マリアさん七変化 其の伍




皇帝の前に引き立てられる二人。 後ろから兵士の槍に、追い立てられるように前に進むが、その視線は真っ直ぐに前に向 けられている。 二人は互いに庇い合うように、しっかりと手を繋ぎながら皇帝の前に進み出る。 無慈悲な表情で、玉座から二人を見下ろす皇帝。 静寂が広間を包み込む。 「どんな涙も役に立たぬ。二人の死は免れない」 やがて怒りに震えた声が部屋中に響き渡る…。 マリアさん七変化 其の伍 ─Zaideツァイーデ─ Written by G7 「ふぅ…」 マリアはゆっくりと台本を閉じて、声を漏らしながら目頭を押さえる。 衣装部屋の時計を見上げると、台本に目を通し始めてから既に数時間が経っている事に 気が付く。 強張っている体を解すように、軽く肩を回してみる。 続いて首も廻しながら、横に置いてある台本の表紙に目を落した。 ─Zaideツァイーデ─ 原作はモーツァルトの未完のオペラ作品である。 未完の部分を花組らしいアレンジで補い、新しい演目として選ばれたものだ。 今回マリアが演じるのは、皇帝の侍女と愛し合う主人公、捕虜ゴーマッツ・・・。 男役として自身が無い訳では無いが、参考とする原作や資料などが無いだけに、今回の 役作りに苦労しているマリアだった。 「まだ、台本も上がったばかりなのだし…。焦る必要は無いわね…」 マリアは一人呟きながら、まだインクの匂いの残る台本の表紙を指でなぞった。 「だ〜れかぁ〜っ、開けてよ〜」 ガサガサと騒がしい入り口の方に顔を向ける。 ドア越しに聞えるのは、アイリスの声だろう。 慌てて駆け寄り、ドアを開いてみると、視界に飛び込んできたのは声の主ではなく、ゆ らゆらと揺れる大きな箱の山だった・・・。 「二人共、ごくろうさま」 自分の背丈以上もある衣装箱を運んできたアイリスとレニを手伝った後、労いの言葉を かけながら自らも腰を下ろすマリア。 「いくら軽い箱と言っても・・・。誰かに手伝ってもらえば良かったのに」 「大丈夫だもん!アイリスだって頑張るんだから」 誇らしげに胸を張るアイリスと微かに肯くレニ。 そんな二人の様子を眺めていると、マリアは不思議と表情が柔らかくなるのを感じる。 「台本、出来上がったんだ…」 マリアの横に座ったレニが、膝元の台本に気が付く。 「ねぇ、マリア。今度のお話ってどんなお話なの?」 正面から身を乗り出すように、アイリスが問い掛けてくる。 題名だけは事前にメンバーに知らされていたものの、今回は未完の作品が原作というこ とで、詳しい内容はまだ伝わっていない。 「Zaide・・・。モーツァルトの未完成オペラ曲、1779年23歳の時に書かれた作品。彼がザ ルツブルグで暮らした最後の年に書かれた曲で…」 淡々と説明を始めるレニに対して、焦れったそうにアイリスが口を挟んだ。 「もう〜っ、もっと簡単に説明してよ〜」 アイリスの言葉に、レニは少し困ったようにマリアを見上げる。 視線を受け止めたマリアは、一呼吸してから話を始めた。 「簡単に要約すると…」 ◇ 18世紀のオスマントルコ。 時の皇帝ソリマンの侍女ツァイーデが、捕虜として囚われていたゴーマッツを偶然に 見かける所から話しは始まる。 一目見た時から、互いに惹かれ合う二人・・・。 お互いの立場に悩みつつも、禁じられた恋に落ちて行くツァイーデとゴーマッツ。 やがて愛を成就させる為に、彼らは自由を求めて国を脱出する決意を固める。 同じく捕虜の身でありながら、皇帝の部下となっていた友人アラチムの助けを借りて、 二人は脱出を図るのだが…。 しかし、その事を知り激怒した皇帝の命により、脱出寸前で捉えられてしまうゴーマッ ツとツァイーデ…。 そしてソリマンの前に引き立てられた、二人に下される非常な死の宣告…。 「と、原作はここまでしか書かれていないの…」 一端言葉を切り、アイリス達の反応を覗うマリア。 早く続きが知りたいのか、興味を湛えた瞳を向けているアイリス。 レニの方もここまでの話は知っていたのだろうが、ここからエンディングまでは花組オ リジナルのストーリーになる。 二人共、ただ黙ってマリアの話の続きを待っていた。 一度は皇帝から死の宣告を告げられた二人。 しかし、アラチムの進言によって、試練を与えられる事になる。 見事に試練をこなす事が出来たのならば、命と自由の保障を約束されて・・・。 