甘やかな芳香と、微かに感じる擽ったくも心地良い感触。 まだ夢の中を彷徨っている様な感覚のまま、新次郎は薄っすらと目を開ける。 遠い日本の暦では、もう春を迎えた筈だったが紐育では今朝も底冷えする寒さだろう。 普段であれば布団の隙間から入り込む冷気で目が覚めるのだが、今日は何時もと違い冷 え込んだ部屋の温度を感じる事はなかった。 身体を包む不思議な暖かさに、再び眠りに落ちそうになる誘惑に駆られながらも、頭の 片隅で燻る頭痛が気になり、新次郎は重たい瞼をもう一度開く。 見上げる天井は普段と同じ、カーテンの隙間越しに外を眺めてみるとまだ夜と朝の境、 絵具で色分けしたような空が見えた。 異国での生活、繰り返す日常、当たり前の朝・・・。 今日も普段と同じ、紐育での生活が待っている。 『ん・・・?』 ベッドから起き上がろうと、体を動かそうとした処で違和感に気が付く。 そして左右に顔を動かしたところで、新次郎の身体が不自然な状態のまま硬直した。 『前略、母さん・・・』  視線を元に戻し、再び天井を眺めながら新次郎は心の中で深く嘆息する。 しかし普段手紙では絶対に書けない様な今の状況を思い出し、思わず故郷の母親に贖罪 を込めて心の中で報告する・・・。 『紐育での生活は・・・。大変なんですっ!!』 思いつきSS7 太陽と月の狭間で Written by G7 リトルリップシアターの新演目として発表された「赤毛のアン」、日本ではまだ馴染みの 無い物語だったが、此処紐育では「良き故郷」を感じさせる話らしい。  ジェミニやリカリッタ、ダイアナといった新しいメンバー達も舞台に慣れ、各々の個性 的なキャラクターも揃った事もあり、シアターで上演される演目も色々と選択の幅が広が ったとサニーサイドなどは嬉しい悲鳴を上げている。  そしてメンバーが増え定着した事で、もう一つリトルリップシアターで頻繁に催される 事になった行事があった。 演目や宣伝などとは違うそれは、極々内輪のイベントである公演後の打ち上げ、所謂「宴 会」が頻繁に行われる様になったのだ。 様々な戦いや紆余曲折を経て、メンバー達の仲間としての意識、その友情も確実に深ま った事も大きな一因として挙げられるだろう。  そんな中で行われた昨夜の打ち上げは、此処最近稀に見る盛り上がりを見せた。 主役であるアンの大役を果たしたジェミニの興奮は言わずもがな、興行的にも成功を収 めた事で、サニーサイドからはご祝儀と労いの意味を込めた飲み物や料理が提供された。 豪華な食材を使った料理の数々に豊富なドリンク類、勿論その中には酒精の類も含まれ ている。 正直、新次郎には酒の良し悪しなどは判らなかったが、禁酒法が施行されているこの亜 米利加で、これだけの量と質を揃える辺りに、サニーサイドの力の入れようが感じられた。 新次郎自身、酒は嗜まないし正直飲めもしないのだが、宴会独特の華やいだ雰囲気は好 きだったし、純粋にメンバー達と騒ぐのは楽しかった。 そう昨夜の宴会も最初の内は楽しかったのだ・・・。 いや、最後まで楽しく無かったかと云われれば、決してそんな事は無かったのだが、昨 日の出来事を思い出すのを拒むように、記憶を辿ろうとするとそれを邪魔する様に鈍い痛 みが広がるのだった・・・。 ◆ 「坊ゃ〜、飲んでぅかぁ〜」  グラスを掲げながらサジータが新次郎にしなだれる。 「さっサジータさんっ!飲み過ぎですよ」  アルコール混じりの甘く熱い囁きを耳元に掛けられ、新次郎は擽ったさとは別の感覚に ゾクっとするような身震いを覚えた。 「ちょっと、引っ付き過ぎですよ。くっ苦しいです!」  新次郎が上げる抗議の声を塞ぐ様に、サジータは自分の胸に新次郎を引き寄せる。  酔いが廻っている所為か、力の加減が出来ていないサジータの腕に包まれた新次郎の顔 が、羞恥によるものだけでないスピードで朱に染まって行く。 