『風の絆』 2

 翌朝は快晴だった。一行は早めの朝食をすませると、宿を立った。この旅に明確な行き先はない。四魂のかけらを巡る奈落一派との戦いはいつ始まり、どんな展開を見せるのかわからないが、はっきりしているのは奈落を倒さない限りこの旅は終わらないことだ。しかしこの旅の終わりは同時にこの一行の解散をも意味する。
(みんなは、どう思ってるんだろう…)
かごめはふとそんなことを考えた。戦いの最中にある内にそんなことを考える余裕はないかもしれない。元々がこの時代の人間ではない自分は、なりゆきからこの旅を始めたにすぎない。しかし、いつのまにか皆が一緒にいるのが自然に思えるようになってきた。犬夜叉、冥加、七宝、弥勒、そして珊瑚と雲母…現代での学業をほとんど放ったらかしにしているので、頃合をみて雲母→骨喰いの井戸経由で帰省はするが、犬夜叉への想いを自覚した時からは、ただ一緒にいたいという気持ちがすべての先にあった。宿命だの使命だの難しい言葉でなく、時を越えた仲間たちとして。
「なあかごめ。何をぼおっとしておるんじゃ?」
無邪気に七宝が聞いた。
「あ…ごめんごめん。ちょっとね」
かごめは会釈すると肩に飛び乗っていた七宝を抱く。昨夜は珊瑚が戻ってかなり経ってから弥勒も戻ったようだったが、特に二人とも普段と変わった様子がない。ただ珊瑚から妙な殺気めいたものは消えていたので、あえて何も聞かずにいた。こういうことは余計なことを言わないにこしたことはない。何気なく目をやった遠方の山々のふもとに、かごめは異様に光る一角をみつけた。
「あ、あの向こうに光…四魂のかけらの気配がある!」
「なにっ!」
真っ先に犬夜叉が振り向いた。

 山裾の低木林、その一角に、まるで巨大な鉈で刈り取られたかのようにぽっかりと円形に削られた部分があった。何よりも異様なのは、本来そこに生えていた木々が軒並み根本から切り取られ、円形の周囲に散りじりに飛ばされていたことだった。円形の中心部に、2つの影があった。一方は異様に肩と腕が盛り上がり、全身が赤黒い異形の者。申し訳程度のボロ切れを下半身にまとってはいるが、血走った二つの瞳と鉛直に突き出た牙。そして脳天にも存在感を示すかのように飛び出た一本の角。古来より人が「鬼」と呼んできたそいつは、一見普通の人間の娘であるかのような相手と向かい合っていた。その相手は一風変わった柄の長襦袢を着込み、黒髪を後ろで束ね、耳には5つの真珠のような飾りを吊るしていた。しかしその耳が異様に尖り、目の色が普通の人間とは明らかに異なっている。鬼が口を開いた。
「雑魚妖怪どもが妙な人間をかっ喰らって、おかしな妖怪もどきが生まれたとは聞いていたが、おめえがその手下かい。」
娘は手にした鉄扇をぱらりと開くと、ふっ、と鼻で笑うかのような素振りを見せた。
「あたしは別に手下をやってるつもりはないのさ。あん畜生に心臓を捕まれてるから、嫌々つきあってるだけ。できりゃ寝首かいてやりたいけどね、生憎首を切られたくらいじゃ死なねえんだよ。奈落って奴は」
「で、何だ? 俺にそいつをブッ殺してくれとでも頼みにきたのか?」
鬼はじろりと娘を睨んだ。
「あんたにゃ到底ムリだね」
娘は平然と言い返すと、鉄扇を閉じた。
「それよりも知ってんだろ? 四魂のかけらの話は」
「これか?」
鬼は自分の額を親指の爪でちょいと指した。ポウ…と青白い光を放つかけらが眉間に刺さっていた。
「あんたも気付いているはずだ。そいつを身につけてから力がえらくついたろう。妖怪の類が持つと妖力をはね上げる。多けりゃ多いほどにね。あたしが言いたいのはね、それを結構持ってる連中が、まもなくここを通るってことなのさ」
「ほお。要するにそれをぶん取れということか」
鬼は手にした刺まみれの棍棒をひょいと肩にかけた。
「頼み事ならそれなりに礼があるんだろうな。そのかけらを山分けというだけじゃいささか足りねえ。」
「何を望むってんだい? 剛鬼」
冷ややかな目で、娘…半妖奈落の分身にして風使いの神楽は、剛鬼と呼んだその鬼を見下ろした。
「俺の女になれ。不自由はさせねえ。もう少し力がつきゃあ、人間共の国の一つや二つ、手に入れるのは造作もねえことだ」
くっくっ、と笑いつつ鉄扇で口元を隠しながら、神楽は答えた。
「あんたはあたしの趣味じゃないねえ。それよりも、その四魂のかけらを持ってる連中の中に、弥勒って法師がいることの方が、あんたにとっちゃ大きいんじゃないのかい?」
剛鬼の血走った眼が一段とつり上がった。
「今、何と言った?」
肩に血管が浮き上がる。鬼の回りの空気がびりり、と震えるようなその気配に、さすがの神楽も少々眉をぴくりと動かした。
「弥勒、さ。右手に風穴を持ってる、うっとおしい野郎だ」
剛鬼はもはや全身をぴくぴくと震わせている。
「いいだろう。礼の話は、野郎をブチ殺してからだ」

