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─ある夏の一日─ Written by G7 「暑い…」 手を翳して照りつける陽光を遮ろうとするが、指の隙間から入り込んでくる真夏の輝き は衰える事なく肌を焼く。 大帝国劇場前、照り返しも厳しい石畳の上に立つ白いスーツ姿。 「ここ最近顔を見せていなかったからなぁ、皆元気にしているかな?」 強すぎる日差しに目を細めながらも、その瞳の奥に優しげな光を湛え、加山は足早に珍 しく正面玄関から劇場に身を滑らせた。 ◇ ─チリ〜ン─ エントランスに入って真っ先に聞えたのは、涼しげな風鈴の音色だった。 「う〜ん、夏って感じだなぁ」 先程までの月組隊長としての『外行き』の顔ではなく、彼が本来持つ朗らかな表情を浮 かべながら、加山は風鈴の音に誘われるように階段を上がる。 「これが日本での夏の涼み方なんですよ」 「確かに涼しいカンジもしますけど〜」 階段を上がる途中でさくらと織姫の声が聞えた。 多分、さくらが織姫に風鈴の事を教えているのだろう。 「他にもスイカ割りとか、肝試し…。日本古来からの伝統は沢山あるんやで」 「紅蘭、あまりいい加減な事を教えないで!」 さくらの説明の後に補足を入れる紅蘭の声も聞えてくる。 「でも、とても綺麗な音ですネ〜」 音感が鋭い彼女の耳にも日本の伝統は心地良く聞えるのだろう。 織姫の声に続くように、軽やかな風鈴の音が耳に残る。 「よっ!」 そんな楽しげな会話を聞きながら、サロンに到着した加山は軽く手を挙げて少女達に声を かけた。 「あっ、加山はん」 「こんにちは」 「お久し振りですネ〜」 サロンの窓辺に吊るされた風鈴を眺めていた三人は、加山の声に振向くと元気の良い笑 顔を乗せて挨拶に応える。 「やっぱ、夏の風物詩と云えば風鈴だよなぁ」 「そうですよね、この風鈴、近所のお祭りに皆で行った時に買ったんですよ」 さくらがその時の事を思い出すように、目を細めながら再び風鈴を見上げる。 加山も華撃団を裏から支える隠密行動部隊の隊長として、花組が揃って祭りに出掛けた 事の報告は受けていた。 「楽しかったんだろうなぁ」 「そや、皆浴衣着て行ったんやけれど、かえでさんの浴衣姿、色っぽかったなぁ」 「えっ!かえでさん、いや副司令も浴衣を…」 「はい、勿論ですよ」 報告書には書かれていない新事実に、思わず声を上げてしまう加山。 「確かに日本の伝統美ってヤツをカンジましたネ〜」 織姫の言葉に思わず何を想像したのか、加山の鼻の下が伸びて行く。 そして予想通りの加山の反応を確認し、カラカラと笑う少女達・・・。 そんな彼女達の笑い声に、加山も慌てて表情を直し苦笑いを浮かべる。 「浴衣姿を見れなかったのは残念だけれど、みんな元気そうでなによりだ」 「加山さんは少しお疲れの様子ですが、大丈夫ですか?」 一頻り笑った後、加山の顔を眺めながらさくらが心配そうに口を開いた。 「そやなぁ、少〜し顔に疲れが滲んでるで…」 紅蘭の言葉に自分の顔を触わってみる加山だったが、指先だけでは何も分らない。 「此処の処、色々と忙しかったからなぁ…」 「夏バテには沢山美味しい物を食べて、シエスタするのが一番ですよ〜」 口調こそ普段と変わりの無いものだったが、その言葉に含まれる少女達の優しさに加山 の心も幾分軽くなる気がした。 「ははっ、俺は大丈夫だけれど、他の皆はどうなんだい?」 「そうですね・・・、大神さんが少し元気が無いかなって…」 「大神が?」 「はい、今の場所が少し狭いみたいで・・・。もうちょっと大きな場所があれば…」 思案顔で話すさくらの話を聞きながらも、親友である大神の元気が無い理由を掴み兼ね る加山だったが、長年月組の隊長を務め培った洞察力でカバーする。 『新居の事なのか?それとも仕事場である支配人室が狭いって事なのか…?』 