16000Hit 記念 SS




開演までの僅かな時間、エントランスの手摺越しに入り口を眺めてみる。 普段の見慣れた帝劇の景色とは幾分違うものの、舞台を楽しみに訪れる人々の表情に差 異は無かった。 途切れる事の無い人の波を見つめながら、この公演が興行的にも成功を収めた事に大神 は満足げに一人肯く。 興行的な成功など二の次だと思わないでもないが、やはり支配人としては舞台の出来は 勿論の事として、色々な事を心配してしまうのだ。 やるべき仕事は全て終わった。後は彼女達を、舞台の出来を信じるだけ・・・。 「後数分か…んっ?」 懐中時計で開演時間を確認して、再び人の波に目を戻すと一人の少女に目が止まった。 特別目立った格好という訳でも無い、ただ周囲の人々から一人だけ浮いてしまっている その雰囲気が目を引いてしまった原因だろう。 周囲の人々は笑顔で溢れているのに、何故かその少女は不貞腐れた様な気難しい表情を浮 かべていた。 『誰かを待っているのかな?それとも一緒に来た誰かと喧嘩でも…』 頭の中を色々な推測が浮かび、大神が入り口の方に足を向けようとした瞬間、偶然顔を 上げた少女と目が合った。 少女も大神の存在に気が付いたのだろう、暫し驚いた様に目を瞬いた後、見られていた という気恥ずかしさの為だろうか、プイッと横を向いてその場から立ち去ってしまう。 「ははっ、変な奴と思われちゃったかな…?」 唐突な少女の行動に苦笑いを浮かべながら、大神も移動を始める。 『理由は分らないけれど、舞台を観終わった後には、あの子も笑顔になってくれたら良い んだけれどな…』 開演のアナウンスを聞きながら、大神は人気の無いホールをゆっくりと歩いて行った。 16000記念SS ─偶然の出会いと小さなキッカケ─ Written by G7 鳴り止まぬ拍手の中、緞帳が下がり舞台は閉じられて行く。 しかし厚い緞帳の生地越しにも、まだ観客の興奮とざわめきが伝わってくるのが判る。 大きく息を吐き出すと、無事に舞台を終える事の出来た安堵と達成感、昂揚がない交ぜ になった熱が身体全体に心地良い痺れを感じさせた。 「みんな、御疲れ様。素晴らしい舞台だったよ」 舞台袖から人数分のタオルを持った大神が声を掛ける。 「私も感激してしまいました〜」 両手を胸の前で合せながら、エリカが駆け寄って来た。 彼女言葉を皮切りに、大神の後ろに控えていた巴里花組の面々も賛辞を贈る。 「はいっ!ありがとうございます!」 頬を紅潮させたさくらが元気良くそれに答えると、他のメンバー達も次々と口を開きは じめた。 黄色い喧騒を引き連れながら、楽屋へ移動する一同を最後尾から眺めていた大神はふと 吐息を漏らす。 「どうしたの、大神くん?」 隣を歩いていたかえでが不思議そうに大神の横顔を覗く。 「やっと終わったんだなぁと思いまして…」 そう言いながら、未だ興奮覚めやらぬメンバー達を見つめてから大神は僅かに表情を和 ませた。 帝国歌劇団巴里公演。 突然に決まったこの特別公演であったが、本日無事に千秋楽を迎える事が出来た。 当初、帝劇への巴里公演の依頼に対し、帝撃というもう一つの任務を持つ花組が守るべ き帝都を離れる事に納得しなかった大神だったが、花組不在時の訓練を兼ねてという賢人 会議での決定と、劇団として成熟した帝劇花組の世界でのお披露目を強く希望した花小路 伯爵の勧めで実現した今公演…。 当初は芸術の都と呼ばれる巴里での正式な公演、しかも巴里国立劇場という大舞台とい うことで多少の緊張を感じていたメンバー達だったが、日頃の練習と持前の前向きな気持 で公演を乗り切る事が出来た。 「本当に色々とご苦労様」 「いえ、かえでさんの方こそ・・・、それに今回は花小路伯爵の計らいで、特別サポートとし て椿くん・かすみくん・由里くんにも来てもらえましたし…」 かえでの労いに、謙遜しながらも大神は照れた様に頭を掻きながら言葉を続ける。 