─星よりも遠く、光より早く─ Written by G7 『マリア、また外を見つめている…』 心の中での呟きは、口元まで上がった所で押し殺した吐息に変わる。 太正15年6月、マリアの誕生日を数日後に控えた深夜・・・。 深夜のテラス、手摺に寄り掛りながら外を眺めるマリアの姿が見えた。 レニは柱の陰からその様子を黙って見つめている。 消燈時間を過ぎているという事もあったが、外を眺める彼女の姿は何処か声を掛けるの を躊躇わせる雰囲気を漂わせていた。 以前の彼女であったならば、無関心に部屋に戻ってしまっただろう。 それともマリアの行動に疑問を覚え、無神経に声を掛けていたのかもしれない・・・。 しかし、今の彼女は部屋にも戻らず、声を掛けるでもなく、ただ黙ってマリアを見つめ ているだけだった。 『どうしたら良いのだろう…』 自問を繰り返してみるが、普段のように最良と思われる選択肢は浮かんでこない。 数日前、喉の渇きを覚え厨房で水を飲もうと部屋を出た所、偶然に彼女を見かけたのが 始まりだった。 『何を見つめているの…?』 それから毎晩、見廻りを終えたマリアは、こうやって窓の外を眺めているのだ。 彼女の行動の真意が判らないレニは、以来マリアに気付かれない様に様子を覗っている。 ─ゴクっ…─ 自分の喉が鳴る音がやけに大きく聞える。 人の秘密を盗み見ている様な罪悪感が、自分の感覚を敏感にさせているのだろうか・・・。 『隊長だったら、何か判るのかな…』 今は遥か離れた異国の地にいる存在を思い浮べて、レニは心の中で溜息を漏らす。 「ふぅ…」 レニに重なるように、視線の先のマリアも小さく肩を落とす。 『そろそろ、マリアも部屋に戻るようだ…』 この深夜の儀式は、毎晩最後は溜息で締めくくられるのだ。 そんな彼女の仕種を見ながら、レニは静かにその場を後にした・・・。 ◇ 6月18日、朝から降り続く雨は昼過ぎになっても止む気配は無かった。 予報では夕方から晴れるとの事だったが、このまま雨が上がらなければ、今晩はマリア もテラスには現われないかもしれない。 『普段と変わらない仕種、普段と変わらない口調…』 カンナやアイリス達と話す彼女の姿を眺めながら、レニは観察を続ける。 昨晩の愁いを秘めた表情など微塵も感じさせない笑顔、その内側を覗こうとしても自分 の瞳には何も映ってはこない。 自分の中の渦巻く感情を上手く整理出来ないまま、レニはただマリアを見つめる事しか 出来なかった。 「どうしたんだよレニ、ボーッとしちまって?」 突然に名前を呼ばれ、慌てて返事をする。 「ううん、別に大丈夫・・・」 自分を見つめるマリアの瞳が僅かに窄められた気がしたが、何事もなかった様に会話は 続けられた。 『カンナだったら、何の迷いも無くマリアに話しを聞く事が出来るのだろう・・・』 楽しそうに話しをするカンナに視線を移しながら、レニは微かな羨望の眼差しを向ける。 自他共に認める親友であるマリアとカンナ、そして帝劇では公然の秘密である大神とマ リアの仲・・・。 勿論、カンナや隊長に対して嫉妬している訳ではない。 ただ、カンナや隊長との間に感じる確かな絆・・・。 自分とマリアに流れる絆とは似ているものの、何かが違う・・・。 絆や想いに貴賎や質が存在しない事は知っている。 でも、その僅かな違いがレニの心を刺激するのだ。 『僕、どうしたのだろう…?』 今までに感じた事の無い感情に翻弄されているのが判る。 自分が大神やカンナにはなれない事は判っているのに…。 『でも……』 耳から入って来る会話も頭の中を通りすぎて行く。 自分の中に芽生えた、新な感情に戸惑いながら、レニはその対処法を見出せないままに 時間だけがゆっくりと流れて行く・・・。 ◇ 「レニ、居るんでしょう?」 柱の陰にに背中を付けていたレニは、突然のマリアの声に驚いて身体を震わせる。 格段に大きい声では無かったが、それでも深夜の廊下まではっきりと届いた。 一瞬の躊躇の後、その静かな口調に従いテラスに向かって足を踏み出す。 「ごめん…」 何故か最初に謝罪の言葉が口から零れる。 マリアは無言のまま、此方を見つめている。 照明の届かないテラスでは、彼女の細かな表情までは判らない。 視線を落とし、俯いたままレニはマリアの元に足を進めた。 