マリアさん七変化 其の四




デッキに出ると、潮を含んだ重たい海風が私を迎える。 嗅ぎ慣れた潮の匂いに混じって、微かに土の匂いを感じた。 思わず足早に、デッキ先の手摺に掴まり身を乗り出す。 目を細めて先を眺めるが、水平線が見えるだけで景色に変化は無い。 しかし、確かに感じる匂いが、彼のいる場所に近づいていると確信させる…。 「どうした、マリア。何かあったのか?」 「そうや、突然走り出したりして…」 後ろを振り向くと、旅を共にする仲間の姿が見えた。 「感じない?風に混じる大地の香りを…」 カンナも紅蘭も鼻を動かしているようだが、今一つ感じないようだった。 「そう言われてみれば、そうかなぁと思うけど…」 そう言いながら、カンナも額に手を翳し周囲を眺める。 「まぁ、マリアはんの場合、土の匂いより大神はんの匂いを感じてるんちゃうか?」 眼鏡の片縁を上げながら、意地悪な笑みを浮かべながら紅蘭が言う。 「そうだなぁ、一番楽しみにしているのはマリアだもんな…」 カンナも笑みを浮かべながら、私の肩に手を廻した。 「何を言っているのっ!私達は任務で巴里に行くのよ」 「マリアはん、そんな顔で言われても説得力がないで」 紅蘭の言葉に、顔に手を当てて確かめてしまう。 「やっぱり、自覚してるんだなぁ…、マ・リ・ア」 面白そうに私の頬を突つくカンナ。 「やめなさい!こらっ…、カンナ!」 「マリアはんが認めるまでは…、なぁ、カンナはん?」 「そうだぜ、素直に認めちまいなよ。ほれほれ…」 雲一つない青空は、三人の嬌声がどこまでも通りそうな程に青く透き通っている…。 巴里まで続いているであろう、大空に向かってマリアは自分の思いを飛ばす。 『隊長、もう少しで…、もう少しで貴方に会えるんですね…』 マリアさん七変化 其の四 ─巴里の休日─ Written by G7 「マリア…、変わってないよね?」 特別コーチとしての一日目が無事終了し、宿泊先のホテルの部屋前で突然抱き締められ た。 カンナと紅蘭は既に部屋に入ってしまったが、ドア一枚を隔てただけの状態に焦ってし まう。 「隊長…、こんな所で…」 マリアの狼狽した声にも、大神は構わず腰に手を廻してくる。 強い抱擁ではなかったが、久しぶりの大神の掌にどうしても神経が集中してしまう。 軽く腰を撫でられただけで、その感覚に流されてしまいそうになる。 「私は変わっていません…」 それだけの言葉をやっと紡いでから、マリアは大神の束縛から逃れるように身を引いた。 「良かった…」 思いの外すんなりとマリアを離すと、大神は安心したように笑顔を見せる。 ドアに凭れながら、少し恨めしそうに大神を睨んだ。 「隊長こそ変わられたのでは?今の手つきも随分と馴れていたようですけど…」 「ははっ…、そんな事は無いよ。俺も心配だったんだ…」 自分の追求をさらりと躱す辺りに、大神の変貌を見る気がするが、久しぶりに見る笑顔 に誤魔化されてしまうマリアだった。 「私は…、私は変わりません、変われません…。隊長への想いが強くなる事はあっても、 想いの方向が変わる事はありません」 「マリア…」 マリアの言葉に、一瞬驚いた表情を見せた大神。 しかし、大きく肯くと、優しく彼女の手を取る。 「あっ…」 先程の抱擁とは違い、今度は大神の行動を自然に受け入れる。 「あの〜っ、お二人さん?ウチらも一度外に出たいんやけど…」 見つめ合ったままのマリアは、突然のドアの内側からの声に驚いてしまい、咄嗟に大神 にしがみつく。 「開けるぜっ!」 痺れを切らしたカンナが声と共に、勢い良くドアを開いた。 「「……」」 「「……」」 カンナと紅蘭、抱き合ったままの大神とマリア…。 そのままの状態でお互いに言葉も無く、少しだけ気まずい沈黙が廊下を支配する…。 ◇ 特別コーチ最終日、帰り支度の為に空けられた時間を利用して、大神とマリアは巴里の カンボン街まで足を伸ばしていた。 