大神 一朗 生誕100周年記念 SS




─初夢─ Written by G7 「ふふっ…」 目の前に立っている女性・・・。 静かに此方を見つめながら、優しげに微笑んでいる。 顔を良く見ようとしても、遠くから差し込む光が逆光となり、詳しくは判らない。 いや、彼女自身に靄がかかり、その身体を薄いベールで覆っているように、その存在自 体が定かではないのだ…。 「俺の気持を聞いて欲しいんだ」 『勝手に喋っている?』 「君を思う気持をこれ以上押さえられない。だから明確に、そのっ、形にしたいんだ…」 『おいおい、俺は何を言っているんだ?』 「君の答えを聞かせて欲しい…」 確かに自分の声で、目の前に立つ女性に話し掛けている。 しかし、自分の思考と関係なく、まるで他人の体の中に入っているような違和感・・・。 『これは夢だな…』 纏まらない思考の渦の中、大神はそんな事を思いながら、再び目の前の女性を見つめる。 「ねえ…」 「うふふっ…」 大神の問いかけにも、目の前の女性はただ可笑しそうに笑っているだけだ…。 彼女を愛おしく思う感情を持て余しながらも、彼女の名前が出てこない・・・。 良く知っている筈の女性なのに・・・。 『一体、誰なんだ…?』 あと半歩踏み出せば、逆光に隠された彼女の素顔を伺い知る事が出来るのに…。 そう思ってみても、夢の中の自分はその場に立ち尽くしたままだ。 「待ってくれ…」 自分が発する声に意識を向けると、徐々に彼女の存在自体が、希薄になり消えていく・・・。 「お願いだ、待ってくれっ!」 『君は誰なんだっ!』 夢の中の自分が発した声を継ぐように、意識だけの自分もまた声を出す。 しかし、その問いかけも言葉になる事無く、自分の意識の中で木霊するだけだった。 反射的に手を伸ばして引き止めようとするが、意志に反して身体は動かない。 「ふふっ…」 彼女は含みを持った笑い声を残しながら、ゆっくりと消えていく…。 「あっ!」 一瞬だけ彼女を取り巻く薄い靄の隙間から見えた白い肩…。 靄の内側、何も纏っていない美しい裸身に目を奪われながらも、もっと詳しく見ようと 意識を凝らす。 しかし、動く事の無い視界では、その顔までは窺い知る事は出来なかった。 ただ、一瞬だけ見る事のできた、素肌の一部。 鎖骨の下にくっきりと残る、紅い牡丹の様な一枚の花びら…。 それが刺青なのか痣なのかは判らないが、白い肌と紅の対比だけが強い残像として意識 に刻み込まれていく…。 ◇ 「はっ!!」 声を出して飛び起き、慌てて周りを見渡すと、見慣れた自分の部屋である事が判り、 大神は安堵の溜め息を吐いた。 カーテン越しの外はまだ暗く、太陽の昇る気配はまだ無い。 部屋の明りを点けようと、ベットから降りて立ち上がる。 床から足元に伝わる冷たさが、確かに現実にいる事を実感させてくれた。 時計に目をやると、二つの針はまだ午前五時を少し廻った所を指している。 まだ覚醒しきっていない意識を呼び起こすように、大神は軽く頭を振った。 「今日は太正17年1月2日か・・・。ひょっとして、今のが初夢になるのか…?」 自分が夢から覚めた事を確認するように、言葉にして自分を納得させてみる。 「ふうっ…。一体なんだったんだ、今の夢は…」 幾分落ち着きを取り戻し、ベットに腰掛けて状況を整理する。 「でも、誰だったんだろう…?」 どうしても、夢の中に出てきた女性の事に意識が集中してしまう。 夢の中での自分は、相手が誰だったのか判っていた様だ・・・。 自分自身も夢だと感じつつも、相手が誰であったのか知っていた気がする…。 急激に目を覚ました所為だろうか、今観たばかりの夢の詳細が思い出せない。 大神自身、夢というものが曖昧で細部まで覚えている事はないと判っている。 しかし、夢の内容が内容だけに、しかも初夢というオマケも付いていると、つい真剣に 悩んでしまうのだ。 そして、鎖骨の下に見えた小さな「紅色」…。 「マリアじゃないんだよなぁ…」 その唯一はっきりと覚えている事が、逆に大神の思考を混乱させていた。 すっかり眠気の覚めた頭を抱えて、結局大神は一人朝まで悩み続ける事になる…。 ◇ 「はぁ…」 大きな溜め息を吐いて、明りに照らされた絨毯を見つめる。 心此処に在らずと言った様子で、大神は夜の見回りを続けていた。 しかしポイントだけは、しっかりとチェックしている。 だが、これらは身体が覚えている事であって、大神の心は余所事を考えている様だった。 