10. 情報信ずべし

 「情報信ずべし、然もまた信ずべからず」競馬が大好きだった菊池寛の言菓である。
 五月の初め、以前から面識のあった兵庫県副知事の井戸さんから電話があった。
 用件は自分が管理している兵庫県競馬組合二十周年記念行事の一環として、園田競馬場の正面広場にサラブレッドの 銅像を創って欲しいというものだった。
 早速、尼崎市にある園田競馬場に行って、いろいろと話を聞いたが納期が十月六日とのこと。
 原型取り(ポリエステル樹脂)や美術鋳造所での銅像の仕上げ期間を逆算すると私の創作日数は約一ヶ月。
 競馬組合設立二十周年記念の大事な式典に万一間に合わないようなことがあっては一大事とお断りしようと思ったが、 以前から厩務員を従えて堂々とパドックを歩く馬の像を創りたいと思っていたので、「何とかします」と引き受けてしまった。
 頭を地面すれすれに下げて、下口(したくち) をとって(銜を舌でおす仕種)、一歩一歩大地を踏みしめ、(あばら) を美しく屈撓(くっとう)させて歩く 馬を創って、このような姿でパドックを歩く馬がいたら、その馬券は一考の価値があるということを、競馬ファンに見て もらいたいという思いもあったからだ。
 幸い馬像は予定通り仕上がり、式典の二日前には御影石の台座にきちんとおさまり、像の周囲の造園も無事完了し、 あとは除幕式を待つばかりとなった。
 競馬場では二十周年を記念して式典の二日前から○○記念、××記念と重賞レースを何レースも企画して競馬ムードを いやが上にも高めようとしていた。
 二日後の除幕式以外、何もすることがなく、手持ちぶさたになった私は、来賓室におさまって競馬観戦ときめこんだ。
 そこで、馬券こそあまり買ったことはないが、パドックや返し馬を観るのが人好きな私は、スポーツ五社(報知新聞 デイリースポーツ・日刊スポーツ・サンケイスポーツ・スポーツニッポン)の役員さん相手に(にわか) 仕立ての予想屋を開業する ことにした。
 結果は上々で「大阪に引越してきてほしい」という役員も出る始末。
 競馬場の職員さんも、普段は苦虫を噛み潰したような顔で来賓室を出入りしているスポーツ新聞の役員さんも 「今日は笑いをかみ殺すのに精一杯で頬の皮がゆるみっぱなしだった」と言っていた。
 お陰で式典の当日、私の創った銅像を撫でると馬券が当たるという伝説が生まれ、「銅像のどの辺を撫でるといいですか」 と聞きに来る人さえいたから、馬像の芸術的価値はさておき、あるいはその方で有名になるかもしれない。
 尼崎市にある園田競馬場は全長1000メートルの非常に美しい家庭的雰囲気のある競馬場で俄仕立ての予想屋にとって 好都合なことは、総てが小じんまりとまとまっているため、パドックから観客席へ、観客席から馬券売場への移動が極く 短時間ですむということだった。
 その結果、

 一、 パドックでゆっくり馬の状態を見た上、騎手が騎乗してパドックを一廻りするところまでよく観察できること。
 一、 パドックからゆっくりと観客席に戻り、返し馬をじっくりと見てから馬券を買う時間が充分あること。

 私なりの予想を立てて、その上で競馬の予想紙を見ると、半分ぐらい私の予想と合っているので、そのレースに限り私の 本命・対抗を発表するというわけだ。
 その結果、本命・対抗が入れ代わることはあっても、その馬がレースの展開上、馬群に包まれて進路を寒がれる不運でも ない限り私の予想は的中した。
 私が雑誌「コア」に変な記事を掲載することになったのも、元を正せばパドックでの勝ち馬の見分け方を書くようにとの 話から始まったことで、つい一ヶ月程前も「コア」の社長から「何故競馬の記事を書かないのか」と、お叱りを受けてしまった。
 しかし、馬の良し悪しの判断は、六十年問毎日のように馬にさわり続けてきた者のみの直感がなせる業で、馬体の 一つ一つを見ながら個々の採点をして、その合計点の高い馬が必ずしも速い馬とは限らず、そのあたりに競馬の奥の深さ があるというものだ。
 けれど、そう決め付けてしまっては実も蓋もないというもの。そこで今回はパドックでの馬の総体的な見方について 若干書くことにしよう。

 一、 馬を見る場合、真横からばかりではなくて正面と真後ろからも馬の動きを見る必要がある。
 一、 良い馬の第一の条件は、長駆短背(ちょうくたんぱい) であること(肩がねて、き甲が長く後ろについているため、背が短く腹が長いこと)。
 一、 馬体全体の動きに無理がなく、後駆の踏み込みが良いこと一前肢の蹄跡(ていせき) の少なくとも三〇 センチ前には後肢が踏み込んでほしい)。
、その後肢の踏み込みを前肢でしっかりと受け止めて四肢とも蹄で大地をしっかりと踏みしめて歩いていること。
 一、 飛節が力強く踏み込んで、その飛節が、ふらつかぬこと。
 一、 良く踏み込んだ後駆を、しっかりと受ける強い膝のあること。
 一、 頭を下げて鼻面が地面を這うように手前から進行方面に移動すること。
肋の屈撓の良い馬ほどその動きが顕著になる。
 一、 馬体の張り具合や毛艶の良し悪しは、同一の馬を常に見ていないと判断ができない。
気合の乗り具合は騎手が騎乗して初めてよくわかる。
 一、 返し馬はレースと同じ手前(右廻りの競馬なら右廻りの返し馬)でないと見てもまったく意味がない。
逆手前では馬の気合が乗りにくい。これは実際に競馬場で馬に乗ってみると良くわかる。
 一、 前肢を高く上げて地面をたたく歩様の馬は、動きは派手だがタイムは出ない。
逆に全体に無駄なく回転しながら地面を這うように大きく前肢の出る馬は良いタイムを出すものだ。

 馬は生き物である以上、当日の健康状態や精神状態が大きくレースを左右することになり、その点馬をじっくりと観察 してから馬券を買うことのできる園田競馬場は本当の競馬好き(馬が好き)の理想の競馬場といえる。
 競馬新聞の予想は馬の血統・性質・騎手の技量・戦績・獲得賞金額・馬場状態等あらゆる角度から研究した結果であり、 まずその情報を頭に入れて、その上で各自がじっくりと当日の馬を見て、あくまでも自分の判断で馬券を買って、儲けの額 を誇るのではなく、自分の馬を見る目の正しさに誇りを覚えて頂きたい。
 記念式典の前日競馬場に来ていた藤本義一が、競馬を楽しむコツとして、
 一、過去を忘れること
 一、愚痴を言わぬこと
 一、騎手の悪口を言わぬこと
 一、儲かったときには○を二つつけて話すこと
 等と言っていたが、どうもあまり儲かっていない証拠とみた。
 最後に井戸副知事の挨拶ではないが、地方競馬を取り巻く環境は厳しいものがあるけれど、二十一世紀の健全レジャー としてファンに喜ばれる競馬を目指して努力していくとの決意もあり、大いに競馬を楽しんで頂きたいと思う。そうでない と私の方へ馬像の注文が来ないから。

(2000.12)