13000Hit 記念 SS




13000Hit 記念SS ─falling love?─ Written by G7 読みかけのページに栞を挟み、静かに本を閉じる。 見廻りも終わり、就寝までの僅かな時間・・・。 「豊太郎ぬし、かくまで、われを、あざむきたまいしか!」 物語の一説を口に出し、マリアは軽く息を零してから、机に置いた本の表紙に目をやる。 ─舞姫─ 明冶の文豪である森鴎外の作品である。 独逸に留学した日本人青年官僚と踊り子エリスの悲恋・・・。 簡単にそれだけとは言えないが、日本に来てまだ間も無い頃に読んだ事があった。 その時は、身篭ったエリスを捨ててまで日本に帰る主人公に対しても、然したる感慨も 涌かなかった。 力強い文章の中で、ただ一時の感情は責任や義務といったものを凌駕するものでは無い と、漠然と納得しただけだった。 初めて読む話しではなかったが、何となく手に取ってしまい読み返したのが始まりだっ た。 そしてここ数日、改めて物語りを読み進める中に、如何にもエリスに感情移入してしま うマリアだった。 場所や状況は違えど、国の未来を背負うと嘱望される若者と異国人の恋・・・。 どうしても巴里に行っている大神の姿と主人公を重ねてしまう。 しかしこの場合のエリスは帝都に残されている自分を指すのか、それとも巴里で出会う 他の誰かなのか・・・。 身近に居る時は、些細な事でやきもきするだけで良かった、しかし遠く離れてしまう程、 姿が見えない分不安は大きくなり、悲観的な想像は膨らむばかりだった。 いや、確かに彼に対しての心配もあるものの、問題なのは彼女自信の方かもしれない。 もし自分がエリスと同じ立場に置かれたのなら、私は彼女と同じ様に狂ってしまうのだ ろうか・・・。 狂えてしまえるのなら楽なのかもしれない、多分私は狂う事も激情に駆られる事も無く、 事実を引き摺って生きて行くしか出来はしないだろう…。 「私は何を考えているの、きっと季節のせいよね…」 声に出して否定する事で、取り止めの無い思考から抜け出す。 カーテンで閉ざされている窓に目を移すが、晩秋の冷たい風の音も今は聞えない。 そんな秋の夜に対して、昔は感じもしなかった漠然とした物悲しさを感じてしまう。 それが季節に起因するものなのか、傍に居ない彼の所為なのかはマリアにも分からない。 ただ、就寝前に軽い気持で始めた読書だったが、結果として余計に目が冴えてしまった のは事実だった。 「そうね、もう寝ましょうか…」 漠然とした不安に乱された感情を落着ける様に、軽く深呼吸してから立ち上がる。 机に本を置き、クローゼットの前で就寝の準備を始める。 素肌に感じる空気に少し身を竦めながら、素早く寝間着として使っているワイシャツに 袖を通す。 肩幅が若干大きいのか、手の甲まで伸びる裾もそのままに、手早くボタンを留める。 普段着ている物と合せが違う為か、少し時間がかかってしまう。 「寒くなってきましたし、今日も使わせてくださいね…」 誰にとも無く一人呟き、マリアがゆっくりとクローゼットを閉めた時だった。 ─コンコン─ 控えめなノックだったが、静かな室内には思いの他大きく響き、彼女の肩を小さく竦ま せた。 消灯時間の事もあったが、何より自分の格好が気になってしまい、マリアは咄嗟に言葉 が出てこない。 「…誰、こんな時間に…?」 どうにか返事をしながら、ドアの前に立つ。 「マリア・・・、あのね…」 消入りそうなか細い声の主がアイリスだと判り、マリアはドアを開いた。 「アイリス、それにレニまで・・・、一体どうしたというの?」 ジャンポールと枕を抱えた寝間着姿のアイリス、その横には同じく寝間着に身を包んだ レニが両手で枕を抱き締めて立っていた。 「あのね…、アイリス達…」 「何故か眠れないんだ・・・、だから一緒に…」 要領を得ない二人の言葉を聞いて、マリアは僅かに間を置いた後、柔らかい笑みを浮か べて二人を部屋に招きいれた・・・。 ◇ 「狭くは無い?」 電気を消した後、ベットに入ったマリアは左右を気にしながら声をかける。 決して広くは無いシングルサイズに三人が寝ており、二人の要望でマリアを挟む形でア イリスとレニが横になっている。 「大丈夫だよ〜」 「問題ない…」 明りを落としたばかりで、まだ闇に慣れない視界の中、二人の声だけが良く聞えた。 「でも、いきなりどうしたと言うの?」 ぼんやりと月明りに照らされる天井を眺めながら、マリアは口を開く。 「二人で消燈前に話しをしていたんだ…」 「うん、お兄ちゃんのお話をしていたんだけれど…」 そこまで言うと、二人は僅かにマリアの方に身を寄せた。 「隊長の…?」 