10000Hit 記念 SS




「よっと…」 小さく声を出しながら、器用に屋根に上がった。 バランスに注意しながら、大きく背伸びをする。 「んっ〜」 固まっている身体に、初夏の日差しが染み込んでいくようで気持が良い・・・。 「やっぱり、座りっぱなしってのは良くないよなぁ…」 大神は一人呟いてから、軽い足取りで歩を進める。 大帝国劇場の屋根の上、周囲に広がる景色と吹き抜ける風が心地良い。 空を見上げると、雲一つない青空が広がっている。 梅雨明けはまだ先になりそうだったが、梅雨の谷間の晴天は今年の夏を予感させる青さ を湛えていた。 「カンナ…?」 視線を戻すと、屋根の上で大の字に横になっている先客の姿が見えた。 「よっ、隊長」 瞳を開けて大神の姿を確認すると、軽く手を挙げて挨拶を交わす。 「なんでこんな所に?」 「こんな所って、隊長はどうして?」 大神の問いにカンナが重ねて言葉を返す。 「俺は少し息抜きしようと思って…」 大神は日差しに目を細めながら、空を眺める。 「へへっ…、アタイは日向ぼっこって所だよ…」 半身を起し、大神の顔から空に向けて視線を流すカンナ。 「隣、良いかな?」 「うん…」 少しはにかみながら、大神はカンナの横に腰を下ろす。 「はぁ〜っ」 そして、大きく息をついて、そのままゴロンと大の字に身体を投げ出す。 「気持良いなぁ…」 目を瞑り、気持ち良さそうに呟く大神を不思議そうな表情でカンナは眺めた。 「仕事、大変なんだ…?」 気遣わしげに、カンナは声を掛ける。 「う〜ん、大変で無いといえば嘘になるけれど…」 大神は瞳を閉じたまま、考えるように言葉を紡ぐ。 「けれど?」 興味が湧いたのだろうか、少しだけ顔を近づけてカンナは言葉の先を促す。 「基本的に体を動かしている方が楽っていうのかな、机の上で指示を出しているより、自 分で動いた方が気が楽って感じがして…」 「それって、何だかモギリ時代を懐かしんでいる感じだぜ?」 自分でも共感出来る部分が多い為か、カンナも苦笑混じりに言葉を返した。 「ははっ、でも今の仕事にやり甲斐を感じているのも確かなんだけれどもね」 「そうだなぁ、隊長が頑張ってるってのは、アタイ達も見てて判るぜ」 「ありがとう、カンナ…」 会話を交わす大神の声が段々と小さくなっていく。 「隊長…?」 訝しげな表情を浮べたカンナは、大神の顔を覗き込む。 「寝ちまったのか…?」 微かに頬に掛かる大神の寝息を感じ、カンナの表情が和らいだものになる。 「確かに気持ちが良いもんなぁ…」 身体を起し、そのまま大神の隣で横になるカンナ。 陽光に暖められた屋根は、ポカポカと背中から暖かさを伝えてくれる。 「ふぁ…、そんなに気持ち良さそうに寝られたら、アタイだって…」 もう少しだけ、大神の寝顔を見ていたかった彼女だったのだが・・・。 親友である彼の妻に遠慮をしたのか、暖かな午後の日差しに負けたのかは判らないが、 大神の後を追うように小さな寝息を立てていた…。 10000Hit 記念 SS ─花のある生活─ Written by G7 「二人共、少しは立場を考えて…」 意識した訳では無いが、つい口調が厳しいものになるのが判る。 「ごめん…」 大神が反射的に頭を下げるが、その行為もマリアの不機嫌さに拍車をかけるだけだった。 「平和だから良いようなものの、緊急事態が起きたらどうするのですか?」 先程まで劇場内では、姿の見えない大神とカンナを探す為に一騒動があったのだ。 二人共、書き置きも連絡も無く、突然に劇場内から姿を消してしまった。 館内放送で呼び出しても、出てくる気配は無い。 平和になったとはいえ、罷りなりにも帝都を守る秘密部隊の総司令と隊員が突然姿を消し た事に、残されたメンバーにも一瞬緊張が過ぎる。 「そのさっ、あんまりにも気持ちが良かったもんだから…」 まともにマリアの顔が見れないカンナは、横目で覗うようにして口を開く。 「だからって、屋根の上で熟睡なんかして…。間違って落ちたりしたらどうするつもりな のっ!一郎さんもカンナを注意する立場なのに、一緒になって寝てしまうなんて…」 結局、二人を探し始めて数時間後、屋根の上で並んで眠っている大神とカンナを見つけ たのがマリアだったのだ。 「まぁ、隊長も偶には息抜きも必要だと…」 「……」 大神を弁護するカンナだったが、マリアの視線と無言の圧力に首を竦めてしまう。 支配人室のドアの向こうに、他のメンバー達が息を殺して此方の様子を覗っているのがわ かる。 『これじゃあ、私が悪者みたいじゃない…』 正論を説いているつもりだが、言葉に混じる微妙な感情・・・。 お互いを庇い合う様な二人の態度も、何故かマリアの心を逆撫でる。 