思い付き SS 6




─節分の思い出─ Written by G7 柔らかい日差しの差し込む窓の外、細い枝に小さな蕾をつけた梅の木が見えた。 風に揺られながらも、厳しい冬を乗り切ったその枝は、しなやかな強さと生命の息吹を 感じさせる。 マリアはサロンのソファーに腰掛けたまま、そんな春の先触れを眺めていた。 「もう、春だなぁ…」 同じく外を眺めていたカンナが、ぽつりと呟いた。 答えを求めた言葉では無かったが、マリアもカンナに応えるように口を開く。 「そうね…、暦の上でも、もうすぐ立春だものね…」 「その前に、節分があるけどな…」 カンナの言葉にマリアが振り向くと、僅かに含みのある笑みを浮かべた彼女の視線に気 付き、その意味を探ろうと視線を泳がす。 「……」 「へへっ…」 「そんな笑い方して…」 カンナの笑みの意味を理解したマリアは、拗ねたように視線を逸らしてしまう。 「だってよ、あの時のマリアったらよ…」 「まだ日本に来て、間も無い頃の話でしょう!」 お互いに言い争っているようにも見えたが、二人の瞳を見る限りは、コミュニュケーシ ョンの延長にも感じられた。 「どうしたんだい、二人とも?お茶を煎れようと思うのだけれど…」 終わらないマリアとカンナの遣り取りの後ろから、大きなトレーにティーセットを乗せ た大神が二人の前に姿を現す。 「あれっ?アイリス達はどうしたの?」 大神が左右を見まわしながら部屋の中を確認するが、普段この時間帯にサロンに集まっ ているメンバー達の姿は無く、マリアとカンナ以外の人影は見当たらなかった。 「疲れが出たのでしょう、お昼を食べ終わって、今は少し横になっています」 マリアが大神からトレーを受け取りながら、状況を説明する。 稽古や取立てて急ぐ用事も無かった午前中、散歩に出ようとしたマリアと偶然ロビーで 一緒になった年少組の二人、そこに暇を持て余したカンナが付き添う事になり、ちょっと したお出かけと相成ったのだ。 マリアの予定とは違いアイリスの要望などを聞いているうちに、かなり遠くまで歩いて しまい、年少組の二人は昼食の後、疲れと満腹によって昼寝の真っ最中だった。 「お湯、沢山持って来ちゃったなぁ」 確かに、ここにいる三人で飲むには、大きすぎるお湯入れがトレーの上に乗っている。 「まぁ、いいんじゃないか、ゆっくり話しでもしながら飲めば…」 「それもそうだな」 カンナの意見に肯きながら、大神もソファーに腰を下ろす。 「処で、何の話をしていたんだい?」 お茶の準備をしているマリアからお茶請けを受け取りながら、大神はさり気無くカンナ に尋ねた。 ─ガチャ!─ カップを並べていたマリアの方向から、派手な音が聞えた。 何処か落着かない様子で準備を進める彼女を、カンナはニヤニヤと楽しそうな表情で眺 める。 「もうすぐ節分だろう?昔、節分の日にある事件が起ってな…」 「カンナっ!」 お茶の準備もそっちのけで、マリアが話を遮ろうとするが、カンナは構わずに話しを続 けた。 「あれは、まだ帝劇がオープンする少し前だったっけ…」 ◇ 太正11年2月・・・。 まだ工事中の大帝国劇場、深夜の厨房。 まだ劇場部分の工事が終了しておらず、正式な完成は4月の予定だったが、隊員達の居 住スペースや職員達の執務室などは完成しており、既にその内部は動き出しオープンに向 けての準備が進められていた。 そんな真新しい厨房で、マリアは目の前に横たわる物体を見つめていた。 厨房の照明がその表面の黒々しさを反射させ、際立たせる…。 『本当に、こんな物を食べるというの…?』 その物体を凝視しながら、既にかなりの時間が経過していた。 明日のことを考えれば、もう床に就いていなければならない時間帯、しかしまだ肌寒さ を残す深夜の厨房で、マリアは一人悩んでいるのだ。 『しかし、私が先陣を切ってみせなければ…。そう、私は隊長として…』 マリアは一人悲壮な決意に身を固め、先日所要で花やしき支部を訪れた際に、新しく配 属された李 紅蘭に聞いた話を思い出す。 最初は他愛も無い世間話だった…。 「日本には、節分言う日に行う行事があるんや」 「セツブン…?」 「そうや、春が来るっちゅう前の日に行う行事なんやけど」 『クリスマス・イヴみたいなものかしら…?』 記憶を辿ってみても、日本人だった母から聞いた事の無い風習に、マリアは自分なりの 解釈で紅蘭の話を聞く。 「ウチも神戸に居った時に聞いた話なんやけど、何でも鬼の金棒に見立てた太巻、恵方巻 っちゅうモノを食べて、鬼を払い福を呼ぶっちゅう話や」 『金棒?太巻き…?』 