原告側の疑問や不満は次の点である
1. なぜもっと早く肺高血圧症という病気が発見出来なかったか?
2. 病名、症状および医療情報について外来時には全く説明がなされなかった
3. なぜ他の高度な治療を受けられる医療機関へ紹介されなかったか?
このような点を考慮しながら外来の日付順に意見を述べる
12月15日の外来受診時での心電図(以下ECG)では明らかに肺性Pが認められる。これは右房負荷を示唆する所見であり、循環器専門医でなくても内科医師なら誰でも認識できるものである。胸部レントゲン写真(以下胸X-P)では明らかに右肺動脈下行枝の拡大が見られ、又心拡大(心胸郭比58.7%は軽度ではない、中等度である)が認められる。これらは右心負荷を示唆する所見である。肺高血圧症(以下PH)を示唆する所見でもある。以上の諸点は他覚所見としては重要な所見であり、心臓超音波検査(以下UCG)施行の必要性があり、必ず経過を追う必要がある。
患者の動悸や頻脈をエマベリンL(Ca拮抗薬)の副作用と考え、ただちにアーチスト(β遮断薬)に変更している。副作用と考えるのは早計過ぎる。ちなみにエマベリンLの副作用で動悸はわずか1.57%である。副作用だと考えたとしても動悸の少ない第3世代のCa拮抗薬(ノルバスク、ランデル等)に変更すればよいだけのことである。ここでβ遮断薬を処方したため患者の重大な主訴である動悸がマスク(遮断)されてしまい、さらに診断を遅らせることとなってしまった。
12月26日の外来は極めて重要な意義を持つ。なぜなら救急外来を受診するほど患者の自覚症状(下肢の脱力感、動悸、息切れ)が増強していたことになる。ECG上、肺性Pは相変わらず存在し、胸部誘導の陰性TやV5に深いSを認めており、わずか10日余りで右房、右室に負荷が増強したことが伺える。又、下肢の浮腫が増強し右心不全を認識させる所見が見られる。肝障害は薬の副作用ではなくうっ血肝によるものであろう。もちろんこの時点ではそこまではわからない。ちなみにアーチストの副作用の中で肝障害は0.65%である。ここでの判断は当直医によるものであるが、S医師もそのことを追認している。一般病院ではそこまで高度な判断は要求されないが大学病院ではやはり高度な診断能力が要求される。β遮断薬によって右室への負荷が増強されてうっ血肝を生じたものであると推察される。後にもβ遮断薬であるテノーミンが処方されており、患者がβ遮断薬を服用すると調子が悪くなると訴えていたのはうなづけることである。
このとき当直医はUCGを施行している。動悸と息切れがあるということでおそくらく当直医は心不全(この場合は左心不全)を疑い、UCGで左心の動きを見ようとしたのであろう。ポータブルの機器では右室まで十分に観察出来なかったであろう。実際、カルテでは描写不良と記載されている。再度検査が必要であった。したがって、上述の診療結果を12月15日と比較検討すればこの日に精査入院を指示をすべきであったと思われる。
正月休みの症状不良により、平成11年1月4日に脳外科外来を予約外受診して、種々の症状を訴えているし、平成10年12月26日には救急外来に受診するほどであるから患者の訴えはよほどのことと認識しなければならない。UCGの再検査はもちろんのこと、ECGの異常により、BNP(B型ナトリウム利尿ペプチド)やhHNP(ヒト心房性ナトリウム利尿ペプチド)の検査依頼が必須となってくる。これらの検査は心不全の早期発見につながり、外来ではよく検査されるものである。また息切れの症状が強いので血液ガス検査(パルスオキシメーターでも可)をしても不思議でもない。また肝機能障害がまだ続いているので腹部超音波検査を依頼するのが普通である。施行していれば肝静脈の怒張が確認出来たと思われる。上記の検査を施行していれば12月26日の項で示した事を更に確認出来、総合的に右心不全の所見が確認出来、さらに精査目的にて入院となり、早期にPHを発見出来たことになる。もちろん外来診療は短時間で診察、判断、検査依頼、治療を下すことを要求されるので誰しも100%完全な判断をするっことは不可能であることは承知している。だがらこそ患者の訴えをもっと深く、慎重に考慮せねばならない。S医師の検査不足が目立っている。この日、UCGの検査が不要であるというなら当直医の施行したUCGは保険適応外(保険審査上、不要な検査はしてはいけないことなっている)ということになる。また外来のS医師は当直医に対して余計な検査をするなと叱責しなければならない(大学の医局ではよくあることである)。6月29日までUCGは不要だったなどどいう主張はとうてい納得のいくものでない。またエマベリンLに処方を変更したのも矛盾した処方である。副作用で中止した薬を再投与することは通常あり得ないことである。
