12000Hit 記念 SS




12000Hit 記念 SS ─赤い糸─ Written by G7 「餞別って程のモノじゃあないけれど、良かったら飲んでくれ…」 カンナの部屋の前で立ち話をする二人を見つけて、私は咄嗟に身を引いた。 壁に背中を預け、自分の行動に対する困惑と持て余す感情を溜息として吐き出す。 「何言ってんだよ隊長、今生の別れって訳でもないだろう」 隊長から渡された一升瓶を片手に、カンナの良く通る声が聞えてくる。 「まあ、そうなんだけれど…」 「ジメジメしたって、何も始まらないぜ。折角の隊長の晴れ舞台なんだからさぁ」 「ありがとう、カンナ…」 二人の会話を聞きながら静かに様子を覗うと、カンナに肩を叩かれながら、隊長は苦笑 いを浮べていた。 「処で、マリアにはもう餞別を渡したのか?」 微かなからかいを乗せ、カンナは意地悪い笑みを浮かべて隊長を小突く。 「まだ、これからだけど…」 逃げ腰になりながら、話しを逸らかそうとする隊長。 自分の事が話題に上ってしまい、今更この場から出て行けなくなってしまう。 「隊長とマリアの事だから、アタイがとやかく言うことでは無いけどさ…」 「だからカンナ、俺とマリアは…」 そこまで言いかけて、言葉に詰ってしまう隊長を見て、変に納得した顔で、カンナはウ ンウンと一人肯いている。 「カンナぁ〜、勘弁してくれよ〜」 朗らかなカンナの笑い声に隊長の照れ隠しの言葉、普段と何も変わらない筈の光景・・・。 何故だか無性に落着かない気分に苛まれた私は、背を向けてその場を後にした。 その立ち去る背中を、隊長に見られた事にも気付かないまま…。 ◇ 『何を…、私は何を求めているというの…』 あの後、暫らくしてから部屋に帰り、ベットの上に身を投げ出す。 自分の好みに合った固めのスプリングが軋む。 締め切ったカーテンの隙間から差し込む日差しを避けるように、顔の上に手を翳した。 帝国華撃団花組隊長である大神 一郎に対し、南米方面への演習航海教官任務の辞令が下 ったのは数週間前の事だった・・・。 ショックで無いと云えば嘘になるだろう。しかし命令である以上、軍人として任に就く のは当然であると、その場では割り切る事も出来た。 「私は何を…」 先程の呟きを口に出してみるが、小さな呟きは薄暗い部屋を支配する静寂に吸込まれる ように消えていく。 「帰ってきたら、もっと大きくなってお兄ちゃんを驚かせるんだから」 隊長から貰ったリボンを手に、涙目で無邪気に笑ってみせたアイリス。 突然の辞令に戸惑う隊長に対し、すみれは気丈に祝福と励ましの言葉を送っていた。 そして先程聞いたカンナの南風を感じさせる暖かな笑い声・・・。 隊長が出発するまで、あと数日を残すのみになった今・・・。 多分、私は無邪気にも明るくも、気丈にも振舞う事は出来ないだろう。 カンナの言葉通り、今生の別れでないのは判っている。 これまで多くの別れを経験し、自分自身でも別れというものに対して耐性が出来ている と思っていたのに・・・。 しかし別れというものは決して慣れるものでは無く、繰り返す事で自分の心を鈍化させ 痛みを和らげようとするだけだと知った。 今、最も大切な人との別れを前に、それが一時的な事だと判っているものの、私の心は 鈍化するどころか過敏になって行く。 自分が隊長の代わりを務め、向後の憂い無く送り出す・・・。 自分の演じるべき役も分かっている、しかし舞台の様にその役回りを演じるには私の感 情は乱れすぎているのだ。 サロンで米田長官からの話しを聞いたその場では、漠然として深くは考えていなかった。 ただ隊長が認められたという事実は嬉しかったし、あの場の雰囲気では何も言えなかっ たのは事実だった。 その後、二人で旅立った露西亜でも、私は敢えてその話題には触れなかった。 北の大地で墓前にロケットを返し、振り向いた私に差し出された掌・・・。 そして顔を上げた先に見えた澄んだ笑顔・・・。 その掌を掴んだ瞬間から、新しい一歩を踏み出せたような気がした…。 