『風の絆』 3

「ちくしょうっ、なんてこった! 完全に油断したっ…」
周囲を竜巻の渦に囲まれた珊瑚は、悔しげに拳を地面に打ちつけた。かごめを守ろうと下がった途端に最猛勝の群に視界を閉ざされ、雲母で脱出しようとしたら頭上から巨大な竜巻が降りてきたのだ。自分だけならかわせたが、かごめを乗せようとした分遅れがあった。
「かごめちゃん、ケガはっ」
「あ、あたしは大丈夫。ごめん。足手まといになっちゃって」
「そんなことない。あたしの油断なんだ」
二人と七宝、雲母を取りまく巨大な渦は、ゴオオオ…と不気味な音を強めていく。「なんとか、ここから出ないと…犬夜叉たちは…」

「なぜ、私の名を知っている?」
弥勒はじろりと巨体の鬼を見上げた。
「て・め・えに、殺された柔鬼の恨み…この場で晴らしてやるぜ…その素っ首を掻き切ってなあ…!」
言うが早いか、剛鬼の丸太ん棒のような右腕が唸りをあげ、巨大な棍棒がぶうん、と横凪ぎに振り払われる。咄嗟に背後に飛んだ弥勒の袈裟の先がぴっ、と裂けた。
(なんて風圧だ…!)
「弥勒っ!」
鉄砕牙を構え直そうとした犬夜叉に、神楽の冷酷な言葉が投げ掛けられる。
「こっちの話を聞けってんだよ単細胞。今日はてめえとは闘うなって命令なのさ。後ろの二人が心配なら、そこでゆっくり見てることだ」
「あのデクの棒、四魂のかけらを身につけてやがるな…」
「へえ、察しがいいねえ。じゃあ一緒に見物しようじゃねえか。弥勒の首が落とされるところをな」
「くっ…」
犬夜叉の肩が震えた。このままでは自分は手を出せない。弥勒がむざむざやられるとは思っていないが、四魂のかけらを埋め込んだ妖怪と、いくら修行を積んでいるといっても、人間の弥勒とでは長期戦になると危険だ。
 剛鬼の棍棒と斧が振るわれる度に、低木がバキバキとへし折れ、四散する。懸命に動き回りながら、弥勒は隙を伺うが、絶え間なく飛んでくる両腕からの攻撃には踏み込む間がない。
(風穴が使えればなんということのない奴だが…)
最猛勝の大群は常に剛鬼の周囲と自分の背後を追ってきて離れない。うかつに開けば敵より先に毒虫を吸い込んでしまう。おそらく神楽は、風穴を開いた途端に竜巻を起こし、敵が吸い込まれるのを阻止するだろう。すると毒で自分の動きが鈍った途端に棍棒と斧の餌食だ。
(ならば、目くらましで活路を開くしかない!)
弥勒は懐から、いつか珊瑚から借りていた毒粉を取り出して地面に叩きつけた。ぼんっ、と音がして白い煙が周囲を覆う。左手に握った護符で鼻と口を押さえ、弥勒は煙の中に飛び込んだ。
「たわけが! こんなものが効くと思ってやがるのか」
剛鬼はまるでひるみもせずに棍棒を振り回す。巻き添えで最猛勝が何十匹と叩き落とされた。
「右足、もらったっ!」
剛鬼の背後に回り込んだ弥勒の錫杖が鞭のようにしなり、その右足首を直撃する直前、がきいん、と棍棒が錫杖をはね返した。
「ぐ…!」
両腕と全身にすさまじい衝撃が走る。痺れで危うく錫杖を落としそうになった弥勒に、斧が振り下ろされた。必死に転がってかわした真横にどがっ、と刃先が突き立ち、同時に焼け付くような痛みが左腕に走った。
(かすられたか…!)
ずん、と足を踏み出し、剛鬼は血走った眼で弥勒を見下ろしてきた。錫杖と共に思わず左腕を押さえた弥勒の右掌から鮮血が滴り落ちた。
「ただじゃあ殺さねえ。まずは足を切り落とす」
「恨まれたものだな私も。柔鬼とは貴様の何だ?」
「ゴミ屑みてえな人間に教える義理はねえが、俺のダチよ。てめえの腸を引きずり出してぶちまけ、首をはねて喰らってやらなきゃ、恨みは晴れねえ」
「ふん…何十人という人間にそうしてきた奴だった。貴様も似たようなもんだ。顔つきも頭の中身もな」
「…気が変わった。一撃でその面をブチ砕いてやる!」
剛鬼が棍棒を振り上げた瞬間、弥勒は懐からもう一発の毒粉を投げつけた。再び白い煙が周囲を覆う。
「馬鹿め! てめえの血の匂いがプンプンしてやがる。どこに隠れようがもう終わりだ!」
剛鬼の野獣の叫びが低木を震わせる。遠方から様子を伺う神楽が鉄扇をひらひらさせながら嘲った。
「馬鹿力だけでも恨みと四魂のかけらの力は大したもんだ。今日が弥勒の命日だね。墓に埋めるくらいの骨は残してやりゃあいいけど」
「もし、そうなりゃあ…」
神楽はびくっとして全身を硬直させた。犬夜叉の全身から寒気のするものを感じたのだ。
「てめえはこの場で殺す」
銀色の髪が逆立ち、鉄砕牙は火のように赤くゆらめいて見えた。