そんな二人を引き寄せるように腕を回しながら、マリアは疑問を口にする。 「お互いに部屋に帰って眠ろうとしたのだけれど…」 「全然眠れなくって、何だか寂しくなって・・・」 「それで部屋を出たら、偶然ドアを開けたアイリスと目が合って…」 「それで、私の部屋へ…」 ようやく闇に慣れた目で見渡してみると、自分を見つめている二人の瞳に気が付く。 それぞれの瞳が月光に反射して、その輝きは微かな儚さを感じさせた。 『寂しいのは私だけでは…』 カーテンの隙間から見える薄い月、空気が冷たくなってきた所為か随分と今夜は輝いて 見える。 『そう、こんな夜は寂しさを感じてしまうのかもしれないわね…』 「ねえ、マリア。お兄ちゃんのお話をして…」 アイリスが甘えるように、マリアの身体にしがみ付く。 「隊長の話しといっても、何を話せば…」 薄闇の中、互いの細かい表情が判らないと知っていながら、マリアは困ったように目を 細めた。 「マリアと隊長が出会った時って・・・、僕はまだ此処に居なかったから…」 廻された自分の腕を軽く握りながら、レニが小さく呟いた。 「そうね・・・、初めて出会ったのは支配人室の前で…」 ◇ そう、初めて会った時の彼は、まだ真新しい海軍の軍服に身を包み、硬い表情で驚いた ように私を見つめていた。 一目見て、新しく花組の隊長になる人間だと分かった。 日本に来て感じる事の多い、異邦人を見つめる奇異の視線。 そんな視線には慣れていたが、普段感じるものとは違う彼の真っ直ぐな瞳、透き通った 輝きは何故か私を落着かなくさせた。 そして不条理だとは判っていたものの、つい厳しい言葉で対応してしまう自分・・・。 多分、彼から見た私の第一印象は決して良いものではなかっただろう。 正直に言えば、私の彼に対する印象も似たようなものだった。 私にもそれまで花組の隊長を務めてきた自負があった。 首席とはいえ、士官学校を出たばかりの人間に簡単に隊長職が勤まる訳が無いと考えて いた。そして自分が隊長として認めるのはたった一人だけだと、あの時胸に付けていたロ ケットに誓っていたのだ。 そんな自分の狭量な考え方が、彼に対する言動に出てしまっていたと思う。 初めての戦闘でも、随分と偉そうな事を言ってしまったような気がする。 そして、そんな私を何も言わずに庇い導いてくれた彼・・・。 今考えると、当時の自分がとった行動の数々に、赤面してしまう。 ◇ 「ねぇ、マリアぁ?」 「寝てしまったの?」 二人の声で我に返るマリアだったが、宵闇に溶けてしまい見えないものの、その頬は薄 っすらと朱が指していた。 「おっ、起きているわよ…」 幾分慌て気味に返事をする彼女に対し、アイリス達は更に質問を続ける。 「それで、お兄ちゃんと初めて会った時のお話しはどうなったの?」 アイリスにシャツの裾を引っ張られながら、マリアは言葉を濁しながら何とか返答した。 「そうね、多分皆と一緒だと思うわ…」 「じゃあ、アイリスと同じで一目見た時からお兄ちゃんの事が好きだったんだ〜」 「そうだったんだ…」 妙に納得した様子でレニが言葉を重ねる。 「ちょ、ちょっと待って、一目見た時からって…」 「じゃあ、何時から隊長の事を好きになったの?」 慌てて否定したマリアだったが、レニの鋭い切り返しに言葉に詰ってしまう。 「何時からって…突然言われても…」 「ねぇ〜」 更に裾を引っ張るアイリスと、好奇心に溢れた瞳でマリアを見つめているレニ。 そんな二人に急かされながら、マリアは言葉を紡ぐ為に再び記憶を辿る…。 ◇ 契機と言われれば、あの黒之巣会の刹那との戦いからだろう・・・。 『隊長失格ですっ!!』 激昂したまま勢いで口に出したものの、酷く後悔した事を思い出す。 子供を助ける為に身を投げ出した彼、その姿がユーリと重なったのは既に彼の事を心の 何処かで認めていたからかもしれない。 あの後から、少しずつではあるが自分の感情を表に出すようになった。 しかし、あの時は自分の抱く感情が純粋な畏敬の念だったのか、好きとか愛という感情 かも判らない混沌としたものだったと思う。 『じゃあ、私は何時から一郎さんの事を明確に好きになったのかしら…』 最初から好きだった訳では無い、でも今は自分の感情に自信を持つ事が出来る。 『気付いたら好きになっていた?』 勿論、彼からのアプローチがあったからこそ、ここまで自分の気持に素直になれたのだ と思う。最初は誰にでも優しい彼に対して、その好意を誤解しないように懸命に自分を押 さえ込んでいた。 しかし、一度心に灯ってしまった感情は、日を追う毎に自分では抑えられない程に大き くなる。 そして一緒に生活を送る日常、彼の言葉や何気ない仕種に、自分の彼に対する感情は確 固たる確信へと変化して行く。 