そんな不条理な感情に苛まれながらも、彼女の二人に対するお説教は続いて行くのだっ た・・・。 ◇ 『はぁ…、少し言い過ぎたかしら…』 目の前を彩る花々も、今のマリアの心を和ませてはくれない。 『他のメンバー達も聞き耳を立てているのを知っていたのに…、あれでは一郎さんの面子 を潰してしまったかしら…』 帝劇近くの花屋の店内で、マリアは花を見ながら一人考えていた。 妻としては、夫の面子を立てなければいけないのかもしれない。 結婚してからまだ日は浅いが、プライベートは勿論、働く場も同じなのだ。 況してや上官と部下、支配人と舞台女優・・・、そして今は彼の妻としての立場もある・・・。 結婚前は特別に意識する事はなかったが、立場を使い分けるという事は意外と煩わしい 事なのだと実感していた。 『でも、此見よがしに屋根の上で昼寝なんかしなくても…』 あの場では口にしなかったが、正論の部分以外にマリアにも言いたい事があったのだ。 大神の仕事が忙しいのは判っている。 だからこそ、仕事でも私生活でも気を遣っているつもりだった。 食事にしても、疲れがとれる様に栄養価に注意して調理したり、元気が出るような食材 を使ったり・・・。 勿論仕事に於いても、直接的に手伝う事は出来ないが、執務に集中出来るような環境を 作っているつもりだった。 支配人室もその一環であり、整理整頓や掃除など、大神が仕事をし易いようにマリアな りに工夫していたのに・・・。 『一郎さんの言う事も判るのだけれど…ねぇ』 「あの〜っ、何かお探しですか?」 「えっ?」 徐々に落ち込んでいく思考に捕らわれている途中で、突然声を掛けられたマリアは驚い て声を上げてしまう。 声の方向に顔を向けると、花屋の店員がマリアの顔を見上げていた。 「あっ、あの…」 マリアにしてみれば、余りに咄嗟の出来事であった為に上手く言葉が出てこない。 今のマリアには眩しいくらいの笑みを浮べた店員は、そのまま彼女の言葉を待つ。 「オフィス…、職場に花を飾ろうと思って…」 「それでしたら、あまり派手でなく芳香の強すぎないものが良いですね」 「はい…」 店員は早速並べられた花を見繕って行く。 舞台女優という職業上、花を貰う事はあっても、自分から買い求める機会は少ない。 マリア自身、花は嫌いではないし興味もある。 しかし、こうして改めて花を買おうとすると、自分が花の事を何も知らない事に気付く のだ・・・。 「あっ…」 楽しそうに花を選んでいる店員を眺めながら、不意に目に留まった白い花弁・・・。 「唐菖蒲ですね、これでしたら上品ですし…、色や柄も選べますし」 マリアの呟きに反応した店員は、手近の長い茎に花を付けた一本を手に取る。 「その白いのを下さい…」 赤やピンク、白以外にも沢山の色があったが、マリアは一番先に目に飛び込んだ白い花 を希望した。 「白だけでよろしかったですか?」 既に二三本の花を手に取った店員が、マリアを振り返りながら確認する。 「ええ…、白だけで…」 店員に軽く肯くと、マリアは再び白い花に目を移す。 逞しい茎に咲いた大輪の白い花、ツンと伸びた葉先も美しい。 何処か凛としたその姿は、花弁の色と相俟って大神を連想させた。 「この花の本当の名前はグラジオラスって言うんですよ…」 白い花を見繕いながら、店員が口を開く。 「グラジオラス・・・、ラテン語のグラディウスに似ているわね…」 「そうなんです、ラテン語は良く判らないですけれど、葉っぱが剣先に似ているからって 事が由来らしいですよ…」 改めて見てみると、尖った葉先は剣に見えなくもない。 「あっ!でも、この花を仕事場に飾るって、結構意味深かもしれませんよ?」 思い出したように店員が声を上げる。 「意味深…?」 「この花の花言葉っていうのがですね……」 店員が手際良く花束にしていく様を眺めながら、マリアは今聞いた話を思い返し、小さ く微笑んだ…。 ◇ 夕刻を少し過ぎた時間帯だったが、初夏を迎えた7月の空はまだ暮れる事無く、その青 さを残している。 「遅くなってしまったわね…」 吹き抜ける昼と夜が混ざり合った独特な風を感じながらマリアは呟く。 劇場近くの公園を横切りながら、少し足早に先を急ぐ。 結局、大神はあの話の後、頭を冷やしてくると言って出掛けてしまった。 今頃は再び支配人室で書類と格闘している事だろう。 あの後、何も彼に言えなかった事もあって、自然と心が逸るのを押さえられない。 両手に抱えるグラジオラスの花束が、彼女の歩み合せ優しく揺れて微かな芳香が鼻先を 擽った。 『一郎さんは、この花を見たらどんな表情を見せるのかしら』 花が傍にあるだけで、先程まであれほど沈み込んでいた気持が軽やかになっていくのが判 る。 