若干の疑問を残しながらも、加山は当の本人である大神の様子を直接確かめるべく踵を 返す。 「まあ、俺も様子を見てくるから、皆もそんなに心配するなよ」 軽く手を挙げながら、加山は少女達に言葉を掛けながら、軽く手を挙げるとサロンを後 にする。 「なぁ、さくらはん・・・。今の言い方って、加山はん完全に勘違いしたんちゃうか?」 加山がサロンから立ち去った後、暫らく風鈴の音色に耳を傾けていた紅蘭が思い出した ようにさくらに告げた。 「あっ!そうですよね…」 自分の発言を思い返し、さくらが声を上げる。 「多分、間違いナイで〜す」 そんな三人の言葉も階段を降りる加山の耳には届かず、心地良い風鈴の音だけが響いて いた・・・。 ◇ 「おっ!っ…」 階段を降りて、風を入れる為に開け放たれた中庭へのドアを通り過ぎた時、視界に入っ た見知った顔に声を掛けようとして、加山は慌てて口を閉ざす。 そのまま人差し指を口に当てた格好で、足音を立てないように中庭に進む。 「なにやってるんだ?加山隊長…」 四方の壁が作る影の下、背中を壁に預け足を伸ばした格好のカンナが訝しげな視線で加 山を見つめながら口を開く。 「お昼寝中のお姫様達を、起しちゃあいけないと思ってね…」 カンナの伸ばされた両足に、左右それぞれの腿を枕にして静かな寝息を立てているアイ リスとレニの姿を眺めながら、加山は押し殺した声と軽いウインクでカンナの問いに答え る。 「ああっ・・・、さっきまでフントと一緒になって遊んでいて疲れちまったんだろうな。本当 にぐっすり眠っちまってさ…」 普段なら午後の鍛練に勤しんでいる時間だったが、カンナとしてもこの状況では動くに 動けなくなってしまったのだろう。 カンナが自分の膝に視線を落としながら、吹き抜ける微風に揺れる二人の前髪を優しく 直してやる。 「良い顔をしているなぁ…」 「うん、二人共本当にお姫様みたいだぜ」 ここ数日は夜も寝苦しい日が続き眠りも浅かったのだろう、穏やかな表情で眠る二人は 加山達の話し声にも起きる気配はなかった。 そう言いながら、カンナは自分の膝で眠る二人の姿を見つめながら微笑を浮かべる。 「そうだなぁ、でもカンナもって意味で言ったんだけれどな」 「えっ?」 普段から快活で朗らかなイメージが強いカンナだったが、今浮かべている表情と纏う雰 囲気は加山が知らなかった彼女の新しい一面を見せていた。 その向日葵の様な輝きはそのままに、包み込む様な母性を感じさせる表情に思わず吸込 まれそうになる。 「いや、良い顔だなって…」 自分の言葉に対して何か補足しようと考えた加山だったが、どんな言葉を使っても今の 自分では表現出来ないような気がして、己の素直な気持だけを伝える。 「かっ、からかうなよ加山隊長・・・。あんまり八方美人だと、かえでさんに嫌われるぜ」 微かに頬を染めながら、加山の視線から逃げるようにカンナは横を向いてしまう。 「ははっ、かえでさんにはナイショにしておいてくれよ」 軽いウインクと茶目っ気を乗せた台詞に、カンナも何時ものペースを取り戻し笑顔を浮 かべる。 「ところで、さくら君達から大神の元気が無いって聞いたんだが?」 「さくら達から…?あっ、隊長の事だよな、確かに元気が無い様な・・・。見てるとマリアの 奴も冷たいし」 「マリアが大神に冷たい?」 「うん、隊長が寄って行こうとすると、マリアがすぐ逃げちまうし…」 思い出すようにカンナは顎に手を当てながら、言葉を選ぶ。 『大神の奴、マリアを怒らせるような事でもしでかして元気が無いのか?』 普段の熱々っぷりを知るだけに、カンナの話に微かな違和感を感じながらも、加山は肯 く事しか出来ない。 「そうか、直接俺が見てくるよ…」 さくら達からの話を聞いた時は、そんなに深刻な状況だとは思っていなかったが、カン ナから聞いた話と加山自身の推論を合せると、段々と心配の度合いが高くなってくる。 