「レニ…」 手を伸ばせば届く距離まで歩いた所で、不意にマリアが口を開く。 自分を呼ぶマリアの声・・・。 何処までも静かな彼女の声に、顔を上げられずに思わず目を瞑ってしまう。 「えっ…?」 自分が目を瞑った後、僅かな間を置いて背中に感じる柔らかい感触。 驚きに目を開けると、自分に廻されているマリアの両腕が見える。 「マリア…?」 「星を…、見ていたの…」 レニの言葉を遮るように、マリアは背中からの抱擁を解かずに、顔を近づけて囁くよう に口を開いた。 耳朶に直接響く声に、擽ったさから僅かに身じろいでしまう。 「星…?」 マリアの声に促されるように、顔を上げ夜空を見上げる。 「あっ…」 雨上がりの夜空に広がる星々の輝き。 聞きたい事は沢山あったが、目の前に広がる星空に見入ってしまう。 マリアの柔らかく優しい香りに包まれながら夜空を眺めていると、先程までの感情が嘘 のように穏やかになるのを感じる。 「星や星座の事は詳しくないけれど・・・」 マリアも一人呟きながら空を眺めていた。 「……」 「例えばあの一番明るい星・・・、手を伸ばせば届きそうだけど、本当は凄く遠いのよね…」 先程と変わらない声色だったが、自分に言い聞かせるような口調…。 マリアの言葉の真意は判らなかったが、自分にも理解可能な話の内容に、自然と口を開 く事が出来た。 「うん、あの星はポルックス、マリアの誕生月の星座でもある双子座の一等星・・・。双子座 の中でも一番近いけれど、35光年も距離がある…」 「……」 先程までの気不味さからだろうか、自分の話を黙って聞いてくれる彼女に対して、不思 議と饒舌になって行くのを止められない。 「その下の星がアルヘナ、80光年離れている・・・。双子座の左に見える、かに座のアクベン スという星は更に遠く、100光年も離れている」 「100光年…」 「うん、光の速さで100年かかる…」 「今、私達が見ているのは、100年前の星の輝きって事ね…」 「光は電波と同じ電磁波の一種で、1光年が94兆6080億キロメートルだから…」 そこまで言いかけて、直ぐ横にあるマリアの顔を見つめる・・・。 先程まで、あれほど滑らかに出ていた言葉が出てこない。 夜空を見上げる横顔に翠色の瞳・・・。 瞬く星々よりも美しく見えるその翠の輝きの中に、微かに混じる愁い・・・。 『僕は、僕は馬鹿だ…』 彼女の瞳を見た瞬間、全てが判った気がした・・・。 『マリアは星だけを見ていたんじゃなく、その後ろに巴里に居る隊長を・・・。そして星より も遥か遠くに行ってしまった人達を重ねていたんだ…』 先程の自分の言葉が、頭の中に次々と蘇ってくる。 『それなのに僕は・・・』 結局、僕は背伸びしていただけなのかもしれない。 隊長だったら、マリアを優しく包んであげたかもしれない・・・。 カンナだったら、気持ちを察して励ましていたのかもしれない・・・。 でも僕は、知り得た知識を言葉にしていただけ・・・。 『やはり、僕では…』 自分の浅はかさに頭の中が真白になり、見上げる星空が何故か滲んで見える。 ─ギュッ─ 「ありがとう、レニ…」 突然、自分を抱きしめる力が強くなる。 マリアの言葉の意味が判らずに、僕は再び彼女の方へ顔を向けた。 飛び込んで来る翠色の瞳・・・。 そこには、先程までの愁いの他に、確かに感じられる別の色・・・。 「マリア…?」 翠の瞳から目を離せない僕は、ただ彼女の名前を呼ぶ事しか出来ない。 「私の事を心配してくれて・・・、私は隊長代理として皆の事を心配する立場なのに…」 そう言って、マリアは寂しげに表情を曇らせる。 「貴女が私の事を、気に掛けてくれていた事は知っていたの・・・」 「えっ…?」 「今日だって、ずっと私の事を見ていてくれたでしょう?」 「……」 自分では密やかに行動していたつもりだったが、全て彼女に見透かされていたと知り、 羞恥で顔が染まるのが分かる。 「だから、此処で待っていたの…。貴女に聞いて欲しくて…」 「……」 僕は黙ってマリアの次の言葉を待つ。 「昔は…、露西亜や紐育でも、誕生日が近くなると夜空を見上げていたの・・・。 見上げる星々を遠く感じる事で、自分が孤独だって実感できたから・・・。 帝都に来る前の私は、誕生日なんてどうでも良かったと思っていた。