犬夜叉回顧録1
なぜ犬かごのキスシーンは最後まで描かれなかったのか
−世相に一石を投じた原作者のポリシー−

 カミさんに聞いた話なのですが、ここ数年の少女コミック界、性描写がびっくりするほど過激なんだそうです。キスなど挨拶代わり、触るわベタるはいちゃるわ下半身まで…そんじょそこらの男性向けH漫画顔負けの大安売り状態ということです。
 なるほど携帯電話が爆発的に普及して出会い系サイトはやりたい放題、小学生の子にだって簡単に「自分サイト」が作れてしまう、そういう世相ではコミック界も過激な描写をしなけりゃたちまちそっぽを向かれて半端な漫画家は飯が食えない。てな時代なのかと筆者のようなオジサンは今更ながらに痛感するのです。

 【犬夜叉】は高橋先生の少年漫画でも最大の長期連載になりました。平成8年から12年半、週刊連載は558話、コミックスにして56巻。本サイトを開設した平成14年10月は「あと2年くらいで最終回かもしれない」なんて考えてましたが、結果的に6年近くも続きました。

 この作品、キスシーンが決してタブーだったわけじゃありません。“もう一人のヒロイン”桔梗と主人公犬夜叉は二度も唇を合わせてますし、サブキャラカップルの弥勒と珊瑚も一度やってます(弥勒は意識なしだったけど)。そんな中で、なぜヒロインのかごめと主人公犬夜叉のキスシーンが一度も描かれなかったのか?(最終話ではこの二人が夫婦になったことをきちんと描いているにも関わらず、です。)
 筆者はこの理由を考える時、原作者の強固なポリシーを感じざるをえないのです。

 承知のとおり、私がアニメを語ると毒まみれになるのでアニメ犬夜叉好きの人(まあそんな方は本サイトなど見向きもしないでしょうが^^;)は読まない方がよろしいでしょう。象徴的な劇場版第2弾【鏡の中の無幻城】は明らかに犬かごのキスシーンを“広告塔”にして客寄せに利用していました。既に別コーナーで書いたように、S氏お得意の残酷演出てんこ盛りのうえにです。
 これに対して原作者は連載第355話「かけらを使う」で強烈な反論をしてみせました。必死に抱きつき『負けないで』と願ったかごめの行動は、原作【犬夜叉】とは何であるかを体言していました。

 ベタ^2いちゃ^2が本当に幸せか?
 表層だけの愛情表現がそんなに重要なのか?
 形に表れにくい“心の絆”が無視されていいのか?
 高橋先生はこの長期大作の主人公とヒロインを通じて、固い“心の絆”を描くためにあえて二人のキスシーンを描かなかったのだと思えるのです。

 二人の“いいシーン”は何度も何度も丹念に描かれてきました。
会話で振り返る犬夜叉とかごめの12年{物凄く多いのでまだ整理中^^;。少しずつリンクさせていきます}
↑こうやって並べてみると、少しずつゆっくりと、しかし着実に仲が進捗していることがよくわかります。盛大なケンカをやることもあったけれど、その都度“復元力”も養ってきました。
 最終回の3話前、犬夜叉が盛大に告白したぞと話したらカミさん曰く「何を今更。10年前から公認じゃん」(^^;)。特に贔屓でない一般読者からすれば、犬かごの仲というのは連載の“公理”なわけですよ。

 最終回を読み終えた後、この大長編の主人公とヒロインの描き方にこそるーみっくの真骨頂があった、と改めて思います。
 かごめが高校に通っていた三年間、離ればなれだった二人の心境。井戸がつながらなかったのは、本人が独白したように気持ちの問題…だとすればそれはおそらく、成り行きとはいえ丸一年の間散々休み続けたことと、丸三日の間井戸ごと消えていて猛烈に心配をかけた家族と級友への贖罪。そして高卒という現代では平均的な教育課程を終えて、母への恩返しができたところで井戸が繋がる…絶妙の展開だったと思います。
 自分は大好きな彼のところへ行く。これをどんな表情で母に告げたのか。弟の草太が『高校出てすぐ、嫁に行った』という短い一言で家族の解釈を見事に表す。『お義兄さーん!』の一声と直後の兄弟のリアクションで、殺生丸と犬夜叉とかごめの関係を鮮やかに描写する。
 いやもう読み返せば読み返すほど味わい深い、素晴らしいラストでした。

 キスシーンを直接描かずとも、これだけ固い絆とぬくもりを表現することができる。【犬夜叉】の主人公とヒロインは、まさに原作者による大きな挑戦だったのです。「ラスボス奈落が何を欲していて、結局それがかなわずに終わったのか」という面から見ても、これは実に象徴的でした。
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