1月中旬より2月にかけてS医師は、β遮断薬とCa拮抗薬の問題に気をとられて、より肝心な他の事実については、全く念頭に無かったと思われる。そして、その間も次第に全身倦怠感や、下肢の浮腫が患者本人にも気がつくようになり、S医師に訴えたものと考えるのが妥当である。この頃の状態では一般病院の医師でも状態の悪化に気づき種々の検査を施行していたであろう。
この間もS医師は判断ミスを重ねることになる。下肢の倦怠感や手足のしびれをテノーミンの副作用と考えヘルベッサーRに変更している。ちなみにテノーミンによる副作用のうち倦怠感は0.65%である。S医師は薬の副作用でよほどひどい経験をしたのか、なんでもとりあえず症状が出れば薬の副作用と考えるようである。胸X-PやECG所見が読めずこのような短絡思考が検査の遅れを生じ病気の発見を遅らせたのである。大学病院専門外来としてはあまりにもお粗末といわざるをえない。これらについて反省の弁が陳述書や準備書面に一切見られないのは残念なことである。このことが裁判に至った一因である。
下肢の浮腫についてS医師は下肢の静脈還流不良(特発性浮腫のことと判断する)と診断し、余り気にもとめずに利尿薬を投薬している。外来では浮腫をみれば特殊な原因は別として、単純に肝臓性、心臓性、腎性、内分泌性に大別して検査を進めることになる。例えば、心臓性では右心不全を疑い、UCG、血液検査を施行、内分泌性では甲状腺機能低下(あるいは亢進)を疑い血液検査を施行します。これらをすべて否定して初めて特発性浮腫と考えることになる。ここでも短絡的な判断に過ちがあったと言わざるを得ない。また胸X-Pでは肺動脈が太く、心胸郭比が60%と拡大しており、心雑音(弱いものではなく中等度である)も聴取している。高血圧があったとしても急に雑音を聴取するのは異常である。三尖弁閉鎖不全により雑音を生じていたと推察される。この時点では循環器の専門医でなくてもUCGを依頼するか、精査目的で入院を指示するのが普通であり、大学病院の循環器の専門医がこの時点でも右心不全に気がつかないということは、医師の常識として考えられないことである。
この間もS医師は血圧を下げることと、利尿薬を投与することに終始している。6月29日のUCGでPHと右心不全の所見をやっと確認しており、本来ならばただちに精査目的の入院の手続きを進めるべく、患者や家族にその旨、説明すべきであるがそれもなされていない。ここでも判断の遅れが顕著で7月中旬になってようやく7月末の検査入院計画をたてている。ここまで症状が顕在化してくればどこの病院でも入院になるので、これ以降の外来についての論議は余り意味がない。
7月29日に入院した時点では、右心不全状態はかなり進行しており、このために治療法も限定され、効果にも限界があったと思われる。
適切な外来診療では遅くても1月上旬の受診で、UCGを施行すればPHと右心不全の診断はついたであろう。この時点では治療方法の選択肢も広がっていたであろうし、転医の話もこの時点で語られねばならない。難病であっても初期に発見されれば予後は異なってくる。また難病だからこそ最高水準の医療を受けさせたいというのが家族の人情である。
治療法に関する議論は、被告側は治療の出来る施設ではないという家族側の主張に対し、被告側は行えば出来るし転院の必要なしという主張するところから始まっており、全くむなしいものである。
患者から他の医療機関での治療の要求があれば他の医療機関を探したり、そこでの治療方法を説明するのは医療側の責務である。患者側ではない。なぜなら医療側が医療情報をすべて把握しているからである。今回も死後、カルテ開示を求めて、初めて詳細な医療情報が家族に明白になったのである。生前は患者や家族はその情報のごく一部について聞いているだけのことである。そのため他の医療機関を受診する場合は診療情報提供書(紹介状)を書いてもらって受診することになる。自分で医療機関を探して来いというのは言語道断の話である。準備書面には一切、反省の弁がみられないのは残念なことである。医療には外来も病棟も100%完全な診断や治療などあり得ない。それをまるで完璧な診断や治療だったかのように主張するのは医療を理解していない者の言い分である。被告側には終始、高慢な態度がうかがわれる。本来、大学病院は他の医療機関から信頼され、多くの患者を紹介される機関である。診療報酬の面でも特定機能病院として特別な配慮を受けている。その病院がこのような高慢な態度ではとても患者を紹介する気にはなれない病院である。
平成15年8月25日
Y.A