成し遂げる事が不可能なような厳しい試練に対し、二人は愛だけを頼りに試練に立ち向 かって行く。 やがて、二人の愛に感動し感銘を受けた人々や妖精、神までもが二人に手を差し伸べる。 そうして、見事に試練を成し遂げた二人を見て、ソリマンは真の愛を知る。 二人は許され、改心した王の元で幸せに暮らして行く…。 「ふ〜ん、幸せになれて良かった」 ストーリーに満足したのか、お互いに顔を見合わせ肯き合うアイリスとレニ。 「でも、好きな人と一緒にいられないなんて、大変だよね…」 「うん、封建体制の国ではよくあった話だというし…」 二人の話を聞きながら、マリアも想いを巡らす。 自分自身、人を愛する事も愛される事も知る事ができた。 しかし、この物語の二人の様に、人々に感動を与えるほどの愛の形…。 それを舞台の上で、私が表現出来るものなのだろうか…。 「そうね、今の時代ではあまり考えられない事だけれど…。それを表現出来るように稽古 しないと…」 思わず口に出たマリアの言葉に、アイリスが追従した。 「なんか、想像できないよね〜」 「その当時はオスマントルコ帝国がアラブ地域を支配しており…」 レニの解説にも今一つピンとこない様子のアイリス。 「レ〜二、そうじゃなくって…。そうだ!持ってきた衣装を着てみよ♪加山のおにーちゃ んも、形から入るのも一つの手だって言っていたし…」 言いながら、彼女は届いたばかりの衣装ケースに手を伸ばした。 「ふふっ…。今日届いたのは、カーテンコール用の衣装だったわね。サイズの確認もあること だし、着てみるのも良いかもしれないわ」 マリアの言葉を聞いたアイリスは、レニを誘ってケースを開けて中身を取り出していく。 「わ〜っ、凄い!」 三人が衣装を着終わり、姿見の前に立ってみる。 最後に着る衣装なので、基本的には全員がお揃いのデザインになる。 シルク地の渡りが広いズボン。 俗に言うハーレム・パンツと呼ばれるものだが、素材がシルクの為に露骨に足が見える ものではなく、布越しにそのシルエットが見えるだけに留まっている。 上は色違いのベロアで仕立てられたチョリと呼ばれるブラウスの上から、それぞれに色 の違う薄手のベールを纏う。 そして腕や足首、開いている首元などは、円形の薄い金属片を繋ぎあわせたコインアク セサリーを付ける。 最後に、髪飾りと一体となったベールで口元を隠して、着付けが完了した。 「確かに、雰囲気を体感するには良い方法かもしれない…」 レニも満更でもなさそうな表情で呟く。 「でも…、意外と露出が多いものなのね…」 幾分かはベールで隠れるとはいえ、ベロア地のチョリは体にピッタリとフィットするタ イプの物で、嫌でも着ている者のスタイルを露にする。しかも腹部を見せる独特の意匠に、 まだ抵抗のあるマリアだった。 「本来のアラブ全域で踊られているダンス、オリエンタルダンスやベリーダンスと呼ばれ ている踊りの衣装は…」 「私達はベリーダンスなんて踊らないわよ…」 何故レニがベリーダンスを知っているのか疑問に思いつつも、腹部を隠しながら呟くマ リアだった…。 「凄く似合ってるよ、マリア〜♪」 珍しい衣装が嬉しいのだろう、マリアの周りをクルクルと回りながら言葉をかけた。 アイリスが動く度に、シャラシャラとコイン・アクセサリーが揺れ、複雑な光の反射と 軽快な金属音が、どこか乾いた異国の風を感じさせる。 「ありがとう、二人も似合っているわよ」 「うん…」 不思議なもので、自分では似合わないと思っていても、人から言葉を掛けられるとその 気になってくるものらしい…。 マリアは多少落着きを取り戻し、衣装の細かい所をチェックする。 「マリア〜っ、こんな感じかなぁ?」 声の方向に顔を向けると、アイリスがクネクネと振り付けをして踊っていた。 彼女なりにアラビアを意識した踊りなのだろう。 「米田長官みたいだ…」 同じ様に踊りを見ていたレニが呟く。 「え〜っ!アイリスお酒なんか飲んでないモンっ!」 二人の遣り取りに、笑いを押し殺すマリア。確かに酔っ払いに見えなくも無い。 「じゃあ、お手本を教えてよマリア」 突然に話しを振られ、マリアも慌ててしまう。 「そっ、そんな・・・。いきなり言われても、私も分からないわよ…」 そう言いながらも、マリアは少しずつ体を動かしてみる。 生来の性格からか、頼まれたら嫌とは言えない自分の性格を恨めしく思いながら・・・。 