23000Hit 記念 SS




─Счастливое благоухание─ Written by G7 太正15年も灯火が恋しい季節を迎え、帝都を彩る木々達も紅葉の衣を纏い始める頃・・・。 大帝国劇場の厨房では、それぞれ異国に生を受けた三人の乙女達がエプロン姿に身を包 んでいた。 Side─「I」 「先ずは皮を綺麗に剥いてちょうだい」 マリアの言葉を聞いてから、レニはオーブンからおイモを取り出して言われた通りに皮 を剥きはじめる。 アイリスもおイモを手に取って皮を剥こうとするんだけれど、熱くてなかなか上手く剥 けない・・・。 少し皮を剥く事に成功すると、湯気と共に美味しそうな香りが広がった。 『美味しそうな匂い…』 昨日「焼きイモ」を食べた時もそうだったけれど、本当に良い香りだと思う。 カンナが沢山貰ってきたサツマイモを、中庭のお掃除を兼ねて終わった後に「焼きイモ」 って食べ方で初めて食べたの。 厨房を使わない料理なんて少し驚いちゃったけど、みんなで「はふはふ」しながら食べ たおイモはとっても美味しかったんだよ。 でも、全部は食べきれなくて残ったおイモは、マリアが「スイートポテトにしましょう」 って言っていたのを聞いたから、今日はレニを誘ってマリアとアイリス達3人でスイート ポテトを作る事にしたんだけれど・・・。 隣を見てみると、レニはもう皮を剥き終わって、裏ごしの準備を始めている。 『アイリスだって頑張ってるんだけどな…』 普段はあまり意識する事がないけれど、こういう時にレニって凄いなぁと感じてしまう。 もちろんレニの方が本当は歳も上だし、お姉さんなんだって事は判っている。 アイリスよりも難しい事をたくさん知っているし、舞台での演技とか体を動かす事とか 何でも上手く出来るんだよ。 でも、普段一緒にいると歳のことなんて気にしないし、本当の姉妹みたいって思えてく るの…。 どっちがお姉さんかって言えば、レニの方が歳が上だからお姉さんなんだろうけれど、 レニってば、「好き」とか「楽しい」って事に関しては凄く鈍感だから、その点だけはア イリスの方がオトナかなぁって思ってるんだ。 「アイリス、出来た?」 そんな事を考えていると、レニがアイリスの進み具合を確かめてくれる。 「うん、OKだよ〜」 裏ごしが終わった二人分のおイモのペーストをボウルに移し、レニはテキパキと混ぜ合 わせるバターなんかを準備し始めた。 やっぱりレニって凄いよね、マリアが言った事を一度で全部覚えているんだもん。 アイリスもレニやマリアに聞きながら、お砂糖とかの分量を量ったりして準備を進める。 細かな数字を量るのって以外と面倒だけれど、レニが手伝ってくれたから正確に出来た。 レニはいつもアイリスの事を気にかけてくれる。 もちろん、花組のみんなやお兄ちゃんもそうだけれど、レニとは一緒にいる事が多いか ら余計にそう思えるのかなぁ? 返って来る言葉は少ないけれど、アイリスの話や気持をちゃんと正面から受け止めてく れるし、そう考えるとやっぱりレニの方がお姉さんなんだろうな。 でも、レニの照れている顔や恥ずかしがってる顔なんて本当に可愛いと思うし、アイリス よりも年上なんて思えない時もある。 だからレニに対しては背伸びしていない本当のアイリスで接する事が出来ているんだと 思うんだ・・・。 そしてレニが偶に見せるあの表情・・・。 ほら、今だってマリアに次の作業を教えてもらっている時のレニの顔。 少し頬っぺたが赤くなって、見惚れちゃうくらいに可愛い表情。 アイリスが驚かせたり、抱き着いてもあんな顔をしないのに・・・。 そんな二人を見ていたら、少しだけ「やきもち」を感じちゃう。 でも、この「やきもち」は嫌な気持じゃ無くて、凄く楽しい「やきもち」なの。 マリアとレニ、どっちに感じてるのかは分からないけど、こんな「やきもち」を妬ける って事はとても嬉しい気がする。 『アイリスも頑張るよ〜っ♪』 心の中で勢いをつけて、ペーストを形にする。 アイリスだって、二人がビックリするくらいの「凄いの」を作っちゃうんだから…。 ◆ Side─「L」 『Dieses ist schwierig…難しい・・・』 心の中で呟きながら、掌にペーストを乗せた所で動きが止まってしまった。 「あら、レニどうしたの?」 背後からかけられたマリアの声に、僅かに肩が動き反応してしまう。 サツマイモの皮むきから裏ごし、指示通りの分量でバター・砂糖・卵黄・塩を入れて練り 上げる所までは順調だった。 「うん、適量を手にとってお好みの形にっていうのが…」 隣で作業するアイリスを見てみると、マリアに言われた「俵型」以外にも「星型」や「ハ ート型」など様々な形で成型していた。 こんな時、僕はアイリスの事を羨ましく思う。 いや、今だけでは無く彼女が見せる無邪気で真っ直ぐな行動に憧れているのだろう。 僕自身、数字や理屈が判っている命令・指示に対する行動は問題無くこなす事が出来る。 しかし、この状況のように「適量」や「お好み」といった自分の裁量で答えを求められ ると、対処に困ってしまう。 日本に来てからは、宴会の準備や何度かアイリスに誘われて料理を手伝った事はあるの だが、毎回この曖昧な表現には苦戦させられる。 僅かではあるが、最近は自分の感情を表現する術についても判ってきたつもりだ。 しかし、未だにアイリスのように上手くはいかない・・・。 「自分が食べる時に、食べ易い大きさや形ってことよ」 掌を見つめたまま、自分の思考に沈んでいると頭の上から柔らかい声が聞える。 声に反応しようと顔を上げようとした瞬間、背中に感じる暖かな感触・・・。 頬に触れるエプロンのフリルが擽ったい。 背後から覆い被さるような格好のマリアは、僕の手を取りながら練り上げたサツマイモ のペーストを形作って行く。 「ほら、簡単でしょう?」 「うん…」 辛うじて言葉が出たが、自分でも感じられる程に顔が火照っているのが判る。 どうしてだろう?アイリスと一緒の時や、隊長達の事を考える時とも違う感情…。 マリアの傍やこうして身体を合せていると、とても心が暖かくなる。 この感情が何に起因するのかは判らないけれど、心が安らぐのと同時に胸は高鳴ってし まうのだけれど…。 「ほらっ!レニ、マリア見て見て〜!ジャンポールだよ〜♪」 アイリスが得意げに胸を反らせながら、テーブルの上を指差している。 様々な形のスイートポテトの中で、大きな耳に円らな瞳の一際大きな熊っぽい顔、多分 これがジャンポールなのだろう。 「確かに似ている…?」 「少し大きいから、上手く焼かないとね」 顔を上げると、暖かな陽光のようなマリアの笑顔が眩しい。 アイリスも満面の笑みを浮かべて此方を見つめていた。 『これが幸せって事なのかな…』 今感じている雰囲気を心の中で言葉に変換してみる。 完璧な答えではないが、決して間違いでもないと思う。 そして、ふと自分が母国語である独逸語ではなく、自然に日本語で思考している事に気 が付いた。 でもそれは、僕自身がこの日本での生活に順応してきたからだろう。 否、此処での生活が僕の中で、確かな一部になっているからだ。 そんなふうに考えてみると、この変化はとても素晴らしい事だと思えた。 だからこの気持が少しでも伝わるように、僕も二人に笑顔で応える。 ◆ Side─「M」 仕上げの卵黄を塗り、予め温めていたオーブンにスイートポテトを入れる。 アイリスとレニは、珍しそうに覗き窓から交互にオーブンの中を確認していた。 「まだ時間がかかるわよ」 洗い物を片づけながら、私は二人に声をかける。 「そう、僕も手伝うよ」 「アイリスも〜」 名残惜しそうにオーブンの前から離れる二人を見ていると、つい笑みが漏れてしまう。 少しでも早く片付けを終え、焼き上がりを確認していたいのだろう。 忙しく動き回るアイリスと、慎重だが無駄の無い動きのレニはおしゃべりの間も惜しい といった様子で、私が洗い終わった物を戻して行く。 作業を続けて行くと、やがて厨房の中に甘く芳ばしい香りが漂い始めてくる。 「良い匂い…」 「ねえ、マリア!焼けたかな?」 動きを止めた二人はオーブンに目を向けている。 「もう少しね、後はこのボウルを戻すだけだから、貴方達はオーブンを見ていてくれるか しら」 焼き上がりにはまだ幾分時間があるし、普段であれば片づけや掃除の事など細かく言っ てしまうのだが、何故か微笑ましく思える二人の様子に自分でも不思議なくらい自然に言 葉が出た。 