(イ)
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会場の入口に私の一番気に入った写真(あまり大きくないもの)をおき、その横に、
「いま死んだどこにも行かぬ
ここにおるたずねはするなよ
ものは言わぬぞ」 一休
と書いた看板のようなものを出しておく。
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(ロ)
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定刻になったら、一応お坊様に「仏説阿弥陀経」をあげて頂く。(予約済)
(このお経はお釈迦様が祇園精舎で弟子達に説かれた極楽浄土の大叙情詩であり、その旨を出席者に一応説明した上、皆楽な姿勢で聞いて
頂くこと。約十分間)
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(ハ)
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お経が終ったら時間のゆるす限り楽しい話に花を咲かせて頂くこと。
私の悪口を言ってもけっして後で化けて出ないことを約束する。
出席頂いた人達が少しでも楽しい時間を持って頂くことができたとすれば、生前親しくおつき合い頂いた方達へのささやかな感謝の気持
が通じたというものであり、あえてお願いといえば、後に残った遺族に対して変わらぬおつき合いをいただければ幸甚というもの。
最後に私が今まで創った数々の馬像は、その出来不出来は別として、みなそれぞれに精魂こめたものばかりであり、もしも馬像がお目に
とまりました時、私の事を一瞬でも思い出して頂ければ人満足。
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以上が、私流の儀式の内容ですが、いかがなものでしょうか。
然し現実の問題として私の死後どのような葬式になるか上記の儀式と違ったものになったとしても私には一切文句のっけようがありま
せん。
ただ一人の人間の死によって、その遺族や、わざわざ葬儀におこし頂く人達の御迷惑になる様なことだけは、けっしてすべきではない
と私は思うのです。
(1995.5)
[追録」
「せっかくそこまで企画したのに、何故当日、私が皆様に挨拶する時の文章も考えておいてくれなかったのか」と妻から文句が出たが、
私より妻の方が早く死ぬ可能性もあるので、それは書かないことにする。