肺高血圧に伴う右心不全の発見の遅れと認識不足に関する注意義務違反


肺高血圧症はさまざまな原因により生じる疾患群であり、慢性肺血栓塞栓症は、単に急性肺血栓塞栓症が慢性化した例との理解ではなく、原発性肺高血圧症や膠原病性肺高血圧症、Eisenmenger症候群などと同じく、高度肺高血圧症と右心不全を主徴とし、主病変が肺血管に存在する一連の疾患群と理解し、治療法を検討すべきと考えられいる。

最終的に予後を決定するのは、右心不全に基づくうっ血所見と、低心拍出状態で、特に低心拍出状態である。

高度な肺高血圧の存在は、症状の発現や予後規定因子にもなり得る。
したがって、早期に右心負荷を発見し、かつ重症度の診断がなされることは重要であり、重症度評価のみならず、原疾患の推定などを非侵襲的に診断できる心エコー検査の意義は大きいのである。
近年、心エコー検査の普及により無症候性の肺高血圧症が心エコー検査により発見されることも少なくない。

しかし、被告Sは、自らの判断で一度も心エコー検査を実施しなかった。
胸部X線検査と心電図検査だけでは、被告Sの判断だけになるが、心エコー検査を実施することによって、放射線科医師の所見が診断に加わることになるので、心エコー検査は早期に必要だったのである。

亡E子の場合、肺高血圧症の発見は6月29日脳外科外来時にS教授の「下肢だけでなく、顔のむくみも目立っている」との指摘で、被告Sが心エコー検査と心電図検査にふみきり、肺高血圧症の存在が判明した。

心エコー検査における放射線科医師の所見で判明したが、同日に実施した心電図検査では、S医師は右心負荷とは判断していない。
放射線科の医師はさらにドプラー法を用いて、肺高血圧の定量的評価を行った。心エコードプラー検査の結果は、肺高血圧、右心系拡大、三尖弁逆流4.2m/s、推定右室圧最大75、平均60mmHgと上昇していた。

この結果をふまえて、3月より顕在化していた下肢の浮腫の原因が右心不全であることがようやく分かったのである。

すでに、平成10年12月26日の救急外来時、循環器内科のT医師は下肢浮腫(+)とカルテに記載しているが、被告Sはこの事実に注意を払わなかった。

平成11年3月16日の外来時に、すでに下肢の浮腫が生じていたことを亡E子と原告K子から言ったが、被告Sは血液検査を行っただけであり、治療も利尿剤を投与しただけだった。

早期には、一見局所であっても、下肢の浮腫は通常全身性の要因によることが多い、という考察も、被告Sは行わなっかた。        

被告Sは、4月の外来時には、胸部X線検査を実施し、右の2弓の突出が軽度ながら存在していたと判断し、CTR14/23.5、右心拡大を積極的に示唆する所見なし、と判断している。
心音に関しては、心尖部の収縮期雑音の記載がある。三尖弁逆流が生じると、収縮期雑音が聴かれるようになるが、被告Sは、特に高血圧症の場合、心臓に明らかな異常がなくとも、しばしば認められると考え、この時点でもまだ、高血圧症と判断としている。

5月の外来時には、被告Sは、4月の検査結果をふまえて、甲状腺機能低下症を疑い、検査をしたが、正常だった。

6月15日の外来時でも、下肢の浮腫は一向に改善していなかったが、被告Sは、再度の検査もせず、降圧剤、利尿剤の投与を行うだけだった。
利尿薬の投与は足の不自由な亡E子にとって、頻回にトイレに行くことになり、非常に辛いことになった。
下肢の浮腫については、病態が明らかにされないまま、放置されることになり始めた。

下肢の浮腫が続いていたことは、肺高血圧症が進行し、右心不全の状態になり、さらに右心不全が進行していることを意味している。

右心不全は肺高血圧症において、臨床的に最終局面である。

右心不全の発見が遅れた原因は、被告Sが下肢の浮腫をみて、右心不全を疑い、心エコー検査を一度も実施しなっかたことにある。

6月29日、被告Sは心エコードプラー検査結果について、亡E子と原告らに一切説明せず、肺高血圧症、右心不全についても説明せず、それ故に下肢の浮腫の原因も説明せず、肺血流シンチ検査を実施する(7月2日)理由も説明しなっかた。
この後で亡E子はリハビリを行ったが、帰り際に、原告K子が亡E子にストッキングを履かせた時に、下肢から水が滲み出ているのに気づいた。