「しんじろ〜、かお真っ赤っか〜」  瞬時に真っ赤になった新次郎の周りで、リカが嬉しそうに飛び跳ねる。 「あらあら・・・」  普段であればこのようなドタバタとした騒ぎに眉を顰めるダイアナも、この日ばかりは 暢気に馬鹿騒ぎを眺めているばかりだった。  眼鏡のフレームで隠れてはいたが、その頬がほんのりと上気していたのは場の雰囲気だ けでなく、手に持ったグラスの中の怪しげな液体の所為なのかもしれない・・・。  そんな様子を少し離れたテーブルから眺める二人、紐育華檄団総司令と副指令という肩 書きを持つ男女の姿があった。 「おやおや、楽しそうだねぇ、ラチェットくん」 サニーサイドは普段浮かべる不遜めいた笑顔に、幾許かの揶揄するような含みを乗せて 隣に立つラチェットに声を掛ける。 「そう見えるのかしら、サニー」  新次郎達の事なのか、若しくは彼女自身の事を指しての問い掛けなのかは分からなかっ たが、サニーサイドの言葉に対し暫しの間を置いた後、ラチェットは押し殺したような低 い声でどちらとも付かない返答をする。ワイングラスを握る繊細な指は薄っすらと朱に染 まり、その頬もアルコールとは別の要因で色付いている様子だった。 「おいおい、どうしたんだい。そんな怖い顔をして?」  一見すると彼女を案じる様な台詞だったが、サニーサイドの表情は込み上げる笑いを堪 える様にも見える。 「気になるんだろう、彼の事が・・・?」 「別に私は、副指令として隊の風紀や規律が乱れる様な事が心配なだけよっ!」  意識した訳ではなかったが、思わず大きくなってしまった自分の声に、ラチェットは気 不味そうに形の良い眉を顰めた。 「眉間の皺、癖になるよ」  火に油を注ぐようなサニーサイドの言葉に、ラチェットが反論しようとした時、背後か ら彼女を諌める声が聞こえた。 「ラチェット、欧州星組で同期だった好誼で教えよう」 「昴・・・?」  ラチェットが振り向くと、扇子で口元を隠しながら此方に近づく昴の姿があった。 「人間の想いは肩書や年の差でどうとなるものでは無い、『精神一到何事か成らざらん』と いう諺が日本にはある。つまりはサジータの様に、己の気持を前面に出す事で道が開ける 時もある・・・」 「Nothing is impossible to a willing mind、って事ね・・・。ありがとう昴」  先程までの表情が嘘のように、晴々とした笑顔で昴に言葉を残し、ラチェットは小走り に喧騒の輪の中に向かう。 「随分と『らしくない』と思うんだがね・・・」  そんな様子を眺めていたサニーサイドが、ラチェットと替わり様に彼の横に立つ昴に話 かける。 「ふふっ・・・、それはラチェットに対してかい?それとも僕の事だろうか?」  サニーサイドの言葉を昴は艶やかな笑みで切り返した。 「どちらもだよ。日本の諺まで出して、彼女を焚付ける事をするなんて・・・。僕の見立てで は、君だって大河くんの事を憎からず思っていると見ていたんだけどね?」 「どうだろうね、それは想像に任せるよ・・・。しかし、正面突破だけが戦いの正道では無い という事だよ・・・」 「二人をぶつけ合って、自分は『漁夫の利』を狙おうって事かい?」  扇子で口元を隠す昴の表情、此方を眺める涼やかな瞳だけでは、サニーサイドもその真 意を捉える事が出来なかった。  舞う様に軽やかに踵を返す昴を見送りながら、サニーサイドはゆっくりと手の中のグラ スを空ける。 「まっ、色々なアプローチの仕方があるんだろうけれど・・・。でも色恋沙汰ってのはねぇ、 亜米利加にもMan is fire, and woman is towなんて諺もある訳だし・・・」  そんな呟きを洩らしながらも何処か楽しそうなサニーサイドは、ラチェットが輪に入っ た事で更に騒ぎが大きくなるメンバー達に向け、新しいグラスを持ったまま両手を広げた。 