どれだけ考えて思い出を辿ってみても、その時々で彼に対する気持は様々な形で存在し ていたと思う。 『結局、答えは出なかったけれど…、今この瞬間の気持は確かなものなのだから…』 就寝前に波立っていた感情が今は穏やかに凪いでいる。 ワイシャツから香る太陽の匂いに混じり、微かな懐かしい香りが私を優しく包んでくれ る気がした…。 ◇ 「マリアぁ〜、本当に寝ちゃったの?」 アイリスが声を掛けるが、マリアからの反応は無い。 「……」 無言のまま半身を起したレニがマリアの顔に身を寄せる。 呼吸を確かめるように顔を近づけ、耳を立てた。 彼女の耳にマリアの穏やかな寝息が当たり、擽ったさに頬が火照ってしまうレニ。 「眠っている…」 自分の感情の乱れと眠ってしまったマリアを起さない様に、レニは声を絞ってアイリス に伝える。 「ホント?」 アイリスも調子を合せ小さな声で返答しながら、身を起した。 「…うん」 マリアの寝顔に見惚れていたのか、レニは呆けた表情を残したまま返事する。 「カワイイ寝顔だよね〜」 レニに倣うようにアイリスもマリアの寝顔に見入ってしまう。 カーテン越しの月明りに照らされながら眠りに就くマリア・・・。 良い夢でも見ているのだろうか、その吸込まれそうに穏やかな表情は童話に出てくる姫 君を想像させる。 サラサラと金糸の様な髪が枕に零れ、その豊な胸は規則正しく隆起を繰り返す。 憧憬を込めた視線でマリアを見つめていた二人は、やがて「?」という様な表情で顔を 見合わせた。 「ねえ、マリアが着ているワイシャツって…」 「うん、どう見ても男物…」 「だよねぇ…」 「……」 「……」 僅かな間だったが、見詰め合っていた二人は時を同じくして大きく肯く。 「これだったら寂しさを感じないのかもしれない」 レニが感心したように呟く。 「ホント、良い夢見れそうだよね〜」 アイリスは羨ましそうにシャツの裾を摘まんでいたが、その顔に浮かぶ表情はとても優 しげなものだった。 「アイリス達もマリアにギュって抱き着いて寝たら、お兄ちゃんの夢が見れるのかな?」 再び布団の中に潜り込み、ワイシャツに顔を摺り寄せながら呟くアイリス。 「うん、きっと良い夢が見れると思う…」 布擦れの音を残しながら、レニもマリアの身体に密着する。 「「おやすみ…」」 小さな声が重なり、静寂に包まれる室内。 やがて静かな闇の中に、穏やかな寝息が溶けていくのに時間はかからなかった。 ◇ 「もう、一郎さん…、まだ朝なのですよ…」 差し込む朝日の下では幾分甘すぎる寝ぼけ声を上げるマリア。 胸に感じる擽ったい感覚と素足に絡められた暖かさ・・・。 久しく忘れていた心地良さを楽しみながら、マリアはゆっくりと瞼を開ける。 「…?」 まだ眩しすぎる日差しに目を細めながら、覚醒しきっていないまま顔を巡らす。 何故かボタンの隙間から入り込んでいるレニの腕。 その掌はしっかりとマリアの胸の膨らみに添えられている。 右足にはアイリスが自分の足を絡ませ、マリアの腰に顔を埋めて寝息を立てていた。 先程自分が口走ってしまった寝言に頬を染めながら、マリアは恐る恐る口を開く。 「二人共、まだ起きてはいないわよね…?」 「んっ…」 「むにゃ…」 マリアの声に反応するように、レニの掌が動きアイリスは頬を摺り寄せる。 「あんっ」 再びマリアの甘い声が窓の外から聞える小鳥の囀りに重なった・・・。 「おはよう、マリア、アイリス、レニ。あら、どうしたのマリア、顔が赤いわよ?」 三人が揃って食堂に顔を出すと、紅茶の湯気越しにかえでが笑顔で迎えてくれた。 「おはようございます、かえでさん。ご心配無く、大丈夫ですから…」 「おはよう…」 「おっはよう〜♪、昨日はみんなで寝たんだよ」 それぞれが朝の挨拶を交すと、かえではアイリスの言葉に反応する。 「みんな?」 「えっええ…、昨夜はアイリスとレニと私の三人で一緒に…」 「違うよマリア〜、三人じゃなくて四人…むぐっ」 アイリスの口を慌てて押さえるマリア、黙ったままのレニは自分の掌を見つめながら何 故か頬を染めている。 「アイリス、あれは秘密だって言ったでしょう。レニも何を思い出しているの!」 そんなマリア達の姿を、かえでは紅茶に口を付けながら笑顔で眺めている。 「オッス、おはよう!!なんだぁ、朝から騒々しいなぁ」 カンナを先頭に続々と食堂に入ってくる花組のメンバー達…。 食堂の喧騒、明るい笑い声は窓を抜け広がる青空に吸込まれて行く。 帝都の舞姫達の声は海を越え遠く巴里の地まで、主人公の元へと届くのだろうか・・・。 そして今日も彼女達の物語りは、ゆっくり紡がれていく… ─fin─




戻る