「異常無し……」 最後に正面玄関の戸締まりを確認して、二階への階段を上がって行く。 自分でも考えすぎだと思う、たかが夢の事でいつまでも悩んでいるのは、確かに自分ら しく無い。 しかし、どうしても気になってしまうのだ。 今日一日、何をやっていても、夢の事が頭から離れなかった。 思い出せない夢の女性…。 しかも自分は夢の中で、明確な答えを貰う事は無かったが、その女性に対してプロポー ズ紛いの愛の告白をしているのだ。 そして一番の問題は、夢の女性がマリアで無い事である。 自分にとって、最愛の女性である彼女…。 マリアと出合ってから4年近くの歳月が経つ。 様々な困難を乗り越えて、お互いに愛を育んで来た。 期も熟し今年こそは彼女との関係を、公なものにしようと思っていた矢先に見た夢があ んな夢だったのだ…。 己惚れる訳では無いが、マリアの事は良く知っているつもりだ…。 勿論、浅からぬ付き合いであるから、彼女の身体に紅い痣や刺青が無い事も知っている。 だとしたら、夢の女性は一体誰なのか…? 夢の中とはいえ、あの狂おしい程に沸き上がる愛しい気持を懐いた女性…。 大神自身、そんなに沢山の女性を知っている訳では無い。 家族や親戚を除けば、帝撃に赴任してから出合った女性達が殆どだ。 だからと言って、夢の女性に懐いたような気持を持ったのはマリア一人だけ…。 ましてマリア以外、花組の面々の素肌など見た事が無いのだから、見当の付けようが無 い。 「はぁ…」 もう一度、大きく溜め息を吐き出して、サロンを通り過ぎる。 部屋に帰っても寝れそうには無かったが、何時までも出歩いている時間でもない。 「隊長…」 俯いたまま歩いていた大神は、突然に呼ばれる声に驚いて顔を上げた。 「マリア…」 明りも持たないまま、自分の部屋の前で立っているマリア。 そんな彼女に対して、大神はただ名前を呼ぶ事しかできなかった…。 ◇ 普段とは違う気まずい沈黙…。 先に耐え切れなくなったのは、大神の方だった。 「何か飲む物でも…?」 「いえ、今は結構です。隊長…」 間を置かずに返されるマリアの言葉に、大神の表情も引き攣ったものになる。 出会ったばかりの頃と違い、お互いに気持を確かめ合った現在…。 プライベートで、しかも二人きりになった時に名前ではなく、「隊長」という呼び方を使 うのは、彼女が大神に対して怒っている時のサインだった。 役職の呼び方が変わった今でも、彼女から出会った頃の様に「隊長」と呼ばれると、反 射的に何故か緊張してしまう大神だった。 「どうしたのかな?こんな遅くに…」 いつもの逢瀬の時とは違い、大神は微妙に距離を置いてベットに腰掛ける。 「……」 大神の問いかけに答える事無く、マリアは無言で見つめ返すだけだった。 「……」 「……」 再び訪れる静寂…、ただお互いに見つめ合ってはいるが、その雰囲気は普段の甘さが感 じられない。 「ごめん…」 「謝るくらいに自覚されているのなら、訳を教えて下さい」 確かに彼女の言う通り、あの夢を見てから今まで、常に頭の中ではあの女性の事を考え ている。 生来の不器用な性格からか、大神はマリアを思う自分の気持に対して負い目を感じ、意 識的では無いものの、今日一日どこか彼女を避けて行動していた。 マリアで無いと思う程に、夢の中とは言え「愛の告白」紛いの事をしてしまった事に強 い罪悪感を覚えてしまうのだ。 また、他の面々に対しても、もしかしてという可能性を考えてしまい、どこか普段とは 違う目で彼女達を見ているような錯覚に陥り、不自然な態度を見せていたのも事実だった。 「大丈夫だよ…。これは俺自身の問題だし…」 この原因だけは彼女に知られたくない大神は、曖昧な言葉と軽い表情で、何とか追求を 躱そうとする。 「……」 大神の言葉にも、マリアは黙って翠色の瞳を向けてくるだけだ…。 「だから…、ねっ…」 「……」 どんなに言葉を取り繕うにも、彼女の瞳からは疑念と僅かな怒りの色が消える事は無い。 「……」 「……」 そして三度目の沈黙…。 全てを話してしまいたい、きっとマリアは呆れながらも分かってくれるだろう。 しかし話せない、話す切っ掛けも掴めない…。 ここまで真剣に自分を想ってくれる彼女に対して沸き上がる心苦しさ。 混沌とした大神の思考は、何の言葉も紡げないまま、時間だけが過ぎて行く。 やがて、彼女の瞳から怒りの色が消え、微かな悲しみが混じる…。 『俺は何をやっているんだっ…!』 次の瞬間には、手を伸ばしてマリアを抱き締める大神。 