3. 百不当一老

 『自分の一生を賭けるような心構えで物事をやっておれば、何をやってもつうようしますわ』
 『手法の会得というのは、体で覚えるしかないですねぇ。人から聞いた通り、本で読んだ通りやってみても、 すぐにできるものではないわ』
 九十歳で亡くなった数寄屋大工の棟梁、中村外二さんは、『京の大工頭領と七人の職人衆』という本の中でこう書いている。
 ここで言う棟梁とはもちろん中村外二。七人の職人衆は、左官・表具師・錺師(かざりし)簾師(すだれし) ・畳師・石工・庭師の七人である。
 数寄屋建築と深いかかわりをもつこの八人の達人(たつじん) たちに共通して言えることは、『素材に対する確かな眼』を 持っているということだと棟梁は言う。
 小学校低学年の頃より馬術を採光の生き甲斐として、はや半世紀、還暦を迎えてこれからあと何年『馬術』と真剣に 取り組むことができるかを考えた時、私の馬乗り人生の最後の締めくくりとして自分なりに納得のいくすばらしい馬(素材) が何としても欲しくなった。
 一旦欲しくなると、まるで駄々っ子のように自制心のなくなる私は、1990年の春、意を決して世界的に有名なドイツの 名伯楽(古代中国の馬を鑑定することに巧みな人)であり、また、名選手でもあるヨハン・ヒンネマン氏に会うべく、 ドイツ馬術界に詳しい友人と一緒に現地へ飛んだ。
 美しい森に囲まれた彼の厩舎には、世界の檜舞台で活躍している名馬や、デビューを待っている若馬が何頭も繋畜(けいちく) されていた。
 しかし、調教方法も騎乗方法も違う700キログラムを超す巨体は、それでいてサラブレッド以上に癇が強くまた非常に 敏感で従来の馬の概念をはるかに超えている。それらの超一流馬は、残念ながら私の手には負えず、第一あまりにも高価すぎた。
 それでも何日か滞在して、いろいろな馬を試乗した結果、かなり調教の進んでいるハノーバー種のせん(馬偏に扇)馬 (去勢した馬)を購入することができた。
 今迄の国産馬とはひと味もふた味も違うその馬は、世界の名伯楽の眼鏡にかなった馬ということもあって、間違いなく 『確かな素材』を選ぶことができたと私は大満足であった。
 あとは馬の素材をいかに上手に活かすかによって私の生涯の夢がかなえられるはずであった。
 それから四年、その間約一年間の闘病生活はあったけれど、何とか全日本選手権の出場資格だけはとることができた。
 しかし、その演技は当初私が理想としていたものとは遙かに遠いものであった。
 その上、馬にとって致命的とも思える両前肢の中手骨骨折というアクシデントも加わり、残念ながら去年の夏、知人の 牧場でその余生を送らせることにした。
 かくして私の生涯の夢は無惨にもその幕を閉じたかに思われた。
 人生の夢を失った私はいいしれぬ虚脱感におそわれ、まるで腑抜けの如く毎日家でぶらぶらしていたが、そんな私の 姿を見かねてか、小学四年生の孫娘が、ある日そっと一枚のカードを私に手渡してくれた。
 そこには何と喜ばしいことに『馬を買っていい券』と書いてあるではないか。
 妻や娘たちの手前、一旦は断念した私の夢への挑戦は、その券を手にした瞬間から、以前にも増して大きくふくらんでしまった。
 しかし、私が全日本選手権に再挑戦できるのも、よくてあと二年、今更若馬を買って調教している時間は残されていない。
 ところが幸いなことに千葉県で乗馬クラブを経営し、自らもシドニー・オリンピックを目指し ている友人が、自分の持ち馬の一頭を二年問私に貸してくれることになった。
 かつて東ドイツの選手権を制し、ヨーロッパにその名を知られたその名馬は、年齢的には若干 峠をすぎてはいるものの、まるで若馬の如きその動きは、私に鳥肌を立てさせるに充分だった。
 前の馬との七年間にわたる試行錯誤によって私の技量も多少は進歩していたのか、私の扶助に 対して実に的確な反応を示し、今迄の馬との格の違いを思わせた。
 現に今年の五月の馬術大会ではオリンピック種目で何十年振りに入賞することができた。
老いたりといえども『昔取った杵柄』、私の馬術も満更ではないと、ひそかにほくそ笑んだ私 は、それから僅か一ヶ月後に開催されたヨーロツパ選手権のビデオを見せられた時、今迄の我々 のレベルがいかに低いものであったかを思い知らされた。
 シドニー・オリンピックを来年にして世界のレベルはこの一年間で驚異的な進歩をとげていたのだ。
道元禅師の言葉に『百不当一老』というのがある。これは禅の修行のあり方を弓矢にたとえた もので、『今、初めて矢を的に的中させることができたのは、それ迄の百回の努力があったれば こそで、その一当と同じだけの価値が百回の失敗にもある』というのだ。
 前の馬での私の百不当は、決して無駄ではなく、国内では今回の試合の成績となって証明され はしたものの、諸外国との比較の上に成り立つ国際馬術界では、まったく通用しないことを思い知らされた。
 切磋琢磨の結果、仮に直径10センチの的を射抜けたとしても、来年のオリンピックでは直径 1センチの的を確実に射抜けなければ百不当は百不当のままで何の価値もなく、骨折り損の草臥 れ儲けということになる。
 しかし、負け惜しみのようだけれど、今回私が10センチの的に矢を的中させたことが、まっ たく無意味だったとは思いたくない。
 確かに私の技術は世界のレベルには遠く及ばないが、しかし、他者との比較ではない。自分自 身の採点として過去六十年間にできなかったことが今初めてできたという満足感だけは残すことができた。
 山本周五郎の小説に『虚空遍歴』というのがあるが、『絶対』の存在しないスポーツの世界で は、自分の能力に限界を感じつつ、それでもなお実現不可能な夢に、あえて挑戦しつづけるのは、 いい加減なところでの妥協は敗北以外の何物でもないという強がりと、ひょっとしてより以上の 幸福感が得られるかもしれないという助平根性があるからに外ならない。
 そしてこの助平根性が、これからの一年半、現在の馬に乗りながら『阿弥陀経』に説かれる極 楽の世界を追い求める遍歴が始まることになるのだ。
 『舎利仏よ、極楽には八種の功徳の水をたたえ、底に黄金の砂を敷きつめた七宝の池があり、 その池の周囲には金・銀・青玉・水晶の四宝の階段があるのだよ。またその階段の上には四宝の 外に白珊瑚・赤真珠・瑪瑙(めのう) で美しく飾られた楼閣が建ち、池の中には色とりどりの大輪の蓮華の 花が咲き乱れ、迦陵頻雅(かりょうびんが) (妙音鳥)の妙なるさえずりも聞こえてくるのだよ』と。
 国際水準には遠く及ばない私の生涯の夢も、いっかひょっとして私なりの極楽の迦陵頻雅のさ えずりを聞くことができるかもしれない。
 あるいは極楽からの仏様の手まねきを唯遠くの方から指をくわえて眺めながら、気がついたら 棺桶の中に収まっている自分を発見することになるかもしれない。
 しかし仮りに私の人生がそんなものであったとしても、大変に身勝手な話だが私の魂はきっと 満足感で一杯になっているはずである。
 孫がくれた一枚のカード『馬を買っていい券』は何といっても私の最高の宝物なのである。

(孫に感謝)    (1998.9)