出会いから一年足らずの間だったが、隊長と出会い過ごした日々、交した言葉・・・。 今も目を瞑れば、その表情や会話が色褪せる事なく、走馬灯のように頭を過ぎって行く。 「たった一言でいいから…」 そう口にしてから再び深い溜息が出る。 信じていない訳ではない、出会った時から現在に到るまで、隊長の言葉の端々や行動か らは確かに暖かい想いを感じた。 自分が変わる契機となった刹那との戦いの後は、不器用な性格ながらも自分の気持を伝 えていたつもりだ・・・。 そしてあの夜、季節外れの雪の舞う露西亜で確かめ合ったお互いの体温・・・。 成り行きや勢いではない確かな感情があの夜にはあった筈・・・。 考えれば考える程に心は乱れ、自分達の関係が儚く不安定なものに感じてしまう。 「私達の関係って…、」 自分は隊長に何を求めているのだろう…。 何時もの癖で胸元に手を伸ばすが、身体の一部分のようだったロケットも今は無く、虚 しく宙を掴む。 サロンでの発表の後も、露西亜への旅の途中でも隊長は何時もの…、僅かな時間を使っ て交される逢瀬の時も、別段今までと変わらない表情を見せていた。 揺るぎの無い、慈しむようなあの笑顔・・・。 その笑みを受ける喜びはあるものの、笑顔だけでは満足出来ない自分がいる。 人を愛するという事に確約や見返りを求める事はナンセンスだと判っているつもりだ。 しかし、隊長が遠くへ旅立とうとしている今、私は自分の気持に自信が持てないでい る・・・。 心が通じていれば…、相手を想う気持があれば・・・、理屈では判っているつもりの事なの に、どうしても自分の中に沸き上がる不安を拭い去る事が出来ない。 自分で自分を縛っていた束縛から解き放たれ、初めて自分の足で歩き出したと思っていた。 しかし、私は何かに縛られていなければ、精神的な安寧を得られないのかもしれない。 たった一言でいい、隊長が言ってくれれば、私はその言葉を支えに生きていけるのに…。 結局、私は何も変わっていないのかもしれない…。 最初はただ傍に居られればいいと思っていた。でも想いが通じたと感じた瞬間、もっと 彼を感じたくなり、そして今・・・。 想いが強くなる度に、自分は貪欲に何かを求めてしまう。 それは、心地良い陶酔と共に、底無しの恐怖を伴って私を苛んでいく…。 ─コンコンっ─ 突然のノックの音に一瞬身体が反応するが返事をする事を止め、そのまま天井を眺める。 こんな気分で人と話す気にもなれなかったし、上手く普段の自分を演じられるか自信が 無かった・・・。 ─コンコンっ─ 「マリア…」 「…っ!」 二回目のノックと共に聞えた声、それは最も話したく無い人物であり、最も会いたい人 の声だった。 咄嗟にベットから身を起すが、言葉が出てこない。 「済まないが、入らせてもらうよ…」 暫しの沈黙の後、遠慮がちな声と共にドアが開けられた。 普段の隊長であれば、絶対にしないであろう行動…。 部屋に入ってくる彼の表情は、普段の温和なそれと違い何処か緊張したような表情だった。 私はその彼の表情を盗み見た後、目を伏せる。 瞳を閉じると、何時の間にか溜まっていた涙が零れ落ちそうになる。 「少しだけ、話しがしたくて…」 私に話し掛けるというよりも、自分自身に言い聞かせるように、言葉を区切りながら私 の横に腰を下ろした。 何時の頃からだろうか、私の部屋で過ごす時の隊長の指定席。 当たり前の様に座る仕種を嬉しく思いながら、今はその距離が逆に心を掻き乱す。 「俺って不器用って言うか、鈍感なのか…、マリアに自分の気持が通じたってだけで有頂 天になって…」 「……」 「今回の辞令を受けてからも、最初はそんなに深く考えていなかったんだ・・・。マリアから 露西亜行きを誘われて、そちらにばかり気を取られてしまって…」 隊長が反応を探るようにチラチラと此方を見るのが判るが、私は顔を伏せたまま言葉を 発する事も出来ないでいた。 「帰ってきてからも、色々とバタバタとして…」 普段の明朗な口調では無く、何処か躊躇しているような口調・・・。 