「皆の協力、勿論グラン・マやシャノワールのみんなの協力もあっての今回の成功だと思 います」 「ふふっ…、すっかり一人前の支配人って感じの言葉ね…」 「そっそんなっ!自分はまだ若輩者ですし、これからも御指導・ご鞭撻を…」 軽く口にした一言に、真面目に反応する大神を面白そうに眺めながら、かえでは微かに 悪戯な笑みを乗せて言葉を続けた。 「でも、本当に大変なのは明日かもしれないわよ…」 「そうですね、明日は…」 言葉の微妙なニュアンスを感じながら、大神は先程とは打って変った情けない表情で、 先を歩くメンバー達に目を向けた。 「明日の観光、何の問題、騒ぎも無ければ良いのですが…」 大神の百面相に苦笑しながら、かえでは駄目押しとばかりに大神の背中を軽く叩いた。 「引率、頑張ってね!支配人さん♪」 ◆ 「そして此処がプチトリアノン離宮だ」 グリシーヌの凛とした声が薄曇りの空の下に良く響く。 「やっぱ、セットとは偉い違いやなぁ〜」 「実物を見ると、巴里に来ているって実感が湧いてきますね」 以外と簡素な門構えを見上げながら、感嘆の声を上げる帝劇の面々。 椿やカスミ、かえでまでもが、物珍しそうに周囲を見まわしている 「でも今観てきた本宮殿と比べると、やっぱり貧弱なカンジがするなぁ…」 「しかし、此処も由緒正しいブルボン王朝の離宮だぞ」 カンナの呟きに律義に返答するグリシーヌ。 「これだから世間を知らない田舎者は嫌ですわ…」 すみれが口に手を当てながら、カンナを揶揄する。 「って、テメエ!お前は引退したんだろうが、何で此処まで付いてくるんだよ!」 鼻頭が付きそうな距離まで顔を近づけて、すみれに詰め寄るカンナ。 「嫌ですわ『偶っ・々』、お爺様の所用で巴里に来ましたら帝劇の巴里公演が開催される のを知りましたの・・・。今日も巴里観光を楽しもうとしたら、下品な大声が聞えましたので 遂々反応してしまっただけですわ!」 すみれも負け時と顔を寄せる。 「だったら、何で行きの船までアタイ達と一緒なんだよ!」 「何ですって、ア・ナ・タが私の乗る船に乗って来たのでしょう!」 すみれとカンナの言い合いは段々とエスカレートして行き、横に立つグリシーヌも呆れ た表情で二人を眺める。 大神の横を歩くマリアが注意しようと動きかけるが、大神は彼女の腕に手をやりながら 笑顔でそれを制した。 「すみれくんにも偶には息抜きも必要だって・・・。今回の巴里行きも、お祖父さんからのさ さやかなプレゼントみたいなものらしいよ」 「そうだったのですか…」 「それに二人の場合、あの掛合いがコミュニュケーションみたいなものだし…」 そう言いながら、大神は苦笑いを浮かべながら二人を見つめる。 当然、花小路伯爵からの口添えも有ったのだろう、帝撃のパトロンの一人でもある厳つ い顔をした老人の顔を思い出しながら、マリアも納得したように肯いた。 「もぉ〜、お二人とも折角巴里に来られたんですから、仲良くしてくださいよ〜」 見習いシスターの面目躍如とばかりに、エリカが何とか二人の間に入ろうとするのだが、 二人の年期の入った掛合いには入り込めない。 その隣では、お決まりのすみれとカンナの掛合いを横目に、帝劇メンバー達は其々に感 動の言葉を口にする。 「豪華さでは負けるけれど、離宮って言っても結構広いモンやなぁ〜」 「そうですね、権勢を誇ったルイ王朝の離宮ですから…」 花火が控えめな声で紅蘭の言葉に応える。 「プチトリアノン、かのマリーアント・ワネットが好んで使っていた離宮…」 レニの蘊蓄にコクリコが間を置かずに反応する。 「要は『離れ』って事でしょう?」 「離れ、離宮…」 コクリコの大胆な解釈に真剣に悩み始めるレニ。 「どっちだって良いよ〜、だから早く行こっ♪」 口に親指を当てながら悩むレニとコクリコの腕を引っ張って走り出すアイリス。 そしてカンナとすみれの間でオロオロするエリカの横を、アイリス達が元気に走り抜け て行く。 