聞き慣れない単語に、漠然としか内容を理解できなかったマリアであったが、初めて聞 く日本の風習に知的好奇心を擽られる。 興味深く話を聞くマリアに対し、身振り手振りを交えて紅蘭は話しを続け、その場は解 散となったのだが…。 そして今、マリアは自分で作った太巻きを前に悩んでいるのだった。 現在は3名しかいない「帝国華撃団」であったが、彼女はその初代隊長として任命され ていた。 隊長として隊をまとめて行く事は勿論、同時に結成された「帝国歌劇団」の女優も勤め る事になる。 女優業は「華撃団」の隠れ蓑に過ぎないと思っていたマリアだったが、日々進んでいる 帝劇の工事の様子を見ていると、その認識を改めてしまうのだった。 これから華撃団の一員として、舞台女優としても日本で暮らす事になる。 カンナは別にしても、マリアとアイリスが日本の風習や習慣に疎い事は確かだった。 そこで自分自身が日本に馴染む為、隊員達の親睦を図る為にも、マリアは「節分」とい う行事を行ってみようと考え、深夜の厨房で事前演習を行った。 失敗が許されない作戦などでは無かったが、彼女自身も自分が立案した試みを成功させ たかったし、僅かに芽生え始めた隊長としての責任も後押ししている。 しかし、文献を調べて作ってみた太巻きだったが、確かに書いてある通りに作った筈な のに、本当に目の前の物体が文献通りの太巻きなのか自信が無かった。 辺りに充満する酢の香り、だらしなく横たわる黒い物体…。 料理を作る事は、決して得意と云うわけでは無いが、苦手ではなかった筈だ…。 「……」 しかし、どんな角度から見てみようにも、自分が作ったとは思えない作品である。 西洋のレシピと違い、日本のレシピには正確な分量などが載っていなかった事も彼女の 判断を微妙に迷わせていたのかもしれない。 「適量」や「自分のお好みで」などと書かれても、見た事も食べた事も無い料理である、 何を基準にして良いものか判らないのだ。 「でも、失敗はしていないわよ…」 マリアは自分自身を納得させるように呟くと、太巻きを持ち上げて口に近づける。 ─もう一つ、食べる時のルールっちゅうモンが有ってな・・・。 食べる時には、その年の干支の方角を向く。 そして食べている間は、誰とも喋ってはアカン…。 喋ったら福が来ないって言うてたわ…─ 「色々と制約があるものなのね…」 そんな紅蘭の言葉を思い出しながら、マリアは虚覚えの干支の方向に向かい、一口に太 巻きを頬張った。 「むぐっ…」 勢いで口の中に入れたのは良かったが、あまりの大きさに口が動かない。 咀嚼しようにも、意外なほどの太巻きのボリュームに口を動かす事も引き抜く事も出来 なくなってしまう。 「……」 何とかして状況を打破しようと、必死に太巻きと格闘するマリア。 『この風習、アイリスにはとても無理だわ…』 冷静に分析しながらも、必死に咀嚼しようとするが上手くは行かないようだった。 本人は真剣に取り組んでいるのだが、傍から見たその姿は何処か抜けている事に彼女は 気付いていない・・・。。 「誰か居るのか?」 厨房のドアを開く音と同時に聞える声に、マリアは思いっきり身体を震わせ反応してし まう。 「マリア…?」 『何故カンナがこんな時間に…?』 最近は聞き慣れた同僚の声と、後ろから近づく彼女の気配を感じながらも、マリアは背 中を向けたまま返事を返せない。 ─食べてる間は誰とも喋っててはアカン…─ 再び頭に過ぎる紅蘭の言葉・・・。 「マリア?」 「……」 「調子でも悪いのか…?」 呼びかけても返事をしないマリアに対し、カンナの声にも心配の色が混じる。 『ごめんなさい、カンナ・・・。応える訳にはいかないのよ…』 「マリアっ!」 カンナがマリアの肩を掴み、強引に振り向かせる。 「……」 「……」 太巻きを咥えたまま、バツの悪そうな表情のマリア・・・。 ぽかんと口を開けたまま、次の言葉が出てこないカンナ・・・。 短い沈黙の後、カンナが取り繕うに口を開きながら後退さる。 「ははっ…、夜中に腹が空く事もあるよな・・・。ゴメンな、ちょっと喉が渇いたもんだから、 水を飲みに来たんだけれど…。でも意外だよな、マリアって以外と…」 『誤解しているっ!』 咄嗟に口を開こうとするが喋れない。 紅蘭の言葉を思い出した事もあったが、実際は太巻きが口に入ったままで言葉を発する 事が出来なかったのだ。 ─ぎゅっ─ 「っと・・・、マリアどうしたんだよ?」 やや引き攣った笑みを浮かべて後退るカンナの胴衣の端を、マリアはしっかりと握り締 めて離さない。 『このままカンナを帰してはいけない…』 隊長としての威厳という事も頭を過ったが、マリアとしては何より彼女が自分を誤解し たまま別れる事だけは避けたかったのだ。 