9500Hit 記念 SS




「もうそろそろでしょうかね、大神達が帰ってくるのは…」 銀座大帝国劇場の支配人室で加山が呟く。 書類が並ぶ机に残された僅かなスペースに肘を乗せ、組んだ両手の上に顎を乗せている。 「まだ、汽車の中よ…」 執務机の横に立って書類を抱えているかえでが、苦笑しながら答えを返す。 大神とマリアが熱海に新婚旅行に出掛けている間、大神の代理を務める加山だったが、 その雑務や仕事量の多さに忙殺され、勝手の違う仕事に疲労困憊の様子だった。 「新婚旅行かぁ…、楽しんで来たんだろうなぁ…」 青空の広がる窓の外を眺めながら、加山が溜め息混じりに口を開く。 「羨ましいの?」 加山の言葉に、かえでは少し意外そうに問い返す。 「いや、羨ましいって事ではなくて…、旅行なんてここ最近行ってないなと思いまして…」 返答する加山も珍しく歯切れの悪い口調だった。 「やっと夫婦になれた二人だもの…、大神君もマリアも今まで戦いや劇場の仕事などで忙 しかったんだし、偶には休息も必要よ」 そう言いながら、かえでも何処か遠い目で窓の外に目をやった。 「そうですね…。でも、俺達にも休息は必要だと思いませんか?」 かえでの横顔を眺めながら、加山がおどけた口調で話を振る。 「そうねぇ…、大神君達みたいに旅行でも行く?」 かえでは外を眺めたままで答えを返す。 「えっ?」 一瞬、言葉の真意を量りかねた加山は、間抜な声を上げてしまう。 「それって、大神達みたいな旅行って事ですか…?」 「さぁ?それは誘ってくれる人によるんじゃないかしら?」 探る様な加山の言葉に、かえでは微妙な笑みを浮かべている。 「かえでさんっ…!」 加山が次の言葉を紡ごうとした瞬間、かえでは手に持っていた書類の束を机の上に置く。 「お休みを取る為にも、帰ってくる大神君達に仕事を残さない為にも、頑張ってね加山君」 悪戯な笑みを浮かべたかえでは、そう言って軽く手を振って部屋を出て行こうとする。 口に出そうとした言葉を飲み込む事が出来ない加山は、彼女の後ろ姿をただ黙って見送 る事しか出来ない。 「そういう言葉は、もっと雰囲気のある時にお願いね…」 ドアを開けながら、かえでは振り向き様に言葉を残していく。 静かに閉められるドアを眺めながら、加山はまだ動けないままでいる。 「大神ぃ〜、女性は謎だなぁ…」 一人残された支配人室に残された加山の呟きは、そのまま窓の外の青空に吸込まれてい った…。 9500Hit 記念 SS ─お休みの時間─ Written by G7 ─ガタン、ゴトン…─ 座席の下、レールから伝わる単調な振動が眠気を誘う。 西日が差し込む車窓から見える景色は、相変らず長閑な風景を覗かせている。 帝都に近づいているといっても、まだ到着まではかなりの時間があるようだった。 「カーテンを下ろしますよ…」 日差しに目を細めながら、マリアが窓に手を掛けようと体を動かそうとした瞬間、肩に 掛かる重さを感じて彼女は動きを止めた。 「眠っていたのですか…」 先程まで、熱心に外を眺めていたと思っていたのだが・・・。 彼女が動いた拍子に、静かな寝息を立てた大神の頭がマリアの肩に乗ったらしい。 『新婚旅行といっても、色々と気を遣わせてしまったかしら…、普段の疲れも溜まってい たでしょうし…』 マリアはもう一度座り直すと、空いている左手で大神の額に掛かった前髪の一房を軽く 梳いてみる。 「んっ…」 微かに身じろぐが、大神は目を覚ます気配は無い。 本当に熟睡しているのだろう、無意識で寄り掛かる彼の重さを心地良く感じながら、マ リアは更に大胆に大神の前髪に指を這わす。 大神が寄り掛っている為に右手は使えなかったが、その腕の先を見てマリアは優しく微 笑みを浮かべた。 身動きの出来ない右腕、その先の掌はお互いの脚の間でしっかりと握り合されている。 眠っていても彼女の手を放さない大神に、マリアは苦笑混じりに先程の事を思い出す・・・。 ◇ 「ほらっ、そろそろ行かないと汽車の時間に遅れてしまうよ…」 泊っていた旅館から駅へ向かう途中の事だった。 自然に差し伸ばされた大神の掌、マリアも何の意識もせず自然にその手を取る。 良く考えてみれば、人前で白昼堂々と手を繋ぐなんて事は初めての事だろう。 夫婦なのだから、二人の仲をもう隠す事は無いといっても、全てが自由になる訳では無 い。 マリア自身も帝劇の舞台女優、また花組の副隊長として他の隊員達や周囲に示しが付か ない行動や言動には注意しているつもりだ。 ましてや大神などは、劇場でも部隊でも責任のある立場にある。 結果、二人が夫婦として接するのは必然的に新居の中に限定されていた。 しかし、そう思っているのは当人達だけであり、些細な仕種や会話、カンナ曰く二人か ら醸し出される「甘ったるい」雰囲気など、周囲に振り撒いている事に当人達が気付かな いでいるだけなのだが・・・。 ◇ 『でも…』 繋がれる掌を見つめたまま、マリアは心の中で一人呟いてみる。 『舞台女優と支配人とか、部隊の上官と部下でも無く…。互いの立場や職責など、今だけ はお休みして、普通の夫婦として振舞ってもいいわよね…?』 自分の行動に理由を付けようと、マリアは心の中で自問を続ける。 『東京駅に着いたら…、帝都に戻ればお互いに様々なモノに縛られてしまうから…。』 落ち込みそうになる気持を鼓舞するように、マリアは握り合う右手に微かに力を込めた。 繋がれたままの掌は、肌越しに伝わる以外の暖かさも感じさせてくれる。 『だから今だけは、このまま……』 不思議なもので、気持ち良さそうに眠っている彼の表情を見ているだけで心が安らぐ。 指先に感じる固い髪の感触も、僅かに自分の首筋まで届く彼の吐息までもが、全てが愛 しく感じる。 『あの時とは逆ね…』 大神の黒髪に指を遊ばせながら、マリアは車窓の外に思いを馳せた。 黒之巣会や葵 又丹との戦いが終わった後、二人で訪れた露西亜の大地。 予定を消化し、帰路に着く途中の車内。 車窓の外に広がるのは、遅い春を待つ一面の銀世界…。 マリアには懐かしさと微かな感傷を覚えさせる風景だったが、大神は子供の様に飽く事 無く窓の外を眺めていた。 「行きも眺めていたではないですか…、そんなに変化のある景色でもないのでは?」 二人きりの旅行という事で、すこし開放的になっていたのだろう。 汽車に乗ってから、少しも構ってもらえない事に対しての不満を乗せて声をかける。 「でも、日本では感じられない雄大な自然ってヤツかなぁ…、やっぱり大陸って凄いんだ なぁって…」 彼女の声に含まれた微妙なニュアンスを感じた様子もなく、大神は無邪気に答えを返す。 「そんなものですか…」 幾分呆れ気味に呟くマリアだったが、無邪気に外を眺めている彼の横顔を見つめるその 瞳は、柔らかく優しい色を湛えている。 マリア自身、こうして大神と二人で再びこの大地に立つとは思っていなかった。 しかし、今現実に彼と一緒に旅をしている・・・。 そして互いの想いが通じ合っていると分かった今…。 旅の疲れもあったのだろう、満たされた心は身体の休息を求め、彼女を眠りの世界へ誘 って行く。 閉じられていく瞼の向こう側に、大神の姿を確認しながら、マリアは彼の肩にゆっくり と頭を預けた・・・。 『あの時、目を開けると一郎さんは私の髪をクルクルと指に絡めて遊んでいたわね…』 愛しい人が安心して自分の肩越しに眠っている姿。 自分を信頼しているからこそ、こんなにも無防備な表情を見せてくれるのだろう。 そう思うと、自然と心の奥底にある繊細な部分が、音を立てて脈動するのを感じる。 あの時の彼も、今の私の様な気持だったのだろうか…。 露西亜での旅を回想しながら、大神の髪を遊ぶ指先に視線を落とすと、不意に益体も無 い事が頭に浮かぶ。 『本当にツンツンしてるのね…、歳を重ねて白髪になってもこんな感じかしら…』 何となく大神が歳を重ねた姿を想像してしまい、マリアは思わず笑みを漏らしてしまう。 『その時、私はどんな姿で彼の隣に立っているのかしら…?』 数十年後の自分の姿を想像しようとみても、今一つ明確なイメージとして浮かんではこ ない。 どんな姿であれ彼の隣で笑っていたいと思う。 正直な話、マリアには遠い未来や先の事などは想像出来なかった。 漠然とした将来を想う事はあっても、作戦を立てるように理詰めでは考えられないし、 行動など出来はしない…。 ただ、今感じる幸せを一つ一つ積み重ねていければと思う・・・。 大神の規則正しい寝息が眠りを誘ったのだろうか。 マリアは自分の瞼がゆっくりと閉じていくのを感じた。 『もっと一郎さんの寝顔を見ていたいのに…』 心の中の呟きは、最後まで紡がれることなく、マリアは寄添うように頭を大神に乗せる。 仲良く頭を寄せて眠る大神とマリア・・・。 お互いに幸せそうな表情で眠っている。 帝都に到着するまでのほんの僅かな間だったが、二人にとっては貴重なお休みの時間…。 東京駅で車掌に起され、二人は慌てて汽車を降りて行く。 突然起されたにも関らず、軍隊のようなキビキビした行動で降り口に向かうカップルを 呆然と眺めている車掌だったが・・・。 足早に急ぐ二人の手が、しっかりと握られているのを見つけると、その表情に柔らかい 笑みを浮かべた。 二人が帝劇に帰るまで、ずっと手を握っていたかは分からない。 ただ、帰って来た大神達を迎えた加山と花組メンバー達。 その時、帝劇のロビーは驚きや羨望、冷やかしの声で賑やかになったという・・・。 ─fin─

後書き 時間的には7000Hit SSで書いた新婚旅行の帰りの「一コマ」って感じです。




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