「あ〜っ、走っちゃダメですよ〜」 カンナ達と走り去る三人の間で迷うように視線を泳がすが、意を決したエリカはアイリ ス達の後を追いはじめる。 「放っておいても良いのですか?」 その様子を見ていたマリアは、少し諌めるような口調で大神に問い掛ける。 「まぁ、大丈夫だよ」 マリアの言葉に笑顔で頷きながら、大神が前方に目を向けると、遥か先を走っていくア イリス・レニ・コクリコ、そして彼女達を追いかけるエリカの姿が見えた。 すぐ隣では花火を中心に紅蘭・さくら・織姫達が話に花を咲かせながら歩いている。 掛合いも一段落して、カンナの質問に真剣に身振り手振りを交えて説明するグリシーヌ と、それを横から口を出しているすみれ…。 そして自分の横に立つマリアの姿を見つめてから、大神はまだ肌寒い巴里の空を見上げ ながら、遠くサンテの地で過ごすロベリアを思う。 帝都と巴里、海を挟んで隔たれた都市の守人同士、本当に久し振りの再会だった。 しかし彼女達を見ていると、そんな距離や時間の隔たりは感じられない。 すみれが引退し、大神が総支配人となり、華檄団を取巻く環境も変わっていた。 勿論、その中にはマリアと大神が晴れて結ばれた事も含まれている。 だが彼女達自身の内に秘めた『絆』は、時が経てども変わる事は無いのかもしれない。 自分達で勝ち取った平和な日々を謳歌する彼女達の姿。 春を迎えた巴里の空の下、彼女達は庭園に咲く花々を背景にキラキラと輝いて見えた。 『これで無事に観光が終わってくれたら、一番良いのだけれど…』 そんな彼女達の事を考えながらも、最後は支配人というより、生徒を引率する女学校の 教師の様な表情を浮かべてしまう大神だった。 しかし、その呟きは言葉にはならず、胸の中で消えて行く。 「…?」 隣のマリアがそんな自分の表情を不思議そうに眺めているのに気が付いたが、大神は何 も言えずに彼女に苦笑を返す事しか出来なかった・・・。 ◆ 「結構買う物があったね…」 両手一杯の紙袋を抱えながら、大神がバランスを取りながら歩みを進める。 ベルサイユから巴里市内に戻り、二三の観光名所を巡った後に訪れたのがレアールにある 巴里の中央市場だった。 大神が抱える荷物も、今夜行われる送別会を兼ねた宴会の為の食材が殆どである。 今回宴会に参加するのが、帝劇・シャノワールのメンバーという大人数の為に、観光を 少し早めに切り上げて買出しを兼ねてのレアール巡りだった。 かえでや椿、グリシーヌなど一部は既にシャノワールに戻って仕度を始めている頃だった。 「随分と大荷物になってしまいましたが、これなら準備も間に合いそうですね」 大神の横を歩くマリアが、雲の隙間から顔を出した太陽をまぶしそうに見上げながら呟 く。 「あっ!あっちで何かやってるよ〜!」 アイリスの声に顔を向けると、市場横の公園に人だかりが出来て賑やかな声が聞えてく る。 「何だろう?」 紙袋で視界を遮られながら、大神は首を伸ばしてみるが詳しい様子は分らない。 「大道芸のようですね」 マリアが大神の紙袋を支えながら、公園の様子を伝えてくれた。 「さっすが、芸術の都ってカンジですよね〜」 さくら達も感動した様子で人だかりを眺めている。 「ね〜お兄ちゃん、少しだけ見に行っても良いかな〜?」 そう言いながらズボンの裾を引っ張るアイリスや、興味津々な視線で人だかりを眺める メンバー達の様子を見ると、大神も無下に反対は出来なかった。 「じゃあ、宴会の準備も有るから程々に…」 注意の言葉が終わらない内に、メンバー達は持っていた荷物を大神の足元に置くと、一 斉に走り出して行く。 「わっ!」 押しの踏み場が無くなった大神はバランスを崩して尻餅を付きそうになる。 「あっ!一郎さん、私が注意してきますから…」 大神の様子を心配しながらも、マリアはメンバー達を追い駆けて行く。 「結局、こうなるんだよなぁ…」 両手の紙袋を降ろしてメンバー達が置いていった荷物を集めてから、一人取り残された 大神は手直なベンチに腰を下ろした。 