マリアも帰国の準備があり、大神も公私のけじめを理由に最初は渋っていたが、カンナ と紅蘭の強引な勧めで二人は急遽、午後の巴里を出かける事になった。 大神も出かける事が決まると、何か考えがあるらしくマリアを連れてホテルを出た。 自分の横を歩く大神。そんな彼の横顔を見ながら、この決断の速さと行動力は変わって いない事を確認し、マリアは自然と笑みを漏らした。 しばらく歩くと、一件の店の前で大神が立ち止まる。 「隊長、此処は…?」 店の看板を見上げながら、マリアが尋ねる。 「数年前にオープンした、お店なんだけれど…」 「シャネルですか?」 通り沿いのディスプレイには、華やかな衣装が飾られている。 マリアも、帝都の雑誌で読んだ事のある店だった。 デザイナーであるココ・シャネルという女性が、「自立する女性」をイメージして、それ までの無駄に装飾の多い婦人服からの脱却を考えて創ったブランドらしい。 「うん、マリアに是非プレゼントしたくてね」 そう言ってマリアの手を引っ張り、店の中に入ろうとする大神。 「ちょっと待って下さい、隊長」 引っ張る大神を制しながら、マリアは何とか店に入る前に断ろうと考えを巡らす。 マリアとて、流行に興味が無い訳では無い。 いくら同じ人種の多い巴里の店と言っても、マリア程の身長の女性はまだ珍しいのだ。 たとえ、気に入った物があっても、普通の店にサイズがあろう筈も無い。 そうなれば、どうしてもオーダーメイドになってしまう。 自分に対してのコンプレックスが無くなったとはいえ、やはり意識してしまう…。 そんな思いをするのなら、初めから店に入らない方が良い。 「俺を信じてさ…」 大神はマリアの心配を他所に、腕を引っ張る。 その純粋な表情を見ていると、何も言えなくなってしまうマリアは、そのまま店に入っ ていく。 「凄いですね…」 店内は落着いた雰囲気で纏められており、並べられた洋服の鮮やかさを引き立たせてい た。 それまでの女性の洋服とは違い、無駄を省いたシンプルで機能的なデザインは、マリア の好みとも合っていて、思わず感嘆の声を漏らしてしまう。 「俺も偶然通った時に見つけたのだけれど、一目見てマリアに似合うだろうなと思ったん だ…」 そう言ってから、大神は店員を呼んで、何やら話している。 そうしている間にも、マリアは並べられている洋服に目を奪われ見惚れてしまう。 「 Essayer s'il vous plait ? これを 着ていただけますか?」 突然の声に振り向くと、満面の笑みを浮かべた店員が、手にした洋服を此方に差し出す。 『これを着ろというの…?』 大神の方に助けを求め振り向くと、大神もただ笑いながら肯くだけだった。 「Merci…ありがとう」 引き攣った笑みを浮かべながら、何とか片言のフランス語で礼を言ってから、洋服を受 け取り試着室に案内してもらう。 「ふうっ…」 試着室のカーテンを閉めると、マリアは目の前の姿見に映る自分の姿を見ながら溜め息 をついた。 困惑の表情を浮かべながら、洋服を抱えている自分…。 『まぁ、当ててみるだけならば、良いわよね…』 そう自分に言い聞かせ、手に持った洋服を身体に当ててみる。 ライトグリーンのツイード地で仕立てられたスーツとタイトスカート。 ツイードと言っても、本来のアイリッシュツイードではなく、シルクなどが織り込まれ ているようで、とても上品に感じる。 袖や衿などには、生地より一段濃い色合いのラインが入っており、全体にメリハリを効 かせていた。 『ひょっとして、サイズが合っている…?』 軽く肩幅を合わせてみるが、自分にピッタリと合っていた。 慌てて衿を返して確認してみたが、サイズを示す物は何も無かった。 『もしかして…、ねっ?』 自分のジャケットを脱いで、カッターのボタンを外して行くマリア…。 「マリア…」 カーテンを開けると、待ちきれなかった様子の大神が立っていた。 「はい…」 膝丈のタイトスカートが気になるのか、頻りに裾を引っ張る仕種のマリア。 大神は暫しその姿に見惚れてしまい、言葉が無かった。 