マリア自身、知識では知っていても、細かい腕や足の動きなどは分からない。 姿見に映る自分の動きを見てみても、先程のアイリスと然程違っている様には見えなか った・・・。 「ふ〜ん」 アイリスは感心したように、マリアに合せて体を動かす。 「……」 レニも何か思う所があるような表情をしていたが、同じ様にマリアの動きに合わせてい る。 「別に真似をしてくれなくても…」 「……」 「……♪」 暫くの間、三人は無言で踊り続けた。 鏡に映る自分の姿は間抜なものだったが、体を自由に動かすのは楽しかった。 身に着ける衣装のおかげだろうか、これがアラビア風ダンスと言われれば、そう見えな い事もない気がしてきたマリアだった…。 「あの〜っ?」 「「「…!!」」」 つい夢中になって踊っていた三人は、入り口の方から呼びかけに一斉に動きを止める。 手足の動きはそのままに、首だけを回す。 そんな動作も何となくアラビア風だ・・・。 僅かに開いたドアの隙間から、さくら・紅蘭・織姫の三人が顔だけを出して覗き込んで いる。 何故か彼女達の方が、気まずそうな表情を浮かべていたのだが…。 「貴女達、いつから見ていたの…」 マリアは表情を強張らせたまま、顔だけの三人に問い掛ける。 「その衣装を着た…」 「マリアはんが…」 「恥ずかしがっていた時からデース」 見事に言葉を継いで返答する三人…。 『あの変な踊りをずっと見られていた…?』 余りの恥ずかしさの為か、マリアは体中の血液が沸騰し一気に冷めていく様な感覚に、 目眩を憶える。 「さくら達も衣装合わせしよ〜」 マリアの動揺を他所に、アイリスが無邪気な声で三人を呼ぶ。 「踊り素敵…でしたよ」 「エエもん見せてもろうたわ」 「マーリアさんもお茶目な所があるですね〜」 通り過ぎ様、それぞれがマリアに言葉をかけていくが、その言葉によってさらに深く落 ち込んでしまうマリアだった…。 ◇ 「おっ!動き易いじゃないか」 衣装に着替えたカンナが、動きを確かめるように次々に空手の型を決めていく。 足を踏み出す度に、靡くベールと重なるコインの音が、発散される鋭い雰囲気を和らげ てくれる。 結局、ふらっと立ち寄ったカンナも含めて、花組全員での衣装合わせとなっていた。 珍しい異国の衣装を纏ったメンバー達は、それぞれ浮き立つ気持ちを押さえ切れない様 子で、大変な騒ぎになっている。 「みんなっ!騒ぐのも良いけれど、サイズや細かい所のチェックもしなければ…。 ほらっ、アイリスも走り回らないっ!」 マリアの注意も喧騒に掻き消されてしまい、騒ぎは収まる様子がなかった。 「マリアさんって、本当にスタイル良いですよねぇ〜」 さくらがマリアの腰の辺りを眺めながら、口を開く。 心なしか目が据わっているような気がする…。 「さっさくら?そういう細かい所ではなくて…」 さくらの怪しい雰囲気に、ウエストを隠しながら後退るマリア。 「きゃっ!」 マリアは突然の腰への刺激に、声を上げてしまう。 慌てて刺激の方向に目を向けると、紅蘭が彼女の腰を指先で突ついているところだった。 「なっ、何をするの紅蘭?」 「いやぁ〜、ホンマに綺麗な肌やなぁ思うて…」 よく見ると紅蘭の瞳に、悪戯な影が過ぎるのを感じたマリアは咄嗟に身構える。 「きゃっ!うっ!ちょっと、擽ったい…。」 マリアの抗議もお構い無しに、紅蘭はツンツンと指先で腰を突つく。 「私も触わっても良いですか?」 さくらも興味津々といった様子で指を伸ばしてくる。 「やめ…、ひんっ!」 言葉にしようとも、脇腹から腰に感じる擽ったさで声が出てこない。 やがてアイリスやカンナまで加わり、息が出来ない程に擽られてしまうマリア。 彼女達の悪戯がクライマクッスに達しようとしたその時…。 「おーい、みんなぁ、今度の舞台の台本を…」 声と共にドアが開かれた。 一瞬で喧騒が消え、室内全員の視線が入り口に立つ大神に注がれる。 そして台本の束を持った大神は、目の前に広がる光景に声も失ったまま立ち竦む…。 「あんっ…♪」 いきなり止まった刺激。 しかし、まだ添えられている指の感触・・・。 堪えきれなくなったマリアの声が、静寂の衣装部屋に響き渡る。 ─バサバサッ─ 大神が抱えていた台本が音を立てて落ちていく。 「ごっ、御免!!」 散らばった台本を拾う事も無く、大神は踵を返し部屋を出て行こうとする。 