『そういえば、私も昔…』 洗い終わったボウルの水を切りながら、オーブンの前に貼り付いている二人の姿を見て いると、漂ってくる甘い香りと相俟って不意に幼少の頃の記憶を刺激した。 貧しかった筈の流刑地での生活で、何回か母が作ってくれたピローグ…。 異国の家庭料理であるロシア式パイを、日本人だった母がどうやって覚えたのか、留学 中に憶えたのか父から教わったのかは今となっては判らない事だが、幼い私にとっては大 変な御馳走だった。 どんな味だったかはもう思い出せなかったが、幼少の私はキッチンに漂う芳ばしい香り に気が付くと、出来上がりが待ちきれなくなり母の周りを催促して回ったものだ。 あの頃の私に比べれば、アイリス達の方が随分と歳も上の筈だったが、浮かべている表 情はきっと同じなのだと思う。 『母も今の私と同じ気持だったのかしら…』 此処に来るまでは料理を作るの事はあっても、楽しむという事を忘れていた。 でも、あの人とボルシチを作った時に、誰かと一緒に料理する楽しさを思い出したよう な気がする…。 そして最近は、自分が作った料理を食べてくれる人の事を考えると、料理を作るのが楽 しく幸せな事だと感じられるようになった。 温かく心を柔らかく和ませる甘い香り、もし幸せや喜びに香りがあるのなら、こんな香 りをそう呼ぶのかもしれない。、 いつの日かこの二人も私と同じ事を考え、甘い香りに今日の出来事を思い出してくれる 事があるのだろうか・・・。 そこまで考えを巡らせた後、私は軽く頭を振って苦笑いを浮かべる。 『私にだって、今確かに伝わっているのだから…』 洗い物で冷たくなった両手を胸の前で重ね合せると、じんわりと温もりが呼び戻される 気がした。 「ねえ、マリア」 立ち止まったままの私をレニが呼ぶ。 「ジャンポールもすっごく上手に焼けたんだけれど、なんか食べるのが可哀相になってき ちゃったよ〜」 アイリスが困ったような顔で此方を振向く。 レニもどう答えてよいのか分からずに、私の助け船を待つ表情だった。 「もう焼き上がる頃ね、今行くわ…」 鍋掴みを手に、二人の元に歩き出す。 たった数歩の距離なのに、オーブンに近づくにつれ「幸せな香り」が濃くなるような気 がして私の鼻を擽る。 不思議と心まで満たされるようで、自然と笑みが零れてしまう。 時計を見れば午後のお茶会には丁度良い時間だった。 オーブンの扉を開けると、美味しそうに焼き上がったスイートポテトが顔を覗かせる。 アイリスとレニが洩らす感嘆の溜め息が傍で聞えた。 香りも見た目も大成功間違い無しの傑作だ。 『これを食べられないなんて、本当に残念な人ね…』 不意に今は帝都を離れている想い人の事が浮かんできて、浮かべた笑みに悪戯心がプラ スされ、唇の角度が微かに上がるのが自分でも分かった。 機会があれば手紙かキネマトロンで話してみる事にしよう。 きっと悔しがるに違いないだろうから・・・。 そう、激務をこなしている筈のあの人に、少しでも帝都の事で心配などかけないように、 安心して巴里で頑張ってもらえるようにと・・・。 でも帰ってきたら、きっとまた皆で作ってあげたいと思う。 そしてこの幸せな香りに、あの人はどんな表情を浮かべるのだろうか…。 「おっ!美味そうな匂いだなぁ〜」 「カンナさん!つまみ食いなんてしないで、ちゃんとお茶の準備を手伝ってくださらない かしら」 香りに誘われたのか、厨房のドアを開ける音と共に、賑やかな声が次々と聞えてくる。 『今日も楽しいお茶会になりそうね…』 この傑作を口にした皆の反応を想像しながら、私はスイートポテトを皿に移してゆく。 秋深まる帝都、街には冬の訪れを告げる風が時折吹き抜ける。 しかし大帝国劇場のサロンでは、大きな硝子越しに午後の暖かな陽光が差し込み、楽し げな笑い声が満ち、窓外とは僅かに違うゆっくりとした時間が流れているようだった。 帝劇恒例「午後のお茶会」は、今日も恙無く始まりを迎える…。 ─Fin─

後書き アイリスでの一人称は、かなり辛かったです・・・(笑)




戻る