「あれは…」 不意に視線の先に見える人影。 後ろ向きにベンチに腰掛けているが、特徴のあるツンツンとした髪型には見覚えがあっ た。 「一郎さん…?」 彼を見間違う事は無かったが、「何故こんな所に?」という疑問符がマリアの頭を過ぎる。 「えっ?」 自分の声に反応した人影が、ベンチから立ち上がり此方を向く。 「マリア…」 驚いたような表情でマリアを見つめる大神。 マリアの方も、大神の姿に驚きながら、同時に言葉を紡いだ。 「「その花は…?」」 互いに自分の腕に抱えている花束を眺めてから、相手の方を確認する。 マリアも大神も、同じ様に両腕に花束を抱えているのだ。 しかも、その中身も同じ色の花が包まれている。 「どうして、一郎さんがグラジオラスを…?」 「マリアこそ、どうして花束なんか…?」 二人で疑問の言葉を口にしながら、不思議そうに顔を見合わせる。 「私は支配人室に花を飾ろうと…」 「俺も花でも飾ったら少しは雰囲気が和むのかなって…」 「一郎さん…」 大神の言葉の真意が判らないマリアは、確認するように彼の名前を呼んでみる。 「いや、マリアが俺の為に色々と気を遣っていてくれたのは判っていたんだ…。 それなのに、自分の集中力の無さを棚に上げて、無神経に息抜きしたいなんて…」 慣れない台詞からか、大神は少し視線をさ迷わせるが、腕の中の花束を見つめてから、 マリアの瞳を見つめる。 「ゴメンって意味じゃあないけれど、俺も自分で出来る事はしないと・・・。 だから花でも飾ってみようかって・・・。そしたらこの花を見つけて買ってみたんだ…」 「どうしてグラジオラスを…?」 「なんか、この花を見ているとマリアを思い出して…」 「えっ?」 少し照れたように笑いながら、大神は言葉を続ける。 「この花を見てたら、マリアを思い出して・・・。すらっとした身丈とか花振も立派だけど上 品さを失わないっていうか…」 大神の言葉がグラジオラスを指しているのは判るが、何故かマリアの頬が火照ってしま う。 「どんなに忙しくても、支配人室でこの花を見たらマリアを思い出せて頑張れるかなって 思ったから…」 「一郎さん…」 先程と同じ様に名前を呼ぶマリアだったが、そのニュアンスは微妙に違っている。 「マリアはどうしてその花を・・・、グラジオラスだっけ?」 「私もこの花を見た時に、一郎さんの姿を思い浮べたんです…」 マリアと大神は互いの腕の中の花束を見つめてから、交互に顔を見合わせた。 「「ふふっ…」」 どちらとも無く笑い声が零れる。 お互いに同じ花を買った事が、不思議と気持が通じ合っている事を改めて確認できたよ うで、嬉しさと可笑しさが同時に込み上げてくる。 「でも、一郎さんはグラジオラスの意味をご存知で買われたのですか?」 「意味?」 「その昔、グラジオラスを贈るとき、相手にその色や本数で密会の時間などを知らせてい たらしいですよ・・・。花言葉も「密会」とか「用心」って意味があるらしいですし…」 店員から聞いた話を、少し芝居掛かった口調で説明するマリア。 「そうなんだ、だったらもう少し前に知りたかったなぁ…。そうすれば、他人の目を気に しなくても、自然に『密会』出来たのにね…」 二人の仲を正式に発表する前の事を言っているのだろう。 今思えば滑稽な程に『密会』の為の用事や仕事を必死に考えていたあの頃…。 結局、秘密にしていたと思っていたのは当人達だけで、周囲の人間は全員が知っていた 事を思い出し、今更ながら羞恥に顔が染まるのが判る。 「でも、今はこうして二人で堂々と帰っても問題は無いのだし…」 軽く片目を瞑って見せ、大神はマリアの腰に手を廻し歩き出す。 大神のエスコートに、マリアも黙って歩調を合わせる。 「支配人室だけに飾るには多すぎるかな?」 歩きながら、片手で抱えている花束を見て大神が呟く。 「劇場内には飾る場所も沢山ありますし、皆にお裾分けしましょう」 マリアは両腕で抱き締めるように、花に顔を近づけながら大神に微笑む。 「うっ、うん…」 零れんばかりに咲いている純白のグラジオラスと、それに負けない輝きを放つマリアの 笑顔。 思わず見惚れてしまう大神は、照れ隠しに慌てて目を逸らす。 視線の先には、慣れ親しんだ劇場の屋根が見えてくる。 「さぁ、帰ろう」 「でも、帰ったらお仕事が待っていますからね?」 マリアの言葉に苦笑しながらも、大神は彼女の腰に廻した手を優しく引き寄せた…。 そんな出来事があってから、大帝国劇場の支配人室を彩る季節の花々・・・。 時折、白いグラジオラスが飾られる翌日、マリアと大神の間に流れる雰囲気が普段より 少しだけ『甘い』のは二人だけの秘密である・・・。 ─fin─




戻る