「でも、それが良い所でもあるんだけれど…」 一人納得しながら公園の方を見ると、アイリスに勧められたコクリコが飛び入りで5ボ ール・カスケードを披露していた。 「マリアも一緒だから大丈夫だろう、多分…」 自分の語尾の言い切りの弱さに、大神は公園の方を眺めながら思わず苦笑いを浮かべて しまう。 「ねえ貴方、昨日劇場にいた人でしょう?」 「えっ?」 突然の後ろからの問い掛けに、大神は驚いて声を上げてしまった。 慌てて後ろを振り向くと、一人の少女が興味深そうに自分を見つめていた。 「ひょっとして、歌劇団の関係者ってヤツ?」 公園で盛り上がっているメンバー達と大神を交互に見ながら、顔を近づけてくる少女。 「一応、そうだけれど…、君は?」 さくらや織姫達と同じくらいの年齢だろう。大神は綺麗なブロンドの髪と垢抜けた顔立 ちの少女の視線に、ドギマギしてしまい咄嗟に『支配人』という役職までは言い出せなか った。 「やっぱり!私、昨日の開演前、彼方と目が合った…」 「あっ!昨日の…」 開演前の雑踏の中、一瞬だけ目が合った不機嫌そうな表情の少女と目の前に立っている 彼女が同一人物だと判り、大神は再び声を上げた。 「昨日はあんな顔を見られちゃったけど・・・。初めは舞台を観る事にそんなに乗り気じゃあ 無かったの…。でも観ている内にすっごく感動して…、私ファンになっちゃった♪」 「そうだったんだ…」 一気に捲くし立てる少女に対して、戸惑いながらも大神は彼女の言葉に応えた。 「出演していた女優さん達、すっごくキラキラして思わず見惚れちゃったわ…」 興奮気味に話を続ける少女に対し、大神も徐々に笑顔で彼女の言葉に聞き入る。 大神自身が褒められている訳ではないが、花組のメンバー達に贈られる賛辞に対し、ど うしても表情が緩んでしまうのだ。 「ねえ、何でそんなに嬉しそうなの?別に彼方のファンになったってワケじゃないの よ?」 大神の笑顔を勘違いしたのだろうか、少女の言葉に大神は慌てて手を振って否定する。 「そういう訳じゃあ無くて・・・ねっ」 「ふーん、自分トコの女優さんが褒められると嬉しいものなんだ…」 「まあ、そんな感じかな…」 少女の言葉に大神ははにかみながら返答する。 「でも素敵よね、下っ端関係者の彼方からも好かれている彼女達って、本当に羨ましい…」 「下っ端?」 「だって、そんなに沢山の荷物を持って挙げ句の果てに置いてけぼりなんて、それってす っごく下っ端ってカンジじゃない?」 自分の周囲に積まれた紙袋を眺めながら、大神は少女の言葉に苦笑してしまう。 『最初に帝劇の支配人ですなんて事を言わないで良かった…』 心の中で胸を撫で下ろしながら、今度は大神が少女に問い掛けた。 「でも、羨ましいって言っていたけれど…?」 「本当は私も同業者ってヤツなんだけれども、ホント素直に『良いなぁ』って思ったの…」 微かにはにかみながら、少女は大神を見上げた。 「同業者?」 少女の言葉に大神は、鸚鵡返しに言葉を紡ぐ。 「そう、同業なんて言うのも本当はおこがましいんだけれどね、私も一応は映画女優って ヤツなんだ…」 「映画女優…?」 反芻する大神の言葉に頬を染めながら、少女は話しを続ける。 「チョイ役で出たり出なかったりの、女優の卵って奴かなぁ…」 歌劇団の仕事をするようになって幾分劇団関係の事は詳しくなった大神だったが、活動 写真の世界についての知識は少なかった為に黙って少女の話に耳を傾けた。 「自分の出演した活動写真なんかも観るんだけれど、何か輝いていないって云うか…」 少女はそこまで言うと、大きく背を伸ばしながら公園の方に顔を向ける。 「偶々、友達に誘われて、昨日の舞台を観に行ったんだけれど…」 「そうだったんだ…」 昨日の劇場で偶然に目が合った不機嫌そうな表情の少女、そして帝劇舞台を観てファン になったという女優の卵を称する目の前の笑顔の彼女・・・。 