「おおっと!」 焦っていたのだろう、前を見ないで駆け出そうした大神は、入れ違いに部屋に入ろうと した加山とぶつかってしまう。 「あら、大神君。劇場内は走っちゃ駄目よ…」 加山の後に立っていた、かえでが大神に声をかける。 「すっ、すみません!」 かえでに頭を下げると、大神はそのまま走り去ってしまう。 「何なんだぁ?大神ぃ、急がば回れだぞ…」 何処かぎこちない大神の後ろ姿を眺めながら、加山は激突した胸の辺りを軽く叩く。 「ん…?」 「ふふっ…、大神君も若いわねえ…」 そんな加山を見ていたかえでは、可笑しそうに口元を抑えている。 「あっ!大神ぃ〜」 加山の白いスーツの胸元に残る赤い跡。 ちょうど走り出そうとした大神の顔が当たった辺りである…。 「鼻血なんて、まだまだ修行がたりないぞぉ…」 スーツに付いた赤い跡を、情けない表情で眺める加山。 楽屋の中では、訳が分からずに唖然とする一同。 マリアも大神の前で、妙な声を上げてしまった事にショックを受け、違う意味で沈黙 していた。 そんな状況を見て、かえでだけは笑いを押さえるのに苦労していた…。 ◇ 「一朗さん、此処にいたんですね…」 テラスに出ると、冷たい夜の空気に身震いしながらマリアが声を掛ける。 「うん…」 返事をする大神だが、その声は幾分沈んだものに聞えた。 「そろそろ部屋に戻らないと、風邪を引いてしまいますよ?」 マリアの言葉にも、手摺に頬杖を突いたまま、大神は夜の帳を眺めているだけだった。 「よく、此処にいる事が判ったね…」 「見回りが終わっても、部屋に戻られなかったので…」 そう言いながら、マリアは大神の隣に移動して、手摺に背中を預ける。 「一朗さんは、喧嘩したり悩み事がある時、いつも此処に来るではありませんか…」 「マリアって、俺の行動は全てお見通しなんだ…。俺ってそんなに単純かなぁ?」 少し拗ねたような大神の言葉に、昼間の騒ぎを引きずっている事に気が付く。 「そんな事はありません。衣装部屋での事は私達がふざけていたのが悪いのですし…」 「いっ衣装部屋の事は関係ないよ…」 必死にマリアの言葉を否定しようとする大神だったが、夜目でも判るほどに真っ赤な顔 になっていた。 マリア自身、詳しくは判らないが男の威厳・沽券と言うものを気にしているのだろう。 ただ、そんなにムキになる姿も、昼間の騒ぎで見た子供の様な反応でさえ、可愛いと思 えてしまう自分がいる。 「でも、顔が赤いですよ…、誰の姿を思い浮かべているんですか?」 「誰も思い浮かべてなんていないよっ…」 一応、大神は否定の言葉を出すが、言葉尻には力がない。 「そうですか…。私ってそんなに魅力が無かったのですね…」 悪いと思いながらも、マリアはわざと落胆した様子で言葉を発した。 「そんな事は無い!今だって、あの時のマリアを思い出してしまったから…。あっ…」 慌ててフォローする大神だったが、笑いを堪えるマリアの表情を見て、言葉を詰まらせ る。 「ふふっ…、すみません。でも、そんな素直な一朗さんだからこそ、みんな信頼している のですから…。だから、あまり気になさらないでください」 マリアの言葉に、大神の表情も幾分和らいだものになっていく。 「ありがとう、マリア…」 マリアの差し伸べた手を大神がしっかりと包み込む。 「さぁ、部屋に戻りましょうか一朗さん」 外気に曝され、冷たくなっていた手に、彼の暖かさが心地良かった。 劇場内に戻ると、外の寒さは感じない。 マリアは照明の絞られた廊下を見ながら、既に消灯時間を過ぎている事を思す。 「マリア…?」 大神は自分の腕に絡まり抱き着いてくるマリアに、少し驚いたように声を掛ける。 「少し、寒いんです…」 大神もそんな彼女に合せるように、普段よりゆっくりとした歩調に切り替える。 彼の温もりを感じながら、マリアはふと今回の舞台について思いを馳せた。 『原作が未完だからと言って、その表現に悩む事は無いのかもしれない…。 だって、愛の形や表現は違っていても…。 この暖かさを舞台で伝える事が出来れば、きっと…』 いつもより、ほんの少し長く感じる部屋までの距離。 伝わってくる彼の暖かさが嬉しくなり、マリアは絡める腕に僅かに力を込めた…。 ─Fin─




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