7月14日に、経食道超音波検査を実施し、検査入院の予約をしたが、それはあくまでも肺高血圧症の原因疾患の検査を目的としていたにとどまり、それ以上の考えはなかった。

亡E子と原告らは、肺高血圧症や右心不全という言葉さえ聞かずに入院を待ったが、被告Sが右心不全におけるうっ血症状について一切説明をしなっかたため、症状が悪化しても、亡E子はもうすぐ入院できるからと、いたずらに待つことになってしまった。

7月24日には、亡E子は腹囲が増大しているのに気づいた。これは腹水であり、右心不全が高度であることを示している。
右心不全状態では腸管の蠕動低下により鼓脹を呈することが多く、重症例では、腹水を認める。

7月29日入院の日、腹囲の増大はさらに著明になり、ズボンのチャックが半分しか上がらなかった。
心エコー検査を実施した6月29日以降一ヶ月間に右心不全はさらに悪化していったのである。

亡E子は、入院した時は重症の右心不全となっていたが、循環器内科の医師らは、その認識すらなく、右心不全の増悪からの脱却が先決だとは考えていなかった。

低酸素血症、胸水貯留を認めたが、低酸素血症の原因の一つが右心不全による低心拍出状態の結果と考えられること。

胸水は、胸水穿刺の結果、淡黄色透明で漏出性であることから、呼吸器内科医師は右心不全よると判断した。
胸水貯留は右心不全が高度であることを示しる。

血液検査では、肝うっ血による肝機能障害がみられた。

心拍出量の低下に伴い、尿酸の産生増加と排泄低下の結果として、血清尿酸が増加するが、既に7月21日の検査でも、9.2mg/dlと高値を示していた。

右心負荷の程度を示すBNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)値は、7月31日には389pg/ml、8月25日には1270pg/ml, ANP(心房性ナトリウム利尿ペプチド)値は、8月26日に330pg/mlとなっており、共に高値を示した。

肺高血圧による二次的な血栓形成を防止する目的で坑凝固療法としては、治療薬としてワーファリンが主に用いられているが、被告医院では、入院時からヘパリンが持続的に投与されていた。
解剖の結果、右肺動脈A4に二次血栓が生じていた。死前数日以内の発症と考えられるとの所見である。

肺動脈圧を下げるための治療は、8月7日にCCUに移り、右心カテーテルを実施してからだった。

右心不全対策として、利尿薬で十分な臨床症状の改善が得られない場合には、強心薬の投与が必要となるが、塩酸ドブタミン(ドブトレックス)の投与は8月10日から1γで始め、21日夜に3γ、22日に4γ、23日に5γと増量したが、あまりにも遅すた。

PGI2持続静注療法を実施するには、国立循環器病センターへ行くことになるが、PGI2の使用にあったて、全身状態が厳しい状況にあったことと、特に胸水貯留と血圧が低いことが問題となり、実現しなかった。

NO療法やPGI2について説明し、「今は既に検査の時期は過ぎて重篤な状態であるから、治療に専念すべきである」と言った呼吸器内科の医師に病理解剖の結果を聞きに行った時、主体ではない、本質的ではない、と右心不全に関する記述の説明を省略してしまった。

亡E子の肺動脈圧は平均50mmHgであり、循環器内科と呼吸器内科の医師は、肺動脈圧に比して症状が強すぎると言った。
しかし、右心不全が進行して心拍出量が減少した場合では、肺血管抵抗が高くても肺動脈圧がそれに見合った値を示さない。同医師らには、このような認識はなかった。

右心機能は左心とは異なり、右室の後負荷、すなわち肺血管抵抗に大きく影響される。
肺高血圧に伴う右心不全では、肺動脈圧の増大、心拍出量の低下、右房圧の上昇が起こり、結果として全身の静脈圧が上昇し、この静脈のうっ血による顔面や下肢の浮腫が生じる。

亡E子にも原告K子にも、目に見えて明らかであった亡E子の下肢の浮腫が四ヶ月以上も続いたこと、また、顔面のむくみも顕著になったにもかかわらず、被告Sは右心不全を疑って、一度も心エコー検査をやらなかったことが、右心不全の発見が遅れに遅れたことになり、また、その発見があってからも、肺高血圧に伴う右心不全が、左心不全と同様管理が重要であるという認識のなっかたことが病状を悪化させ、重症となり、入院後もこの状態が続いて、治療の手遅れとなった。

このことは被告医院の医師の注意義務違反である。


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