「珊瑚ちゃん、雲母に乗ろう」
かごめがきっ、と前方を見て言った。
「何か方法があるの?」
「あたしの矢は奈落の瘴気を消せる。神楽の起こす風もそう。四魂のかけらの気配の方向に打ち込んでみる。そこへ突っ込むしかない!」
「賭け…だね」
退治屋として数々の修羅場をくぐってきた珊瑚からみても、かごめの瞳に宿るこの勇気は同業者たちのそれを越えるものが感じられる。
「珊瑚、やるしかない。おらも狐火を使う。このままじゃ殺されるだけじゃ」
七宝が健気にも立ち上がって顔を向けた。
(あたしは、いい仲間を持てた…こんなところじゃ死ねない)
「雲母、いくよ」
主人の言葉に反応して、普段はリスと猫の中間のような姿をしている彼女の愛獣は、全身を炎のような巨猫に変えた。ゴオオオ…と周囲を旋回する風の向こうにかすかに感じる四魂のかけらの気配…珊瑚、七宝とともに雲母に乗ったかごめはそこに向けて弓をきりきりと引き絞る。破魔の思念が集中し、鏃が白く光る。
(あたし達は、負けない!)
七宝が狐火を周囲に出すと同時に、かごめは矢を放った。
「行け!」
珊瑚の言葉で、巨猫が矢を追うように飛び出した。

煙を切り裂いて飛んできた棍棒が左足をかすめた。
「がっ…!」
どおっ、とその場に倒れた弥勒の背後に剛鬼が斧を振り回しながら近づいてくる。立ち上がれない。腱をやられたか。死の予感が頭をよぎる。奈落にならともかく、このような雑魚妖怪に命を奪われるのは法師としての誇りが許さない。
(名残りは惜しいが、ここまでか…)
弥勒は上半身を起こし、右手の数珠に手をかけた。左腕からの出血は激しくなるばかりだ。最猛勝の大群が周囲を囲む。なぜか珊瑚の顔が浮かんだ。
(一度、笑った顔を見てみたかったな…)
「ふん。風穴かい」
神楽が鉄扇を振ろうとした瞬間、背後の竜巻の一角が異様な軋みをたてて崩れた。
「何!?」
振り向いた神楽の眼前を一筋の突風が突き抜けた。かごめの放った破魔の矢が唸りを上げて飛んでいく。
「かごめっ!」
犬夜叉の声に応えるかのように、竜巻の側面に開いた穴をぶち抜いて雲母が飛び出してきた。背中にのった二人と一匹は必死に身を伏せていたが、風の刃に衣服のあちこちが切り裂かれていた。
「神楽ーっ!」
稲妻のように飛び込んだ犬夜叉の右手の爪が一閃し、一瞬かごめの矢に気をとられた神楽の鉄扇をはね飛ばした。
「野郎…っ!」
扇を取り戻そうと神楽が走り込む。だが犬夜叉はさらにその先をいった。ばきん、と金属音が響き、神楽の眼前で鉄扇は鉄砕牙の刃先に貫かれて粉々になった。
「動くなアバズレ! てめえの負けだっ」
く、と唇をかむ神楽に犬夜叉が鉄砕牙をつきつけた。

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