にしている。
「…嫌だったか?」
「…ヤじゃ、ないっスよ…っ…」
途絶えた思考回路を必死に回復させて言葉を発するが、その声に少し驚いてしまったのは、自分の声が不思議なほど掠れていて、しかも驚くほど小さかったから。
それに自分の声が音となった瞬間、目の前の手塚が優しく笑ったからだ。
見間違いか?とも思ったが、何度も瞬きしてみたけど、その顔は変わっていなかった。
手塚のこんな顔は初めてだった。
そう思った瞬間、胸の辺りがざわめいた。
「…そうか」
眼鏡越しの鋭い瞳がどことなく安堵しているように見えたのは、気のせいなのか、それとも…。
たった1つだけわかっているのは、冗談や冷やかしでキスなどはしない性格。
極めて真面目な性格で、先生はもちろんの事、同級生からも信頼されていた。
ただ少し…真面目すぎる。
「どうした、越前?」
「…何で俺にキスするの?」
戸惑いがちに訊ねる。
「…俺は…」
やっぱりこれだけは訊かないとダメな気がした。
男から男へのキスなんて気持ちが悪いだけ。
それくらい誰だってわかっている。
しかしリョーマには手塚に対する想いがある。
キスをされて気持ちが悪いなんて思いは…少しも無かった。
何を言うのかなんて予測も出来ないが、きっと自分にとって悪い事では無いはずだと、リョーマは悪い方の考えを全て切り捨てた。
出来る事なら、と願いながらリョーマは手塚を見つめながら言葉を待つ。
「…越前、お前が好きだ。好きだからキスがしたくなった」
真っ直ぐリョーマを見つめながら、手塚はこれまで黙っていた想いを口にする。
「俺も部長が好きです。だからキスされても嫌じゃない」
そしてリョーマも、手塚に隠していた想いを口にした。

出会ってからまだ2ヶ月。
一目惚れにも近い2人の想い。

「俺と付き合ってはもらえないだろうか」
「いいっス…じゃなくて、はい」


突然なのに、どこかで期待していたのは確かだ。

こんな告白シーンが訪れる事を…。

自分と同じ想いを抱いている事を…。

2人の想いが通じ合ったこの瞬間から、スタートを知らせる鐘が互いの胸の中で高らかに鳴り響いた。


誰もが信じられない、この2人の恋愛の始まり。



自分的に大好きなシチュエーションである『芽生えた想い』。
そして始まる物語は、リョーマアイドル話です。
長い話にはならないと思いますので、お付き合いの程どうぞお願いします。