「じゃあ、眠っているお姫様達にも宜しく言っといてくれ」 そう言って、足早に館内へ戻る加山の後ろ姿を眺めながら、カンナは何処か不思議そう な表情を浮かべている。 「何で加山隊長が隊長の事を知ってるんだ?」 小首を傾げながら口に出してみるものの、当の加山の姿は劇場の中へと消えた後だった。 ◇ 『今の時間だと支配人室か…』 中庭を出て、ほんの数歩の距離がもどかしく感じる。 メンバー達の話を総合すると、大神の様子は想像以上に酷いのかもしれない・・・。 「一郎さん、唇が青いですよ…」 「マリアだって…」 支配人室のドアを開けようとした瞬間、微かに聞えてくる話し声を聞いた加山はノブを 握ったまま立ち竦んでしまう。 『大神・・・、そんなに深刻な状況なのか…』 思い返せば士官学校を卒業して任務に就いてから今日まで、止まる事無く走り続けてき た。自らの職務に対する責任と誇りが疲れなどを感じさせないではいたが、確かに常人に は勤めきれない激務だったと思う。 まして士官学校首席卒業のエリートとはいえ、大神はそれ以上の困難を乗り越えてきた のだ。 性格からか、自分の苦労や愚痴などは絶対に表に出さない男・・・。 同期であり親友でもある加山としても、十分に大神の性格を知っている筈だった。 『昔からアイツは・・・、一人で無理するって知っていたのに…』 繰り返される後の無い戦いの日々、そして休む事無く与えられた責任のある仕事。 実際に現場で指揮を執っていたあの頃よりも、総司令・総支配人としての今の方が様々 な意味で苦労も多いだろう。 そしてこの夏の気候・・・。 こうして立っているだけで体力が奪われる暑さの中、性格上職務に手を抜けない不器用 な大神が体調を崩すのも十分に予測できた。 『月組の隊長なんて偉そうに言っていても、親友の状況一つ察してやれないなんて…』 そんな己に対する不甲斐無さに苛立ちながら、加山はノックする事も忘れドアを開けた。 「大神、大丈夫か?」 扉を開けた瞬間、涼しい風が吹き抜ける。 支配人室の開け放たれた窓から入る風が、通り道が出来た事によって一気に流れ出す。 通り抜ける風に目を細めながら、加山は正面の執務机に目を向けるが親友の姿は見当た らない。 「ふぁやま?」 そして不明瞭な声で自分を呼ぶ親友の声に、慌ててソファーに向き直ると加山は脱力し たようにその場に座り込んでしまった・・・。 ◇ 「大神ぃ〜、俺は心配したんだぞ…」 支配人室のソファーに腰を下ろし、頬杖を付きながら、恨めしい視線を送る加山。 視線の先にはそんな視線を気にする様子も無く、涼しげな青いシロップで彩られたかき 氷に集中する大神の姿があった。 「すみません加山隊長…、一郎さんが暑くて手も動かしたくないって…」 その隣では俯きながら頬を染めたマリアが消入りそうな声を出す。 「いや、仲が良いのは結構な事だと思うよ…」 軽くマリアにフォローを入れながら、加山は先程の事を思い出す…。 慌てて部屋に入った加山が見たものは、机に置かれたかき氷を仲良く食べさせ合ってい た大神夫妻の姿だった。 マリアの差し出すスプーンを、顔を前に出して口に入れる親友の姿・・・。 何度も互いに食べさせあったのだろう、確かに二人の唇はシロップの着色料によって青 く染まっていた。 部屋の前で聞いた言葉を勘違いしてしまったのは加山自身だったが、これだけ気を揉ん だ自分に対して、しれっとした大神の姿を眺めていると何処か納得の出来ない気持が湧い てくる。 「皆が大神の元気が無いって、マリアが冷たくしているなんて話も聞いていたし・・・。しか し、本当に心配した俺が馬鹿だった…」 大きな溜め息を吐きながら、加山が口を開くと向かい側に座る二人は不思議そうに顔を 見合わせる。 「俺が元気無いって?」 「私が一郎さんに冷たいですって?」 「ああっ、俺はそう聞いたのだけれどなぁ」 お互いに見詰め合いながら、同時に首を傾げるマリアと大神。 