夢の中とは違い、今度はしっかりと意志通りに動く自分の身体。 抱き締めたのは、悲しみを浮かべた彼女の顔を見たくないからではなく、純粋に己の気 持を伝える術を他に知らないからだ。 「っ! 一朗さん…?」 突然の大神の行動に、マリアは非難を含んだ驚きの声を上げる。 しかしそんな彼女の言葉が聞えないように、大神はただマリアをきつく抱き締めた。 「くっ、苦しいです…」 大神は抱き締める力を緩め、今度は彼女の首筋に顔を埋めた。 戸惑いながらも、マリアは呼吸を整える。 「誤魔化さないでください…」 マリア自身、大神を信じていない訳では無い。 ただ、彼が悩んでいると判っていて、自分が彼の力になれないのが悔しく、打ち明けて くれない事が悲しいのだ。 正直に言ってしまえば、悩みの原因などはどうでも良かった。 今まで皆や二人で乗り越えてきた困難を思えば、どんな事であれ大丈夫だという思いが 自分の中に確かに芽生えているのを知っているから…。 そんなマリアの気持を知らないまま、大神は彼女の首筋に顔を埋めたまま口を開いた。 「誤魔化しなんかじゃなく、信じて欲しい…」 さもすれば、高慢で一方的な気持の押し付けに聞えるかもしれない。 僅かな沈黙の後、静かにマリアは口を開く。 「いつか、話してくださいね…」 そう言って、大神の頭に手を廻す。 上手な言葉で誤魔化されるより、不器用な大神の行動が嬉しかった…。 マリアにしても大神 一朗という存在を良く知るからこそ、彼の気持を汲んで信じられる 余裕もあった。 お互いに生き方が不器用なのだろう、だからこそすれ違ってしまうのかもしれない。 しかし不器用故に、お互いに分かり合える所もある…。 廻した手で大神の髪を優しく梳きながら、何時しかマリアの表情には柔らかい笑みが浮 かんでいた。 「ありがとう…」 マリアの優しい指先の感触に安らぎを覚えながら、大神はそっと彼女の首筋に唇を落す。 「ちょっ…、駄目です…。また痕が残ったりしたら…」 「痕…?」 マリアの言葉に、顔を埋めたまま返事をした大神は再び唇を寄せる。 「だから駄目ですっ!前回の舞台の前に、一朗さんが付けた痕…。なかなか消えなくて、 衣装を着替える時など、皆の前で隠すのに苦労したのですから…」 「えっ!」 それまでの雰囲気を打ち壊すような声を出して、大神が顔を上げる。 「きゃっ!」 突然の行動に、マリアも驚きの声を上げて、大神を見つめる。 「どうしたのですか、突然に…?」 「俺が付けた痕って、ひょっとしてこの辺り?」 人差し指を使って、器用にマリアの鎖骨の下に円をなぞる。 「そうですよ、駄目ですと何度も言ったのに…。御自分で付けておいて、ま・さ・か忘れ てしまったわけではありませんよね?」 少し目を細め、凄みを乗せた表情で、マリアは軽く大神を睨む。 「うっ、うん!」 自分が厳しい視線を送っているにも関わらず、何故か笑顔の大神の表情を訝しく思いな がらも、マリアはその笑顔につられて表情を緩めてしまう。 「やっぱり、俺は間違っていなかったんだっ!」 嬉しそうな声を上げて、再び抱き着いてくる大神を支えきれず、そのままベットに倒れ 込んでしまう二人。 「いっ一朗さん?」 自分の胸に顔を埋めながら、肩を震わせて小さく笑う大神。 そんな様子に困惑しながらも、マリアも大神に答えるように背中に手を廻す。 「俺、頑張るよ。何といっても、初夢だからね…」 「……?」 言葉の意味を問いただそうにも、笑い続ける大神の姿を見ていると、理由などはどうで も良く思えてしまうマリアだった。 「約束するよ、今年こそはね…」 一頻り笑い終え、顔を上げた大神は満面の笑みを浮かべてマリアに伝える。 「はい…、何を約束されるのかは分かりませんけれど…。私も一つ約束させてください」 「うん、良いよ」 「今後、二人の…。一朗さんと私の間で隠し事は…」 「「無しにしましょう(しよう)」」 最後に重なる二人の声…。 お互いに顔を見合わせ、どちらとなく笑い出してしまう。 こうして、後の大神家家訓第一条となる、この約束…。 大神とマリア…、男と女。そして、やがては父親と母親になるであろう二人…。 どちらが多く秘密を作ってしまうのか…。 それは、神様でも判らない永遠の謎。 ただ、二人の表情を見ている限り、そんな心配は必要が無いのかもしれない…。 ─Fin─




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