「だから、そのっ…」 途切れ途切れの隊長の言葉、進まない話しとその間の沈黙…。 ふと横を見ると、余程強く握り締めているのか、血の気を失い白くなった隊長の拳が見 えた。 普段は愛おしく感じるその生真面目さも、私の混沌とした感情には眩し過ぎた。 握り締められた拳に、自然と自分の掌を重ねてみる。 「マリア…」 聖魔城に突入する前の翔鯨丸、そしてこの部屋で幾度となく重ね合った手。 どんな時でも、その暖かさを感じるだけで安心できた。 そして今も自分の掌越しに感じる同じ暖かさ・・・。 幾分落着く事ができた私は、意を決して口を開く。 「隊長、無理に答えを出さなくても・・・、形にしようとしなくても…」 しかし口を割って出たのは、自分の気持とは違う偽りの言葉・・・。 一端、言葉を切ってから、ゆっくりと顔を上げ隊長を見つめる。 「私は大丈夫です、何時までも待っていますから…」 何故、素直に自分の気持を言葉に出来ないのだろう。 この場に到っても、平静を装うとする・・・。 自分でも可愛く無い女だと思う、生き方が不器用なのかもしれない。 いや、自分は不器用なのでは無く、弱いだけなのだろう。 自分を、自分の心内を知られるのを怖がっている。 知られてしまったら、もう今までの様に接し振舞う事は出来ないだろうから・・・。 「……」 無言のまま、私を見つめる隊長の固い表情に、微かな悲しみの色が混じる。 それが私に向けられたものなのか、自分に向けているのかは判らない。 しかし、彼にそんな表情をさせたのは、他ならぬ私自身なのだ・・・。 どれだけの間、お互いに見詰め合っていたのだろう。 痛いほどに互いの気持は判っている筈なのに、簡単な言葉すら出てこない・・・。 最初に顔を逸らしたのは私の方で、下を向いた耳朶に彼の大きな吐息が聞えた。 「前にある人から言われた事があるんだ。花組の隊長にとって一番大事なことは、決断に 迷わないこと…。そして、隊員に余計な心配をさせないことだって…」 そこまで話すと、隊長は僅かに表情を崩し、私に笑みを投げかける。 その笑みをどう返したら判らずに、私はただ子供の様に彼を見上げる事しか出来ない。 「これは隊長としてだけでなく、俺自身にも言える事だと思うんだ・・・。花組の隊長として は、何とかその事を守ってこれたと思う、でも自分自身、大神 一郎という一人の女性を 愛する男としては、どうだったんだろうって…」 隊長は一瞬だけ照れくさそうに目を逸らす。 「そんな未熟な俺だから、逆に言葉にする事でマリアを縛ってしまいそうで…。それに、 こんな考え方自体が、男の身勝手って感じもするし…。」 一言一言を自分に言い聞かせるように、隊長はゆっくりと言葉を紡いだ後、静かに目を 瞑り、大きく一度だけ肯く。 そして再び視線が絡み合った時には、その瞳の奥に揺るぎ無い決意を秘めた色を湛えて いた。 「でも、ここでハッキリさせておきたいんだ」 力強く言い切った後、隊長はあの露西亜で見たのと同じ表情を浮かべた。 「そんな事ありません、隊長は立派な人です。それに、私は何かに束縛されていないと不 安になってしまう弱い人間なのですから…」 自分でも驚くほど素直に言葉が出た。 隊長の本音を聞いて、少し気持が軽くなったからだろうか。 自分だけで無く、隊長も同じ様に悩んでくれた事が嬉しかったのかもしれない。 「それは弱さではないよ、マリア…」 「……?」 「人間誰しも言葉や形にしなければ、安心出来ない生き物なのかもしれない。でも、だか らこそ、それを確かめ合う事で強くなれると思う」 「強く、ですか…?」 「マリアは束縛って言うけれど、何か互いを縛るって事では無くて、もっと強固な繋がり って言うのかな…」 上手く言葉にならないのか、歯痒そうな面持ちで頭を掻く隊長。 「うーん、やはり上手く言葉には出来そうにも無いから…」 重ねられている私の左手を両手で包み込むように、ゆっくりと持ち上げる。 「小指同士を絡ませて…」 言葉で説明しながら、隊長の小指と私の小指を絡ませていく。 