私が産まれた事を 喜んでくれる人なんて、もういないと思っていたから…」 普段見せる事のない哀愁を浮かべながら、マリアは独白を続ける・・・。 「でも、此処に来てから教えられたの。自分では気付かないだけで、本当は多くの人に祝 福されているんだって・・・」 「うん…」 マリアの言葉は自分自身にも覚えがあることだったので、素直に肯く事が出来た。 「だから、今は逆に星を見ると恐くなってしまう・・・。 勿論、歳を重ねる事にも抵抗はあるけれど、星の輝きを感じる様に、皆の想いや気持を 感じる事が出来ているだろうかって…。 そして、来年も同じ様な気持で夜空を見上げる事が、光を受ける事が出来るのかと…」 「……」 「ごめんなさい、レニに変な事を言ってしまって…」 沈黙する僕を見つめながら、マリアは自嘲気味に言葉を締めくくる。 「僕は隊長みたいに、マリアを抱き締めて安心させる事も、カンナのように勇気付ける事 も出来ないけれど…」 「レニ…」 「星は誰かに見て欲しいから輝いてるわけじゃない。 例え、100年後にしか届かないと判っていても、星は輝くのを止めないと思う」 僕は何故こんなにも必死に喋っているのだろう。 先程とは違う懸命さで言葉を紡ぐ。 「だから、何年先なんて関係無いんだ。 夜空を見上げれば星が輝いている・・・。同じ様に人々の想いや気持も、絶え間無く送られ ているんだと思う。 その星々の光を、想いを受け取るのは、自分次第なんだって…。 そう僕に教えてくれたのは、皆や隊長…、マリアなのに…」 自分でも何を言いたいのか判らない、ただマリアに自分の気持を伝えたいだけだった。 最後まで言葉にならずに、黙ってしまった僕をマリアは優しく抱き締めてくれる。 「想いは星の光の様に・・・」 「うん…」 「ねえレニ、想いや気持の届く速さって、光よりも早いのかしら…?」 「えっ!?」 一瞬、頭の中を様々な数式が過ぎる。 しかし、答えを導き出してくれる方程式は一つも出てはこない。 「今でも、違う夜空を眺める程に遠くにいる人や、星よりも高い所へ行ってしまったと思 っていた人達の想いが、こんなにも沢山感じられるのだもの…」 その時のマリアの横顔は何処か遠くを見ているようだった。 僕には何処を、誰に想いを馳せているのかは判らなかったけれど、彼女の優しい表情を 見ているだけで満足だった。 そして、ゆっくりと振り返りながら、マリアは笑顔と共に言葉を紡いだ・・・。 「勿論、レニの想いも・・・ねっ」 ◇ 「お休み、マリア…」 部屋の扉を開けると、時計の針は後僅かで19日を迎える所だった。 「……」 言いかけた言葉を飲み込み、自分を見送るマリアを一瞥してからドアを閉めた。 「お休みなさい、レニ。今夜はありがとう…」 閉じられるドアの隙間から見える透き通った笑顔・・・。 完全に閉めたドアにそのまま背中を預ける。 「逆に僕の方が…」 目を閉じると、別れ際の彼女の笑顔が脳裏に浮かんでくる。 遠くで19日を告げる鐘の音が聞えた。 時計を見上げると、二つの針が12時を指している。 「やっぱり、マリアが最初に聞くおめでとうは…」 今頃、彼女の部屋でキネマトロンの着信が鳴っていることだろう。 「でも…」 『誕生日おめでとう、マリア…』 僕の想いは光より早く、彼女の元へ届いただろうか・・・。 子供っぽいとは思うが、世界中で一番早くマリアにお祝いの言葉を贈れた事が誇らしか った。 「明日はパーティーの準備があるから、もう休まなくては…」 カーテンを閉めようと窓に近づくと、ガラスに自分の顔が映っている。 「笑ってる…?」 普段からあまり気にする事の無い自分の表情だが、夜空を背景に映る自分は確かに微笑 んでいるように見えた。 カーテンを閉め、ベットに向かう足取りも、何処か軽く感じる。 「明日は・・・、今日は良い日になりそう…」 6月19日、その日はまだ始まったばかりである・・・。 ─Fin─

遅くなってしまいましたが・・・。 マリア、お誕生日おめでとう! 何時までも、星の様に輝いて私に光を・・・。 そして、私の想いも届きますように・・・。 ↑↑ 「マリア生誕100年祭」 へは此方から御戻り下さい。

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