β遮断薬投与に関する注意義務違反


β遮断薬は、被告医院の循環器内科において、特別な意味を持っている。

当時の循環器内科のY教授の薬である。

亡E子に投与されたβ遮断薬は、アーチストとテーノーミンだったが、これらの薬剤に対する添付文書には禁忌事項(この患者には投与しないこと)として次の事項が記載されている。

 [アーチスト]
 ・肺高血圧による右心不全のある患者
  心拍出量が抑制され症状が悪化するおそれがある。
 ・うっ血性心不全のある患者
  心収縮力抑制作用により、うっ血性心不全が悪化するおそれがある。

 [テノーミン]
 ・肺高血圧による右心不全のある患者
  心機能を抑制し、症状が悪化するおそれがある。
 ・うっ血性心不全のある患者
  心機能を抑制し、症状が悪化するおそれがある。

これらは、循環器内科の医師として、この薬剤を用いる上で当然認識していなければならない内容である。

β遮断薬に伴う副作用の懸念とを、使い方を誤ると心不全を悪化させる危険を常にはらんでいることから、投与をためらう医師も依然少なくないことに反して、被告医院の循環器内科は実に積極的に投与している。

亡E子が入院している時に、原告K子が「外来時にβ遮断薬の投与で具合が悪くなった」と言うと、肺高血圧、右心不全が分かっているにもかかわらず、循環器内科の医師たちは異口同音に「βブロッカーです」と言い、投与を問題にしなかった。「あの薬は良い薬です」と言った医師もいた。

医師は、薬の処方に際しては、個々の患者の病態、薬剤の副作用、禁忌の有無などを確認する必要がある。

医師は、日常の診療では、問診、診察と基礎的な検査をすれば大丈夫と考えている。

被告Sも、初診日に問診、診察、血液検査、心電図検査、胸部X線検査をした上で、β遮断薬(アーチスト10mg/日)を投与した。

亡E子の主訴の労作時の息切れと動悸について、被告Sは、息切れと動悸等を主訴に循環器内科を受診した閉経後の女性の大部分は、はっきりとした原因はなかったからと、亡E子も同様に問題なし、と考えた。

肺高血圧症では、労作時の息切れは、ほとんどの患者たちの主訴であり、また、労作時の息切れ、動悸、疲労感といった自覚症状は他の心肺疾患に合併している場合が多く、添付文書の[禁忌]に従えば、投与については慎重な判断が必要となる。

亡E子の心電図上の洞性頻脈については、被告Sは、既に服用していたカルシウム拮抗薬がこの原因であるとし、従って、β遮断薬投与の条件となった。

これは血圧が高くて、かつ脈が速く、カルシウム拮抗薬を投与されている中年以降の女性は、β遮断薬に変更すると症状が良くなるような人も多い、と被告Sは考えて、亡母もまた同様と考えて、β遮断薬を投与したのである。

主訴や症状が同じでも、個々の患者の抱える問題が多様であると、被告Sは認識していなかった。

平成10年12月26日救急外来を受診した時、循環器内科のT医師は、心電図の変化はなく(つまり洞性頻脈のまま)、聴診上も問題はないと判断した。
しかし、GOT82、GPT89と、12月15日(GOT23、GPT23)より上昇した結果、アーチストから同じ系統のテノーミン(50mg/日)へ変更したが、共にβ遮断薬だった。

その後も症状は悪化する一方だった。

平成11年)1月5日の外来では、前日急遽脳外科外来を受診した時の血液検査がALP420、LDH670、GOT53、GPT107と高値だった結果、エマベリンL(カルシウム拮抗薬)に戻し、様子を見ることにした。脈拍は80だった。

被告Sは、常々β遮断薬を使用したいと思っていたので、血液検査による肝機能値がよければ、β遮断薬に再び戻したいと考えてた。

1月19日の外来時に、血液検査では、ALP434、LDH524、GOT22、GPT20と軽快しているとの判断だった。
また、脈拍120となっていたことから、被告Sは、エマベリンだと心拍数が上昇すると判断し、「薬に慣れてほしい。心拍数の減少に慣れてほしい」と言い、テノーミン(β遮断薬)に変更した。

β遮断薬の特徴の中で、特に心拍数の減少作用が重要といわれている。被告Sは、頻脈の治療にβ遮断薬を使い、頻脈の原因を調べることはなかった。

一週間後、「薬に慣れるまで体がもたない」と言う亡E子の訴えに、被告Sは「我慢できないですか」と言い、テノーミンをカルシウム拮抗薬(ベルベッサーR)に変更した。

亡E子は結局、β遮断薬の治療に忍容性のない患者とされてしまった。

血液検査結果についても、被告Sは、一過性の肝機能障害と判断し、この結果を考慮して、心機能検査を行うことはなかった。

本件は、亡E子の症状に対する単純な診断の結果、積極的にβ遮断薬を投与する医師の一般的な考えに基づき、投与そのものの間違いに気づかず、使用に固執したことは、注意義務に違反することは明らかである。


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