「何はともあれ、イッツ・ショータイムって感じだねっ!」 ◆ 「サジータ、貴女仮にも弁護士でしょう!少しは道徳を弁えて行動しなさいっ!」  余程今までのサジータの行動に腹が立っていたのだろう、騒ぎの輪に入る途端ラチェッ トはサジータから新次郎を引き剥がしにかかる。 「らめぇ、新次郎はアタシのらぁ〜」  しかし酔いの廻ったサジータは引き離された新次郎に再び縋り付く。 「うぷっ!」  二人の身長差もあって、今度はダイレクトにサジータの胸が新次郎の顔を被ってしまう 格好になってしまった。 「ハッハ、坊やは満更でも無さそうだよ、ラチェットぉ〜?」  それまで呂律の廻っていなかったサジータだったが、新次郎を胸に抱きながら含みを乗 せた目線をラチェットに送る。  彼女の視線を受け止めながら、真っ赤になりながらも徐々に抵抗が少なくなる新次郎の 姿を確認すると、ラチェットの柳眉が数段角度を上げる。  そして僅かに自分の胸に視線を向けた後、ラチェットが再び彼女に向き合うとサジータ の視線には勝ち誇った余裕が浮かんでいた。 「・・・っ!」  酔ってはいても敏腕と呼ばれる弁護士であるサジータだった、口論・・では彼女に 勝てないと察したラチェットは焦りと怒りを堪えながら次なる策を考える。 『落着いて、戦略立案なら私の方が上の筈・・・』 「そういう勝負だったら、私も参戦しようかしらぁ〜」  ラチェットが次の策を打てないで焦っているその時、鼻にかかる甘い声でプラムが三人 の間に割って入ろうとした。 「「ムッ!!」」  次の瞬間、ラチェットとサジータの視線が同時にプラムを射抜く。  実戦でも見せたことの無い二人の連携攻撃に、プラムは敢無く撤退する。 「きゃふぅ〜ん、杏里〜」 「知りませんよ」  後ろに下がったプラムは、遠巻きに騒ぎを眺めていた杏里に助けを求めるが、取り付く 島も無い。そして彼女はチラッと自分の胸を見下ろして深い溜息を付く。 「本当に皆、あんな人の何処が好いのかしら・・・」  此方も何かと複雑な感情が渦巻いているようだった。  昨日の敵は明日の友、この場合であれば今日の友は明日の敵とでも云えば良いのだろう か、プラムを撃退した二人は再び視線を絡ませ火花を散らす。  しかし肝心の新次郎がサジータの胸中にある以上、戦いのアドバンテージは明らかであ り、やはり先手を切ったのはサジータの方からだった。 「ほら、こんなに紅くなって・・・、本当に坊やは初心なんだから。食べちゃいたいくらい可 愛いよ」  サジータは自分の胸の中で朦朧としている新次郎に、頬擦りせんばかりの距離で囁く。 「たっ食べちゃいたいって、サジータ、貴女何を言ってるのっ!」  現状に対する打開策が見出せないラチェットは、サジータの言葉に含まれた意味と焦り からくる怒りに頬を紅潮させた。 「食べるって、しんじろーはサジータの『もしものごはん』なのか?でも、リカはしんじ ろーよりチコの方が美味そうだと思うけれど・・・」  サジータの言葉を額面通り受け止めたリカが、不思議そうに首を捻る。 「アタシは『もしも』でなくても、『毎日』でも良いんだけれどねぇ・・・」 そう言いって瞳に艶のある輝きを湛えながら、サジータは再度新次郎に顔を寄せた。 「あらあら、大胆発言ですね・・・」  既に何杯目なのかは判らないが、新しいグラスを持ったダイアナもサジータを止める気 は無い様だった。 「新次郎は一人で大人の階段を上がっちゃうんだね・・・」  口調こそ寂しげだったが、ジェミニも興味津々で事の成行きを眺めるばかりだ。 「そこまでよっ!!」  サジータの唇が新次郎に触れる直前、ラチェットの叫びが周囲のメンバーの行動を固ま らせ、視線が一斉に彼女に集中する。 