「似合いませんか…?」 上手く言葉に出来ない大神は、全力でブルブルと首を横に振る。 「C'est pour offrir?プレゼントですか?」 二人の様子を微笑ましく見ていた店員が、大神に声をかけた。 「あっ…、 Oui!はい」 「 Est-ce qu'il met comme ceci, et est-ce qu'il est alle a? このまま、着て行かれますか?」 「 Ouiはい」 慌てて返答する大神は、再度マリアの方に目をやって返事をした…。 ◇ 「本場のカプチーノも、結構甘いのですね…」 モンパルナス広場のオープンカフェで、マリアはカップを置きながら口を開く。 甘い物はあまり得意ではなかったが、カプチーノの甘さが、ここ数日の疲れを溶かして いるようで、不思議と美味しく飲めた。 「甘いのは苦手だったっけ…?」 気遣わしげな表情の大神に、微笑を浮かべながら小さく首を振るマリア。 「いいえ、とても美味しいですよ」 マリアの声に、大神はに机の上に肘を置き、組んだ手の甲に顎を乗せた格好でニコニコ とした表情で彼女を見つめている。 「やはり、何処か変ですか…?」 カンボン街から帰ってきた時もそうだったが、着慣れない服装だからだろうか、どうし ても周囲の視線が気になった。 帝都にいる時は、ある意味で諦めと馴れで気になる事はないのだが、同じ人種の多い巴 里でも注目を集めてしまう事には少し抵抗がある。 「そんな事は無いよ。マリアが綺麗だから、皆が注目してるんだよ」 大神の言葉に、それとなく周りを見てみる。 確かに、此方をチラチラと覗く視線がある事に気付く。 「そうでしょうか…?」 「うん、俺もその服がマリアに合って嬉しいし…」 「隊長…」 唇を湿らすように口につけたカプチーノ。大神は唇に付いた泡を器用に舌で掬う。 「んっ…、何?」 「一日目のホテルで私を抱き締めたのは、サイズを確認する為だったのですね…」 結局、この服は大神が始めからオーダーメイドで注文していた物であり、プレゼントと して船便で送るつもりだったらしい。 今回のマリア達の訪仏で、多少の予定は狂ったものの、当初の予定通りにマリアにプレ ゼントが出来た大神は、終始ご機嫌な様子だった。 「ははっ…。まぁ、それだけでは無かったんだけれどね…」 悪びれた表情も見せずに、大神は片目を瞑ってマリアに答える。 どうしても大神に振り回されっぱなしのマリアは面白くない。 『それなら…、お返しくらいしても良いわよね…』 知る人がない異国という雰囲気がマリアを大胆にさせた。 「隊長、まだ泡が残っていますよ?」 そう言ってマリアは身を乗り出し、小さく舌を出して大神の唇をなぞる。 突然の行動に驚く大神に、追い討ちをかけるように、そのまま軽く唇を合わせて立ち上 がった。 「そろそろ出ませんと…、時間に間に合いませんよ?」 マリアは含みを持った表情で、大神に言葉を残しホテルのある方向に歩き出す。 一方の大神は、唇を指先で触れたまま、呆然と動けないでいた。 颯爽と歩く姿のマリアに、周囲の視線が集まる。 『こういうのも悪くないかも…』 以外と大胆な自分の行動も、今だけは何故か許せてしまう…。 視線を集めているのを知りつつ、舌先で自分の唇をかるく舐める。 先程飲んだカプチーノの甘さだろうか、ほんのりと残る甘く暖かな感触に、自然と笑み が零れた…。 後ろから近づいてくる足音…。 駆け寄ってくる彼の為に最高の笑顔を準備しながら、マリアは少しだけ歩みを緩めた…。 ─Fin─ 後書き かなり捏造(妄想?)が入っています(笑) ただ、マリアにブランド物のスーツを着てもらいたかっただけです。 時代的にシャネルしか無かったもので、深い意味はありません・・・。 個人的には、シャネルよりB・ウエストウッドの方が好みなのですが(笑)




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