申し合わせたような二人の仕種に、加山は更に深い溜め息を吐く。 「あら加山君、お久し振りね」 軽いノックの後、支配人室の扉が開けられる音に加山が振向くと、両手に何かを抱えた かえでの姿が見えた。 「かえでさん…」 「二人共かき氷のお味はどうだった?問題なければ皆を呼んで食べようと思うのだけれど …?」 どうやら二人が食べていたかき氷は、他のメンバーに出す前の試作品だったらしい。 「だからって、二人で食べさせ合う事もなかろうに…」 かき氷の謎は解けたものの、まだ納得のいかない加山は小声で呟く。 「何かあったの?」 「なっ、何でもありません!それよりも私、皆を呼んできますっ!」 加山の呟きを遮るように、立ち上がったマリアは再び顔を真っ赤にさせながら部屋を出 ていこうとする。 「……?あっマリア、立ったついでにこれを置いてくれる?」 「?」マークを頭の上に浮かべながらも、かえでは両手に持っていた金魚鉢をマリアに 手渡す。 「水を代えてくださったのですね、ありがとうございます。おかげで元気になったみたい です」 手渡された金魚鉢を眺めながら、マリアは鉢の中を泳ぐ金魚を優しく見つめている。 「金魚か…」 加山も珍しそうに金魚鉢を見上げると、白い金魚と少し大柄な黒い金魚がゆらゆらと尾 鰭を揺らしていた。 黒い方の気を惹こうと一生懸命に泳ぐ白い金魚と、まるでそんな事を知らんぷりしてい るような仕種で優雅に泳いでいる黒い金魚・・・。 マリアが机の上に置いた金魚鉢を眺めながら、かえでが加山に説明する。 「可愛いでしょう?この前、皆でお祭りに行った時に金魚掬いで貰ったの」 「そうなんですか…」 「それでね、金魚を見ていて何か思わない?」 かえでは金魚鉢から加山に視線を移し、悪戯な笑みを浮かべる。 「何かですか…」 「そう、この子達の面倒を見ているうちに、名前が付いたのよ。白い方が大神君で黒い子 にはマリアって名前が…」 「「「あっ!」」」 かえでの言葉にその場に居合わせた三人が声を上げた。 加山の頭の中で、さくらやカンナの言っていた言葉が思い出される。 あの時感じた微妙な違和感の正体は・・・。 全ての謎が解けたのと同時に込み上げる脱力感に、加山はズルズルとソファーに沈んで 行く。 そんな加山の様子を見つめながら、大神とマリアも何処か居心地が悪そうに肩を竦めて いる。 かえでだけが幾つもの「?」マークを点灯させたまま、金魚達に答えを求めるように小 首を傾げた。 一瞬だけ時の止まった支配人室では、二匹の金魚だけが小さな気泡を浮かべながら、涼 しげに鉢の中を泳いでいた…。 ◇ 「はぁ、結構長居してしまったなぁ…」 もう夕刻近い時間の筈だが、夏の太陽はまだその姿を大空に横たえたままだった。 来た時と同じ様に手を翳しながら、目を細めた加山はそのまま瞳を閉じる。 色々と驚いたり心配したりと忙しい訪問になってしまったが、不思議と後に引く疲れは 無かった。 あの後、事の顛末を話しながら全員で食べたかき氷・・・。 微かに耳に残る風鈴の音色と皆の笑い声。 久し振りに暑いだけではない、夏を感じた気がした。 『それにしてもあの金魚、行動が二人に似ていたよな…。俺もかえでさんを誘って金魚 でも掬ってみようか…』 心の中での呟きに少し唇を緩ませた後、再び瞳を開ける加山の表情は、相手に己の機微 を悟らせない『外行き』に変っていた。 そして踵を返し歩き出すその姿は、厳しい暑さなど感じていない様な飄々としたものだ。 「でもその時は、やっぱ浴衣だよなぁ…」 突然に呟く加山に対し、擦違う通行人が驚いたように顔を向ける。 しかし、再び通行人が加山の姿を確認しようとした時には、まだ強い日差しが作る陽炎 越しの景色だけが広がっていた…。 ─fin─




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