私は意味が分からないものの、言われた通りに従う。 「これは指切りって言う、日本に伝わる約束の儀式ってやつで…」 絡められる指に微かに力が込められ、私もそれに倣い力を込めた。 「約束ですか?」 「そう、でもこの場合は約束って意味合いもあるのだけれど、マリアは『あいおい』って 知っているかな?」 隊長の言葉を頭の中で反芻してみるが、それらしい言葉は浮かんではこなかった。 「相生とか相老いって書くのだけれど、二人が共に生きるとか、ずっと一緒に人生を歩む という意味で、 運命の赤い糸って言うのかな・・・。昔から運命に定められた相手とは、お互 いに小指の先から赤い糸で結ばれているって話しがあるんだ」 「赤い糸、ですか…」 「ロマンチックな話しだとは思うのだけれど、俺はこの話しがあまり好きではなくてね」 徐々に話しの筋道を見失いそうになり、私は隊長の言葉を聞き逃さない様に耳を傾ける。 「いや、赤い糸を否定するって事じゃなくて、初めから決められた運命っていうのが納得 できなかったんだ…」 真剣に私を見つめる隊長の瞳の奥に、先程の話しに出てきた、運命というには余りにも 過酷な生き方を強いられた女性の姿を見た。 「だから、俺はマリアと約束って意味を含めて、自分の意志で君と赤い糸で結ばれたい」 「隊長…」 「約束するよ、例え離れていても何が起っても、俺の気持、この赤い糸は途切れる事がな いと…」 最後に軽く力を込めてから指を離すと、溢れそうな涙で滲んだ視界に、一瞬だけ赤い糸 が見えたような気がした。 ただ指を絡め合わせただけのに、先程までと違い驚くほど心穏やかになっている。 見える訳でも無いのに、左の小指が確かに繋がれている感覚・・・。 あれほどに色々と考え悩んでいた事も、今は綺麗に心の中から消え去っていた。 節操が無いと思いつつも、込み上げてくる喜びと共に溢れる涙を止める事が出来ない。 きっと、今の私の顔はクシャクシャだろう。 ハンカチを取ろうと、左手を引いた瞬間だった。 「おっと!」 声と共に隊長が私の方に引き寄せられる仕種をする。 「もう…」 不思議と悪戯を咎める気にはならなず、微かな甘さを乗せて睨み返す。 「やっと笑ってくれたね」 隊長に言われ、自分が自然に笑っている事に気が付いた。 「やっぱりマリアには笑っていて欲しい」 「えっ…」 「舞台で見せる凛々しい表情も良いけれど、やっぱり俺はこの笑顔が好きだなっ!」 そう言うなり、隊長が釣りをするように左腕を引き上げる。 「えっ、嘘っ!」 何処も捕まれていないのに、自然と左の小指が引っ張られ、隊長の胸の中に引き寄せら れてしまう。 自分でも信じられない気持で、顔を上げて隊長を見つめる。 「不思議です…、本当に繋がっているみたい…」 「マリア、『繋がってるみたい』ではなくて『繋がっている』んだよ」 隊長は得意げに軽く片眉を上げながら、胸を反らす。 その何処か子供のような仕種に、どうしても笑いが込み上げてきてしまう。 「今、子供みたいだと思っただろう?」 少し拗ねたような口調だったが、耳朶に直接囁かれる声は甘い痺れを伴って背中を抜け て行く。 「心まで繋がってしまったようですね」 力の抜けていく身体を再び預けながら、私は如何にか言葉を紡ぐ。 今まで自分自身が生み出した悔恨や自虐といった見えない感情の鎖に、縛られ絡められ て生きてきた。そして、ここに来てからは多くの人に出会い教えられ、その絡まった鎖を 一本ずつ解き放っていった。 そして今、私は再び繋がってしまったのだ。 でもそれは軽く強く、暖かな思いで紡がれた赤い糸・・・。 「うん、だからマリアにも、俺の心の中が伝わっているかな?」 「どうでしょう?」 言葉では否定してみたものの、二人を繋ぐ赤い糸を伝い私の気持はきっと知られてしまう だろう。 それまでの戯れから甘い微熱を帯びる声に対し、私は隊長の広い背中に回した腕に力を 込めて応えた・・・。 ─fin─




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