「貰うわっ!」  云うが早いかラチェットはダイアナの手の中にあったグラスを奪い取り、一気にその中 身を飲み干してしまう。 「はぁ〜、良い飲みっぷりですねぇ」  ダイアナ自身かなり酔っている為だろうか、自分のグラスが奪われた事よりも、普段の ラチェットなら考えられない様な行動に賞賛を送る。  僅かな間を置いた後、ラチェットは無言で縺れ合う二人の元に歩み寄って行く。  その場に居合わせた全員が、固唾を飲んで彼女の行動に注目する。 「大河くんっ!」 「はっはい!」  感情を抑えた声のラチェットの言葉に、新次郎は思わず普段と同じ畏まった返事をして しまう。  隣のサジータも微かに緊張した面持ちで、ラチェットの動向に気を奪われ抱きしめる力 が微かに緩むのが判る、。 「私だってっ!」  力を振り絞って叫ぶと同時に、ラチェットは二人の間に身体を滑り込ませる様にして新 次郎を奪取する事に成功した。  そして、そのまま間髪を入れずに、自分の胸の中へ新次郎を抱え込む。 「私だって、私だって、大河君をこうして『ぎゅっ』って抱きしめたかったのよっ!図書 館で会った時だって、大河君の部屋で看病した時だってそう・・・。でも、でも私は大河君よ り年上だし上官でもある訳だし、自分の気持をず〜っと押さえ込んでいたんだから・・・」  ラチェットの胸の中では新次郎が苦しそうにもがいていたが、彼女の独白は止まらない。 「それなのにサジータは酔いに任せて、大河君にあんな事を・・・。そして剰え、そんな事ま でしようとするなんてっ!今は私だって酔っているんだから許されても良い筈よ・・・。そう、 私も日本で学んだのよ、宴会は無礼講だって!」  一気に捲し立てた後、ラチェットは途中からグッタリしてしまった新次郎の頬に両手を 添えて、優しく上を向かせる。 「大河君・・・」 「ラチェットさん・・・」  新次郎の紐育での初めての実戦、擱坐した霊子甲冑からラチェットを抱きかかえた時と は逆に、今度は新次郎がラチェットを見上げる形になる。 「やはり大河君は私の・・・・・・」 「・・・」  見下ろすラチェットの髪が新次郎の頬を撫で、互いの吐息が感じられそうな距離で見つ め合う二人。 次に何かの切っ掛けがあれば、互いに自然に引合うように見えた。 ━ゴクっ・・・━  不意に新次郎の咽が鳴る。当然すぐ傍にいるラチェットにも聞かれてしまっただろうと、 新次郎は恥ずかしげに彼女から目を逸らそうとするが、ラチェットは優しく目を細めなが ら首を振る。 「良いのよ、私だって凄く緊張してるもの・・・」  そう言いながらラチェットは新次郎の手を取り、自らの首の奥へ引き寄せる。  普段見ることも、況してや触れることなど考えもしなかった場所への誘いに驚いて離れ ようとするが、添えられた彼女の手がそれを押し止める。  指先から感じるラチェットの心音と体温は確かに自分と同じ鼓動を刻み、その暖かさと 相俟って不思議と新次郎を安心させた。 それまで驚きと羞恥が占めていた顔から、新次郎の表情に穏やかな色が浮かぶのを見て、 事の成行きを呆然と眺めていたサジータが悔しそうに歯噛みする。   しかし時既に遅く、何を言ったとしても二人の距離は数センチまで近づいており、この まま済し崩し的に事は成就されてしまうかに見えた。 「そこまでだ・・・」  新次郎の眼前に迫っていたラチェットの顔が、突然横合いから聞こえる声と共に隠れて しまう。  徐々に目が慣れると、昴の伸ばした扇子が二人の顔の間に広がっているのが判る。  しかもそれは普段昴が手にする扇ではなく、新次郎との決闘時に使用された鉄扇だ。 「「昴・・・(さん)?」」  互いに鉄扇に遮られたまま、何時の間にか二人の横に立つ昴に顔を向ける。 