想いの果て
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いつかこの想いがお前にとって重荷になってしまうのなら、俺はどうにかしてその前に対処しなくてはならない。

これがお前の為ならば…。

…俺はいつでもお前の幸せだけを願っている。




「今日限りでこの関係を終わらせよう」
「…どういうコト?」
突然の手塚からの終幕の言葉に、大きな目を更に大きく見開き、信じられないと首を横に振る。
『驚愕』している。
まさに今のリョーマにはピッタリの表現だった。
この2人、手塚国光と越前リョーマは半年前から恋人関係になっていた。
まだ暑さも本番ではない六月の上旬。
2人は互いの想いを打ち明けていた。
打ち明けると同時に、付き合い出したのだ。
そしてクリスマスのネオンが眩しく煌くようになって来た11月の終わり。
手塚はリョーマに別れを告げていた。
「わからないのか?別れようと言っているのが」
「嘘?何で?いきなり…」
つい先日「クリスマスはどうする?」と、話していたあの時は普通だったはず。
いつものようにリョーマを抱き寄せ、柔らかな黒髪を撫で上げ、ゆっくりと口付けていた。
それなのにたった数日の間に何があったというのか?
リョーマは訳がわからず、ただうろたえていた。
「…もう、お前には興味が無くなっただけだ」
感情のこもっていない手塚のセリフからは、その真意はまるで理解できない。
「…何それ?」
「ふっ、お前のような子供相手に、俺が本気になるとでも思っていたのか?」
手塚の追い討ちをかける言葉は、リョーマに雷でも落ちてきたような強い衝撃を与えていた。
……本気だった。
嘘を言っている目ではない。
リョーマはそれを瞬時に悟った。
「…そ…そうなんだ。ゴメン」
何を謝っているのか自分でもわからない。
ただ、この状態が耐えられないのだ。
ぐるぐると頭の中の駆け巡る手塚の言葉に、リョーマの思考は混乱するばかりだ。
「…謝られてもな…」
深い溜息と共に吐き出された言葉を聞いたリョーマは、ギュッと唇を噛み締めた。
「まぁ、今まで楽しかった」
手塚の言葉にピクリと身体が反応している。
泣きそうになっているのか、微かに唇が震えている。
瞳には薄く膜が掛かっているように涙が滲んでいた。
「…越前」
悲しそうな瞳が俺の気持ちを揺さぶる。
しかしここで、負けてはいけない。
俺は決めたのだから。
ぐっ、と拳を握り、優しさの欠片すら見せないように振る舞わなくてはならない。
自分の心とは正反対の行動を取るのが、これほどまで苦しいものだと始めて知った。
「…泣こうがわめこうが俺には関係ないが、ここでは止めてくれないか」
ここはまだ公衆の面前。
手塚はリョーマを近くの公園に呼び出していた。
ここはテニスコートがあり、この2人も休日になると良く使用していた。
2人にとってここはデートコースの一部だった。
空は暗くなっていたが時間的にはまだ早い。
ベンチに座り話している2人を物珍しそうに見て来る人々と目が合う。
「…ヒドイ人だね…あんたって」
「そうかもな」
「……っ…」
しれっとした態度を見せる手塚に、リョーマは一瞬にして言葉を失う。
今までこんな態度を見た記憶は無い。
常に自分を気に掛けてくれて、優しさばかりを見せ付けられた。
その優しさがどこかに消えてしまった。
まるで初めて出会った時みたいに、冷たい眼差し。
「明日からは普通に先輩と後輩の関係だからな」
「……わかりました…」
手塚はすっと立ち上がり、それっきり何も言わずリョーマに背を向けると、一度として振り返りもせず、そのまま立ち去った。


「…越前だってさ…」
昨日まで2人きりの時は『リョーマ』だった。
特別な関係だから、名前で呼んでいてくれた。
それが突然、学校での呼び名『越前』になっていた。
「フラれちゃった…」
完全に失恋状態。
足を投げ出して、ゆっくりと空を見上げる。
空には都会では珍しく沢山の星が煌いていた。
その時、一筋の星が流れた。
迷信だとわかっている。
知っている。
『消えるまでに3回願いを唱えると叶うのよ』
従姉妹から聞いた話を信じる気は無かった。
それでも今は信じてみたかった。
いや、信じたかった。
願い事を心の中で唱える。
たった1つしかない願いを。
「願いなんて…星が叶えられるはずないんだよね。だって、願いなんてものは自分の力で叶えなくっちゃいけないものなんだからさ…」
ゆっくり瞼を閉じれば涙が頬を伝う。
一度流れてしまえば止まる事を知らない。
「好きな人から嫌われたら、どうしたらいい?」
その応えを返してくれる相手はいない。
「また好きになってもらえるのにはどうしたらいい?」
答えの無い問い掛け。
「俺は…俺は好きだよ…国光」
届かない声でも、自分の想いには変わらない。
あんなに酷い事を言われても嫌いになれない。

何も知らない空には星の輝きが増えていた。



リョーマとの別れを決めた。

「…これで良かったんだ」
自分に言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返すしかない。
今にも泣きそうな顔。
噛み締めた唇は、切れそうなほどだった。
酷い事を言ったのは、痛いほどわかっていた。
しかしこうしなければ駄目なのだ。
「俺は間違っていない…」
部屋に戻りベッドに座り込む。
頭を抱えて、先程のやりとりを思い出す。
「俺は…お前を縛りたくないんだ」

2人きりの時に見せるふとした仕種。

甘える声で強請る。

誘う目付きで見詰められる。

抱き寄せる身体はいつも熱い。

触れる唇はいつでも柔らかい。

誰にも渡したくない。

誰にも見せたくない。

そんな馬鹿な想いが、身体中を駆け巡る。
いつかは、壊してしまうかもしれない。
俺は俺自身を抑えることなど出来そうも無い。
それならば、いっその事。
…だから別れを告げた。
「すまない…リョーマ…」
本当の想いは、冷たい空気に溶けていく。

明日からは付き合う前の2人に戻らなくてはいけないのだ。
どれほど恋焦がれて手に入れた相手が目前に居ても、もう二度とその身体を引き寄せることは出来ない。
触れ合うことも、抱き締めあうことも、何もかも。
耐え難いその状況を作り上げたのは、紛れも無くこの自分なのだ。
もう戻れない、昨日までの関係には。
だが、この想いだけは変わらない。
「愛しているよ…いつまでも」
謝罪の言葉と共に想いを紡ぐ。
もう届かないと知っていても…。

この想いだけは、胸の中に…。



いきなりシリアスモードから始まりました。
4話くらいで終わると思いますが、どうぞお付き合いの程お願いします。