「かごめ様、気配はどうです?」
弥勒はあくまで落ちついた口調で静かに口を開くが、眼光は鋭さを増していた。錫杖の先を目の高さまで下げ、一歩一歩をじっくり踏みしめて進む。不意打ちにも対応できる戦闘態勢である。彼を最後尾に、犬夜叉は例によって先頭を、鼻をひくひくさせながら進む。かごめは周囲をじっと見回し、珊瑚が飛来骨を肩に掛けてかごめをガードする。
「妖怪の匂いがするな…かごめ、気配が近づいたらすぐに言ってその場に伏せろ。一撃でしとめてやる」
犬夜叉は右手の指をゆっくりと曲げ伸ばししながら前方を睨んだ。低木林の中は不気味に静まりかえっているが、弥勒にもいいようのない殺気が感じられた。
(前から来るか、後ろから来るか…)
瞬間。
右斜め前方から森の空気を切り裂き、ごっ、とうなりを上げて何かが飛んできた。
「来たかいっ!」
犬夜叉の鉄砕牙が文字どおり牙を向いてそれをはじき返す。きいん、と金属音がしてそれは上方にはね返った。同時に飛び出した赤い影が恐ろしい勢いで一行に突進してきた。
「珊瑚っ、かごめ様を守れ!」
踏み込んだ弥勒の頭上に、赤い影が何かをぶん、と振り下ろす。咄嗟に身をかわしたその横に、ばきいん、と巨大な斧が突き立っていた。
「力任せの単細胞かっ」
数尺横に飛んだ弥勒が錫杖を構え直した。
「…となるとこりゃあ犬夜叉の担当ですな。頼みますよ」
「どういう意味でいっ!」
一言怒鳴りながらも、犬夜叉が鉄砕牙を突き出そうとしたその時。
ごっ、と猛烈な突風が巻き起こった。同時に無数の黒い羽虫が四方から一斉に姿を現し、昼間だというのに周囲が一瞬漆黒の闇に閉ざされたかのように見えた。
(最猛勝…! 奈落の匂いだ!)
犬夜叉が直感した時、突風は瞬く間に複数の竜巻に姿を変え、周囲の低木を次々となぎ倒し始めた。
「神楽かっ!」
弥勒が叫んだ時、竜巻の中でとりわけ大きなものが彼の背後に飛んだ。
「しまった! 珊瑚、逃げろっ」
「生憎だねえ。気付くのが遅い」
不適に鉄扇を操りながら、神楽がいつのまにかその場に立っていた。巨大な竜巻がその背後で渦巻いている。
「貴様…!」
ぎりっ、と歯がみする弥勒に、神楽は口元をほころばせて言う。
「かごめと珊瑚はこいつの中だ。下手に動くとなます切りだよ」
「てめえっ!」
走り込んできて鉄砕牙を振りかぶる犬夜叉に、神楽は冷笑を浴びせる。
「おっとおつむを冷やしな犬夜叉! そこで刀を振りきったら、後ろの二人も巻き添えだ。大人しくしてもらおうか」
ちっ、と舌打ちして鉄砕牙を降ろす犬夜叉の背後から、さっきの赤い影がぬっと近づいた。血走った眼孔は、犬夜叉ではなく、弥勒に向けられる。剛鬼は巨大な斧と棍棒を両手に、ずん、とそのへんの低木の幹なみに太い足を踏み出した。
「て・め・え・が、弥勒か…」
聞いただけで全身の毛が逆立つような殺気を込めた野獣の声が響いた。

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