「宴会とは飲み語らう事で楽しみ親睦を深めるものだ。『人を知るは酒が近道』という諺も ある、しかし大河、君は宴会だと言うのに一滴の酒も飲んでいない・・・。故に昴は思う、だ から君は此れを飲むべきだと・・・」 「「はいっ?」」  二人の疑問の声を無視したまま、昴は並々と注がれたグラスを新次郎の目の前に差し出 す。 「あの昴さん、言葉の意味が判らないんですが・・・」:  新次郎の目の前に突きつけられたグラスには、ダイアナが持つグラスと同じ怪しげな液 体が揺れている。 「さあ・・・」  助けを呼ぼうにも視界は鉄扇で遮られ、口調こそ普段と同じ静かなものだったが、その 声に秘められた迫力に新次郎は気圧されてしまう。 見惚れてしまいそうになるその秀麗な面持ちも、何処か険があるように感じるのは新次 郎の心の何処かに、現状に対する後ろめたさがあるからだろうか。 「どうしたしんじろー、取敢えず行っとけ〜っ!」  横からリカの無責任な煽り声も聞こえるが、新次郎としてはこの状況下で昴の表情を見 る限り、素直に従うのも非常に危険なものを感じるのだった。 「飲まないのだったら、口移しでもして飲ませようか?」 その先にある昴の瞳は、心成しか冗談を言っているそれには見えない。 「なっ、何を言ってい・・・」 「やっと口を開いた」  新次郎が最後まで言葉を言い切る前に、昴は手に持ったグラスの中身を新次郎の口腔へ と流し込む。  その余りにも鮮やかな一連の流れに、周囲にいた誰一人として止める間もなかった。  そして空のグラスを持ったまま、小指と薬指だけで器用に新次郎の鼻を軽く摘む。 「む〜っ!」 ━ごっくん━  呼吸を阻まれた新次郎は、生命への渇望から口内の液体を一気に飲込んでから、荒く呼 吸を再開させる。  息の乱れは数秒間呼吸が止まった為では無く、もっと違う何かが咽や胃の奥から凄まじ い熱量を持って身体を駆け抜けて行くからだった。  平衡感覚が喪失したように視界がグルグルと回り、新次郎の身体はフラフラと倒れかけ の独楽のように安定しない。 「大河くん、大丈夫なの!?」  見かねたラチェットが声をかけるが、此方も先程一気飲みした怪しげな液体の為か、普 段の彼女とは違い微妙に呂律が廻っていない。 「らしぇっとさん?」  傍から見ても尋常で無い程に、新次郎の身体は熱を帯び赤くなっている。 「坊や」 「新次郎っ!」 「大河」 「大河さん」 「しんじろ〜」 今にも倒れそうな新次郎に対し、メンバー達が一斉に駆け寄る。 そして後はお約束の大騒動が始まる・・・。 そんな姦しい光景を眺めながら、騒ぎに加わらないサニーサイドは一人呟く。 「ショータイムは始まったばかりか・・・、今夜も楽しい夜になりそうだ」                      ◆ 『あの後の記憶が全く無いけれど、此処はぼくの部屋で・・・そして・・・』  朧げな記憶を遡りながら、再度重たい頭で新次郎は左右を確認する。 『なんでラチェットさんとサジータさんが?』  右手にはラチェット、左手にはサジータがそれぞれ新次郎の腕に抱き着く形で同じベッ ドの上で眠っているのだ。 『昨夜、一体何があったのだろう?』  しかも二人共にスーツは脱いでおり、ブラウスの胸元は大胆に肌蹴ている状態だった。 互いに新次郎の腕にしがみ付き、顔を寄せている為に解いたサジータの髪とラチェット の髪が彼の胸の上で柔らかく絡んでいる。  新次郎でなくとも、色々と考えてしまうであろう状況だった。  普段の新次郎であれば一瞬で頭に血が上ってしまいそうな光景だったが、唐突に途切れ た昨夜の記憶と三人が同じ床で寝ているという尋常でない現実が、新次郎の気持を逆に 冷静なものにさせる。 「んっ・・・」 「むにゃ・・・」  時を同じくして、寝言とも吐息ともつかない声を出しながら身動ぎするラチェットとサ ジータ。 