15. 葬 式

 1992年5月、私は妻と二人の娘に宛てた三通の遺書を書きました。
 当時、極度の心臓弁膜症に苦しんでいた私は、人工弁をつけて、これから先の人生を廃人として暮らすことを潔しとせず、自ら望んで 成功率50パーセントという非常に危険な手術をすることに決め、その日時が五月二十九日と確定したからです。
 幸いにもその手術は大成功で、退院してからすぐにその三通の遺書は私の手で無事破棄することができました。
 その遺書の内容はといえば、遺言状として最も一般的な「雀の涙」程の私の財産をどのように分配するかというもので、大蔵省印刷局編 の『こんな人は遺言を』という本を参考にしながら、ごく事務的に箇条書きにしたものでした。
 それから四年、私の心臓はお陰様で学生時代の力強さをとりもどし、かって遺言状を作ったこと等まったく忘れておりました。
 ところが、永六輔氏の非常に楽しい『大往生』がベストセラーになり、又『遺言』なる本も出版されたりして、これは一つ私もかねがね 考えていた私流の葬式について書いておこうと思いたちました。
 又ひとつには三年程前に長年一緒に暮らしていた母が亡くなり、葬式も無事済んで、そろそろ母の形見分けでもと思い、妻と二人、 母の荷物を整理していたところ、なんと「私の葬式は○○式でやってもらいたい」というメモが出てきたではありませんか。
 今更、葬式を二度も出すわけにはいかず、「あとの祭り」ならぬ「あとの葬式」となってしまいました。
 亡き母には何とも申し訳のないことをしたと悔むと同時に、私の葬式はけっしてそのようなことのないように前もって皆様に知って おいてもらいたいと考えたからです。
 又そのことをより多くの人達に公表することで、一風変った葬式をしたために、私の死後何かと批判するであろう親戚の人達に対して、 私の最後の我が侭を通しやすくしてやろうという、妻や娘に対する配慮もあってのことです。
 それでは私の葬儀の内容をひと通りお読み願います。

一、 私の死に顔は妻と二人の娘以外、孫や親戚はおろか親しい友人にも絶対に見せぬこと。
(生きているうちは私なりにその日その日を精一杯生きてきたつもりで、ゆっくりと休養なんてしたことは一度もなかったように思えて、せめて棺桶におさまった時ぐらい自分なりの本当の休息を、ゆっくりと味わいたいからです。
 それなのに鼻の穴や頬に脱脂綿をつめられた醜い崩れかけた死に顔を、多くの人達にかわるがわるのぞきこまれて、「とうとうあの馬気違いの西村もこれで一巻の終りとなったか、可哀相に」と同情され、その時の私の死に顔だけが会葬者の記憶におさまってしまうのは、何ともやりきれない気がするからです。)
二、 棺桶の中では私の体を心臓を下に横向きの姿勢で寝かせること。
(生来胃腸が弱くその上心臓の悪い私は最近になってどうも気管支まで具ハ合が悪くなり、横向き以外では寝つくことができず、もしも、上向きで二日も三日も寝かされていたのでは、きっと棺桶の中で七転八倒の苦しみを味わったあげく、せっかく大往生したというのに、再度窒息死の危険すらあるからです。)
三、 世間一般に行なわれているお通夜、葬儀及び告別式は一切行なわぬこと。
茶毘(だび) に付す前に、妻と二人の娘夫婦と孫や曽孫達だけでお坊様にお経をあげて頂くだけで充分、まして大勢の人達のために仰々しく遺体や遺骨を祭壇に祭る必要はまったくなし。
(但し葬儀屋がこんな条件で窓のない棺桶だけを用意してくれるかは疑問。)
四、 死亡通知はなるべく早目に、できるだけ多くの人に出すこと。ただし葬儀(?)の日時は少なくとも一か月後とし、「何月何日○○ホテル××の間に於いて故人の意志により葬儀のようなものをおこないますので何卒万障御繰り合わせの上ぜひ御出席賜りたく……」という内容とし、喪服着用の儀は堅くお断り致しますとつけ加えること。
(死亡通知を出さないと、あとに残された遺族が弔問客に対して同じことを何回も繰り返して説明することになり時問の無駄となるため。
 なお、結婚式はあらかじめ事前の連絡によって、スケジュールに入れることができるが、葬式だけは他人の都合はまったく無視して行な われ、忙しい人達にとっては非常な迷惑となるばかりか、これも浮世の義理とはいえ、わざわざ大切な予定を変更してまでお通夜や告別式 に出席し、お金はとられ、足の(しび) れを我慢して、わけのわからぬお経を長々と聞かされたあげく、冬は寒さにふるえ、夏は汗だくとなり、 ことに遺族は長時間じっと座って何百回も頭を下げねばならず、故人は極楽に行ったというのに(?)生きている人間は皆地獄の責め苦を味 わうはめになる。
 これでは懐しい故人の徳を偲びたくてもそんな余裕のあればこそ、坊主の禿頭の一つもひっぱたきたくなるのが人情というもの。
 せめてもの慰めはといえば、久し振りに会った旧友と帰りに一杯ということだけ。)
五、 御香典は不用、ただし会費は原則として一人、最高一万円とし、個人の都合により五千円でも参千円でも結構、当日式場にて封筒に入れた まま金額の確認は行なわず徴収(無記名)。
 なお領収書は発行しない。
 勿論、当日の花輪、生花の類は堅く御断り。
 又、会費はホテル等の支払いの一部に当てるため、香典返しや通常告別式等で渡す葉書や御清めの塩は一切なし。
六、 式次第
(イ) 会場の入口に私の一番気に入った写真(あまり大きくないもの)をおき、その横に、

    「いま死んだどこにも行かぬ
     ここにおるたずねはするなよ
     ものは言わぬぞ」      一休

 と書いた看板のようなものを出しておく。

(ロ) 定刻になったら、一応お坊様に「仏説阿弥陀経」をあげて頂く。(予約済)
(このお経はお釈迦様が祇園精舎で弟子達に説かれた極楽浄土の大叙情詩であり、その旨を出席者に一応説明した上、皆楽な姿勢で聞いて 頂くこと。約十分間)
(ハ) お経が終ったら時間のゆるす限り楽しい話に花を咲かせて頂くこと。
 私の悪口を言ってもけっして後で化けて出ないことを約束する。
 出席頂いた人達が少しでも楽しい時間を持って頂くことができたとすれば、生前親しくおつき合い頂いた方達へのささやかな感謝の気持 が通じたというものであり、あえてお願いといえば、後に残った遺族に対して変わらぬおつき合いをいただければ幸甚というもの。
 最後に私が今まで創った数々の馬像は、その出来不出来は別として、みなそれぞれに精魂こめたものばかりであり、もしも馬像がお目に とまりました時、私の事を一瞬でも思い出して頂ければ人満足。

 以上が、私流の儀式の内容ですが、いかがなものでしょうか。
 然し現実の問題として私の死後どのような葬式になるか上記の儀式と違ったものになったとしても私には一切文句のっけようがありま せん。
 ただ一人の人間の死によって、その遺族や、わざわざ葬儀におこし頂く人達の御迷惑になる様なことだけは、けっしてすべきではない と私は思うのです。

(1995.5)

 [追録」
 「せっかくそこまで企画したのに、何故当日、私が皆様に挨拶する時の文章も考えておいてくれなかったのか」と妻から文句が出たが、 私より妻の方が早く死ぬ可能性もあるので、それは書かないことにする。