大神としても、どのような反応をして良いのか判らずに、ただ返す言葉を選べないでい た。 「最初は歌劇なんてって思っていたけれど、だんだんと観ている内に…。 そのっ・・・、何て言うか・・・、みんな舞台の上で輝いていて・・・。あ〜っ!上手く言えないけ れど、凄〜く良かったの!」 己の感情を上手く説明出来ない少女は、紅潮させた頬を軽く叩きながら、何とか最後ま で言葉を続けた。 「ありがとう…」 自然と口を割って出た大神の一言・・・。 大神自身、初めて帝劇の舞台を観た時の感動は覚えている。 自分が劇場関係者となって働く現在でも、あの時の気持は鮮明に思い出す事ができた。 だからこそ、少女の言葉を素直に理解する事が出来たし、その気持に対して出た言葉も 支配人や関係者といった立場など関係の無い、純粋な帝劇を愛する者としての言葉だった。 「わっ、私、生意気な事ばかり言ってしまって、本当にゴメンなさい!」 曇りの無い、真っ直ぐな大神の笑顔を真正面から受け止めてしまった少女は、更に頬を 赤らめてしまう。 少女は勢い良く頭を下げると、恥ずかしさの為か踵を返して大神の前から立ち去ろうと する。 「何時か私も彼女達みたいな素敵な笑顔を浮かべられるように頑張る!だから、あっ彼方 も頑張って支配人とか偉い人になってね!」 振り向き様、少女は照れを隠した強い口調で大神に言葉をかけた。 「うん、君も頑張って…」 少女の言葉を聞いた大神は、優しい表情を浮かべながら言葉を返す。 「うん!私も頑張る!」 手を振りながら走り去る少女を眺めながら、大神は思い出したように声を掛けた。 「ねぇ、君の名前は…?」 一方的な少女のペースに乗せられ、今まで彼女の名前すら聞いていない事に気が付いた のだ。 走り去る背中が勢い良く振り返り、眩しいばかりの笑顔で少女は答える。 「シュザンヌ!シュザンヌ・シャルパンティエよっ!下っ端のお兄さん!」 公園に咲く春の花々の芳香と共に、良く通る綺麗なソプラノが耳に残る。 そして最後にもう一度大きく手を振った後、少女は再び走り出して行く。 そんな少女の姿を眺めていた大神に、公園の方から声が届いた。 「大神さ〜ん!」 「お兄ちゃんも、こっちにおいでよ〜!」 大神が振り向くと、大道芸の輪の中から自分を呼ぶ声が聞える。 チラッと山積みされた紙袋を眺めてから、大神は軽く肯く。 「まっ、少しくらいなら大丈夫かな」 一人呟いた後、大神はゆっくりと公園に向かって歩き出す。 その表情は支配人でもなく、引率の教師のでもない、晴やかな表情を浮かべながら…。 ◆ 数年後、弁士や楽隊付きの活動写真からトーキーと呼ばれる「映画」に姿を変える頃・・・。 巴里で発表され、帝都でも人気を博した映画「巴里祭」。 連日大盛況の劇場のスクリーンに映る、花売り役の可憐な少女の姿・・・。 そんな少女の笑顔に魅了され画面を眺める人に混じって、銀幕を見上げる大神の姿があ った。 スタッフロールの少女の名前は「アナベア」となっていたが、大神は人々を魅了する花 売りの少女の笑顔が巴里で偶然出会ったあの少女の笑顔と重なる事を思い出す。 後にハリウッドに渡り、スタァとしての道を歩く事になるアナベアという名の女優。 彼女がまだ女優の卵だった頃の、ある東洋人の青年との偶然の出会い。 そんな小さな邂逅が、彼女に何を齎せたのか・・・。 この映画で映し出される彼女の輝く可憐な笑顔を、大神は優しげな表情でただスクリー ンを眺めるだけだった。 ─fin─ 後書き(注釈?) このお話に登場した「女優の卵」の少女は実在した女優さんです。 「マレーネ・ディートリッヒ」と並ぶ1930年代を代表する大女優だそうですが・・・。 お話に出てきた「巴里祭」しか観た事(しかもかなり昔に…)が無い私なものですから、 時代考証など間違いが有ればご容赦下さい。




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