カンナはマリアに捕まれている為に、帰るに帰れない状況になってしまう。 「ひょっとして、アタイにも太巻きを分けてくれるのか?」 引き止める彼女の真意が判らないカンナは、見当違いの言葉をマリアにぶつける。 ─ぶんぶんっ─ マリアは大きく首を横に振る事で、カンナの言葉を否定した。 そして口にくわえた太巻きも首と一緒にブラブラと揺れている・・・。 「……」 そんなマリアの様子を呆れたように眺めるしかないカンナ。 「此処に居ろって事か?」 ─コクコク─ 今度は縦に揺れる太巻き・・・。 本人は意識しているのではないだろう、幼子のように胴衣の裾を握り締め、上目使いで カンナを見上げる瞳・・・。 心成しか潤んで見えるのは、口一杯に頬張った太巻きによるものだろうか・・・。 初めて見るそんな彼女の表情に、カンナは思わず吹き出しそうになる。 「はぁ、判ったよ…」 肩を竦めながら、カンナは大きく息を吐き出しながら了承した。 その言葉を聞いたマリアは、何故かカンナの胴衣の裾を握り締めたまま再び食べる事に 専念する。 『しかしねぇ・・・』 目の前で太巻きと格闘しているマリア・・・。 そんな彼女の様子を眺めながら、カンナは一人心の中で呟く。 出会ってからまだ間も無いが、彼女を信頼しているし、認めてもいるつもりだった・・・。 常に冷静で無駄の無い行動、しかし決して冷徹という訳では無い。 自分とは正反対だとは思いながらも、どこか同じ匂いを感じる存在・・・。 しかし、今目の前で起きている出来事は、カンナが数ヶ月で培ったマリアに対する洞察 を大きく覆すものだった。 彼女の事だ、きっと何か理由があるのだろう・・・。 そう考えると、先程までの彼女に対する引き気味の感情も不思議と暖かいものになり、 その行動も愛らしいものに感じてしまうカンナだった…。 ◇ 「っと、こんな事があってさぁ…」 カンナの身振り手振りを交えた熱演に力が入る。 「そんな大袈裟に言わなくても…」 「でも、事実だろう?」 身を乗り出して、マリアの眼前で人差し指を振ってみせる。 「そっ、それはそうだけれど…」 薄っすらと頬を染めながら、マリアも強くは言い返せない。 「まぁ、節分なんて地方によって色々違うらしいからね」 二人の遣り取りを笑顔で眺めていた大神が、マリアに助け船を出す。 「はい、私も後になって調べてみると、大豆を撒いたり鰯を食べたりと様々らしい事を知 りました…」 「沖縄で節分って言うと、旧正月に餅を食べるってのがあるしなぁ」 カンナも笑いながら、マリアの言葉に相槌を打つ。 あの深夜の太巻き事件の後、花組に配属された紅蘭に再び節分の事を聞いてみた処…。 「太巻きいうても、子供がやる事やで・・・。大人が真に受けてどうするん?」 と、真顔で返されてしまい、自分の勘違いに赤面した事をマリアは思い出す。 『でも、今となっては良い思いでよね…』 心の中で呟いてみて、マリアはこうして過去を思い返す事が出来る自分が嬉しかった。 「なぁマリア、今年の節分は皆で太巻きを作って恵方巻ってヤツをやってみないか?」 「そうだなぁ、やるんだったら俺も実家から干瓢でも送ってもらおうかな…」 カンナの言葉に大神も興味深そうに話に乗ってくる。 「そうですね、皆に福が来るように…」 子供の様に目を輝かす二人の姿を見ていると、マリアもつられて笑顔が零れる。 「当然、マリアもやるんだろう?」 身を乗り出したカンナがマリアの眼前で悪戯な表情で口を開く。 「俺も見てみたいなぁ」 先程の昔話を思い出しているのだろうか、大神も何やら考えながらカンナの横に顔を並 べた。 「もう、二人とも…」 困惑の表情を浮かべながらも、その口調は柔らかく暖かなものだった。 『今度は美味しい太巻きを作れそう…』 以前のように義務や責任に後押しされるのではなく、マリアも今回は素直にこの行事を 楽しみたいと思う。 マリアはもう一度窓の外に揺れる梅の蕾を眺める。 『みんなで良い春が迎えられそうね…』 ─fin─ あとがき?(言い訳) リクエスト頂いたお話しを書いている途中、突然思い付いたお話しでした。 本当は覚え書き程度のつもりで書き始めたのですが、止まらなくなってしまい・・・(笑) 季節モノって事で、何とか節分の日にUPしてしまいました。 勢いモノなので、色々と齟齬や間違えも多いと思いますが…(汗) 節分の雰囲気を楽しんで頂ければと思います。




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