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『インタビュー・馬から学んだ人生必勝法』
「ナーム」1997年3月号 インタビュアー/栃木県護法寺 中島教之住職(南無の会事務局主任)
私は、人間が生きてゆく上での絶対の真理は「善因善果・悪因悪果」以外にはないと堅く信じています。
善い行ないをすれば安楽な果報が得られ、悪いことをすれば必らず悪い結果がでるということが信じられない世の中になったとしたら、
いったい人間は何を信じ、何を考えて暮らしてゆけばいいのか……。
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西村さんはその著書『馬耳東風』の冒頭にそう書いている。
そう言っては何だが、これはどうやら、半世紀にわたる馬とのつきあいの中で学んだことらしい。それというのも、馬を調教する上で、
この「善因善果」という法則はきわめて厳格なものであって、馬という動物は従順であるから、騎手が馬にとってよい行ないをすれば必
らずよい結果をもたらすのだが、そうでなければ何らかの反抗を示すのだという。
幼き日より今日まで、馬に明け馬に暮れるという、いわば人馬一体となった人生を過ごしてきた西村さんにとって、このことはもはや
疑いようのない絶対の真理となっているのだろう。
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調教というのは、人間の都合のよいように馬を調練することなんですが、だからといって、馬に対して一方的に命令したり、服従を
強いるということではだめなんです。いったい、人間の都合で馬の口に鉄の棒をつっこんで、拍車や鞭で虐待する権利がどこにありますか。
馬は非常に鋭敏な感覚を持っていますから、人間の心がわかるんです。だから、つねに馬の身になってやることが大切なんです。
結局、愛情なんですよ。
よく、動物は死ぬから飼うのが嫌だという人がありますが、それは愛情が足りないんです。愛情が中途半端だから、飼っていた動物に
死なれたりすると悔いが残るんです。徹底愛することです。そうすれば悔いは残りません。
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生命には終りがある。生命あるものはいつか必ず死ぬ。その死をいかにうけとめるかは、どう生きるかにあるということか。動物だけの
話ではない。
全日本学生選手権個人優勝。全国大会個人優勝四回。国体出場十回、うち個人優勝七回。その他NHK杯、三笠宮杯、文部大臣杯、
農林大臣杯および日本スポーツ賞の受賞。まことに輝かしい競技歴である。しかし、西村さんにとって何よりの勲章は、大病をされ、
文字どおり九死に一生を得るということを経てなお、現役選手として活躍されているということであろう。
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日本でこの手術をして成功したのは私がはじめてなんです。
私は十数年来の心臓弁膜症で、しかも「四度」という重症だったんです。
あれは七月末の暑い日の午後でした。家族の反対するのを押し切って、馬術競技大会に出場し、その演技の途中で発作をおこし、
あやうく名誉の馬上死をとげるところで、一刻も早い手術の必要に迫られたわけです。
私の場合、その手術に二つの方法があったんです。一つは、たまたま私が発作を起こした数年前にアメリカで成功し、日本でもできる
ようになったばかりの形成手術という方法でした。細かいことはともかく、この手術は日本ではまだ経験が浅く、成功した例が
ないというわけです。ましてや、私は四度という重症でしたから、成功の確率は50パーセントだというのです。そのかわり、この手術
は画期的なもので、成功すればもとの心臓に戻るというわけです。
もう一つは、いわゆる人工弁をつける手術です。これは日本でも一般的に行われていて、成功率は96パーセントある。したがって、
病院の先生も安全性の高い人工弁の手術をすすめられたわけです。
しかし、どうしても私はこの人工弁というのが気に入らない。というのは人工弁をつけると一生涯薬の世話になり、定期的に病院通い
をしなければならないんです。いや、そのことはまだ我慢できるとして、薬の副作用から血が止まりにくくなり、私は生きている限り
びくびくして、何もせず静かにしていなければならないわけです。
そこで、そんなつまらない人生を生きるより、50パーセントの確率があるならそっちに賭けてみようと、私は我侭を通して女房や
娘たちに訴え、形成手術をすることを先生にお願いしたんです。
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この手術は九時間に及んだ。
実は、心臓は体外にあっては六時間が限度といわれ、心臓を体外に取り出してするこの手術は、つまり、六時間が一つの目安となって
いた。六時間を超えたところで、手術室の外で待っていた奥さんや娘さんたちは、はっきり言って喪服の心配をしていたという。
ところが、心臓の手術はすでに成功をおさめていたのだが、若い頃にいためた肋骨が折れてしまったので、ついでにそっちの方の手当
をしていたらしい。あとでさんざん叱られたというが、むろん、西村さんは知るよしもない。
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びくびく生きる人生なんて、そんなつまらない人生はない、と言ってはみたものの、本音を言えば、あえて成功率の低い手術を受ける
のは間違いではないのかとずいぶん悩みました。それで、仏様の方に走ったというわけです。口では強がりを言っても、心の底にある
不安はどうすることもできず、私は私なりに『般若心経』と真剣に取り組んだというわけです。
この世のものはすべて永遠に存在するものではないのだから(色即是空)、心の平安さえたもてば何も恐れることはない。さすれば、
そこから新しい人生も生まれてくる一空即是色)にちがいない。何より今あるこの瞬間を「有り難し」とうけとめよう。そんなふうに考え
たのです。
しかし、それも結局、生きかえる可能性が半分ある、というところに掌を合わせたわけで、もし成功の見込みがなかったら、私が
『般若心経』をひもとくことはなかったでしょう。
そして、いよいよ手術、という最後のところで、私の頭の中にあったのはまたしても馬だったんです。
馬術に大障碍という競技がありますが、これは一歩間違えると人馬ともに転倒して騎手の命にもかかわる危険な競技なんです。
そこでどうしても恐怖感を抱いてしまうのですが、障碍に向かったら騎手は障碍の向こうに魂を放り出せというのです。そうすれば馬は
必ずその魂についてゆき、騎手は馬の体について、人馬一体となって無理なく障碍を跳ぶことができるというわけです。手術台に向かう
ときの心境は、ちょうどそんなものでした。
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やっかいな病気にかかり、かすかに死の影を見つめたことから、西村さんはこれまでとは一味違った人生を知ることになった。
馬の彫塑を作ることである。
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六十の手習いよろしく、まったくの素人の私が何の知識もなしに馬の像を造ろうと思ったのは、一つは、現在見られる多くの馬の銅像や
置物が、その芸術的価値とは別のところで、馬そのものとしてみると不白然な動きをしているので、彫塑は素人でも馬と暮らしてきた
経験から、あるいは本当の馬の美しさが表現できるかも知れないと思ったこと。それから、もう一つは、私という馬気違いがこの世に
生きたというあかしのようなものが欲しかったということかも知れません。
いずれにせよ、私の彫るものは芸術作品というのではなく、どちらかというと標本に近いんです。この筋肉で、この動きで合ってるか
どうか、爪の切り方はどうかとか、どうもこだわりすぎちゃうんです。ただ、いま馬を作る彫刻の先生がいないということで日彫展の
審査員の先生からも応援をいただいているんです。
そんなこともあって、現役を退いたら、本格的にそっちの方へいきたいと思っているんです。
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しかし、西村さんの本音はいつまでも現役でいることらしい。「幸福ですね」と言ったら「はい、最高に幸福です」という言葉が返って
きた。
(原文のまま)
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