『・・・っ!』  そんな二人の動きに、新次郎は思わず驚きの声を上げそうになってしまう。  どうにか声を抑え、二人を起こさなかった事に安堵しながら新次郎は再び左右に目を向 ける。  徐々に角度を上げて差し込む朝日に照らされてゆく彼女達の安らいだ寝顔。  ぬばたまの髪はその陽光の輝きをも吸込み、しなやかな曲線を描きながら太陽のフレア の様に自ら輝きを放つ。 そして吐息が触れただけで霧散してしまいそうな繊細なプラチナブロンド、しかしそれは 儚い輝きではなく、まだ光が差し込んでいない薄闇の中でも月光の如く煌々と輝いている。 『太陽と月の女神・・・』  自分でも陳腐な表現だとは思ったが、新次郎自身心の中で呟いてみると意外とその喩え が的を得ている気がしてきた。  そしてふと太陽と月に挟まれた今の自分は何なのだろうと考えてみる。  人は憧れを抱きながら空を眺める。  手に届かないから、決して触れることも出来ず見上げることしか出来ないからこそ、そ の姿に美しさを感じるのだろう。  しかし今、自らの手の届く距離に、肌の触れ合う距離にその身を置いているのだ。  この二人の女性から、好意に近い感情を向けられていると感じるのは自分の自惚れなの だろうか・・・。  そして自分自身も彼女達に対し、好意以上の何かを感じているのも確かだった。  道徳的に考えれば、複数の相手に懸想するなど許されない事だと思う。  だがこうして横に眠る二人を見ていると、それぞれが違う個性・魅力に溢れ輝くばかり に美しい彼女達を、一人の男として好意を抱くのは不可抗力なのかもしれない。 『さしずめ、ぼくは迷える子羊って処だろうか・・・』  何故か苦笑いにも似た笑みが浮かぶが、今感じる幸せな気分は微塵も揺らぐ事はなかっ た。  太陽と月の女神は、それぞれ新次郎の両脇で静かに寝息を立てている。  そんな彼女達を見ていて湧き上がる幸せな感情を胸に、新次郎は再び心の中で普段の手 紙の様に語りだす。 『前略、母さん。 紐育では人間として男として、まだまだ学ぶ事が沢山あります。 日本に帰るのは、更に先の事になりそうですが・・・。 その時にはきっと、胸を張って紹介出来る女性と一緒に帰りたいと思っています。 何時かぼくも一郎叔父のように、立派な星組隊長になってみせます!!』  心の手紙が完結すると、新次郎は目を閉じる。  起床まではまだ少し時間があるのだ、だからもう少しこの幸せな気持のまま眠りに落ち たい。そんな誘惑に身を任せ、新次郎は緩やかに夢の世界に旅立って行った・・・。 数時間後、昨夜の泥酔状態を心配して新次郎のアパートにやって来た星組メンバー達、 しかしそこで見たのは、協議の結果に新次郎を送って行ったサジータとラチェットが仲良 く川の字になって寝ている姿を発見し、一騒動あったのはまた別の機会に語られるであろ う・・・。 そして何故、このような状況で三人が床を同じくしていたかという最大の謎は、この先 に於いて記憶の無い新次郎を悩ませる事になる。 個別に尋ねても上手くはぐらかされてしまい、二人が揃った時に話をしてみても彼女達 は目を見合わせて、新次郎にはまだ解らない不思議な笑みを浮かべるだけだった・・・。 太陽と月、互いに行き来する狭間で空を見上げているだけでは、その存在は憧憬と想像 いうベールに包まれたままであり、その真実は謎のままだろう。 近い将来、人類が自らの力で宇宙そらに飛立つ時代が来る様に、新次郎が真の意味で 大人になった時、彼女達の笑みの意味が解るのかもしれない・・・。                         ━fin━




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