思いつきSS 2




思いつきSS ─踏み出せない一歩─ Written by G7 夕刻の東京駅構内。 ホームには黄金色の夕日が差し込み、汽車を待つ人や送り出す人を覆い尽くす。 「三流ゴシップ紙と言っても、私も腐ってもマスメディアに籍を置く人間だ…」 ホームの中央にあるベンチに腰掛ける男が、呟くように口を開く。 背中を丸めたその姿は、無精髭の浮いた顔と相俟って、男に貧相な印象を与えていた。 ただ、その眼光だけはギラギラと粘着質の輝きが宿り、容姿とのアンバランスさが男に 不気味な雰囲気を纏わせていた。 「だが、報道の自由と人間の尊厳、想いを踏みにじる事とは違う…」 男の反対側、背中合わせでベンチに腰掛けている人物が呟く。 その姿は差し込む夕日に溶け込むようで、詳しい様子は伝わってこない。 ただ良く観察してみれば、総髪に白の三つ揃えといった瀟洒な格好…。 帝撃ではお馴染みの、月組隊長の加山の姿だった。 「圧力が掛かろうとも、どんな困難にも決して屈しはしない」 無精髭の男は言葉に力を込め、自らを鼓舞するように言葉を発する。 『アイツも同じ事を言っていたなぁ…』 そんな相手の言葉を聞きながら、加山は遠い異国の地で戦っている友を思い出す・・・。 同じ意味を成す言葉。 ただ、発する人間が違うだけで、こうも受け取り方が変わってくるのだろうか…。 言葉に込められている想いの差違が、今聞いている言葉を苦いものに感じさせた。 事の発端は、花組に宛てた大神からの手紙だった…。 何処から嗅ぎ付けたのか判らないが、この記者は海軍少尉と帝劇との関係に目を付けた。 憶測と犯罪スレスレの取材を下地に書かれた記事は、読むに耐えない酷い代物だった…。 「とにかく、この事は記事にさせてもらう」 黙って聞いていた加山の様子を見て、さらに話を続ける男。 加山の沈黙を、自分の優位と考える辺りが、男の交渉術の限界なのだろう。 「ネガも資料も、証拠も無く?」 男の目の前まで伸びている加山の影。 何か握られているような、その影の形を見て、弾かれたように顔を上げる男…。 「何処からそれを!」 男の怒声を聞き流しながら、加山は持っている紙の束をヒラヒラと振ってみせた。 「アンタのやり方と同じだよ…」 幾分呆れたように、それでも落着いた口調で言葉を返す。 「何の権限があって…!」 「その言葉、そのままお返しするよ」 男に答える口調は、穏やかなものだったが、背中から感じられる加山の無言の圧力…。 なまじ裏の世界を知っているだけに、背中を向けている男の恐ろしさに背筋が寒くなっ てくる…。 汽車の到着を知らせるアナウンスが、構内に響き渡った。 一斉に動き出す人の波。 「じゃあ、そういう事で…」 軽く片手を挙げながら、人込みに紛れていく加山。 「あんた一体、何者なんだ?」 「帝国華劇団のファンの一人だよ…」 振り返らずに発せられた言葉の最後は、構内に入り込んできた蒸気機関車の騒々しいブ レーキ音に掻き消されてしまう。 男が再び顔を上げた時には、それらしき人物は見当たらず、ただ加山の座っていたベン チには、スポットライトの様な夕日が差し込んでいるだけだった…。 ◆ 「ごめんなさいね、いつも損な役回りばかりで…」 グラスの氷が音を立てて溶け落ちる。 かえでは、喉に残る伝えきれない贖罪の言葉を洗い流すかのようにグラスを空けた。 「平和を守る為の仕事です、貴賎はありませんよ」 彼女の言葉に、少しだけ目を細めた加山だったが、すぐに何時もの口調で言葉を返した。 軍人、上官としてではない、藤枝 かえでとしての言葉が純粋に嬉しかった。 加山は手の中のグラスを回しながら、ゆっくりと琥珀色の芳香を楽しむ。 元々、酒が特別好きな訳では無い…。 ただ彼女の部屋で飲むのが好きなだけだった。 酒は口実でしかないのかもしれない…、彼女と一緒にいるのが好きなだけだから…。 ブランデーの香りに混じる、仄かな甘い香り…。 決して強くはない、彼女の部屋に漂う香りが、酔いの廻りを加速させる。 『俺も大神の事を言えた義理では無いな…』 自分自身、職務上器用に立ち回っているものの、本来は不器用な男でしかない。 目の前に好意を抱いている女性がいるのに、何も出来ないでいる自分に苛立すら感じる。 「今、大神君の事を考えていたでしょう?」 かえではそう言って、加山をグラス越しに見つめる。 如何と無い行動だが、彼女がそうする事で不思議な魔法が掛かり、自分の心がグラスを 通して、見透かされそうな気がしてしまう。 「そうですね…。巴里での事が片付くまで、大神が帰って来るまでは…」 今頃、大神は…。 海の向こうの巴里は、もう朝だろう。 帝都と変わらず、巴里でも朝から忙しなく働いている姿を想像すると、自然と笑みが漏 れてしまう。 「そうね…。でも、もしも私が帝撃の副司令として、花組や大神君を切り捨てる命令を出 したとしたらどうするの…?」 「勿論、帝国華劇団月組の隊長として命令に従いますよ…」 かえでの問いに、その瞳には幾分の含みを持たせながら、間を空けずに加山が答えを返 す。 「ふふっ…。嘘をつくのが下手ね…」 「お互い様です…」 軍隊、国家という枠に囚われている現状…。 昏迷を極める世界情勢、大きな厄災と共に何時かはそう言った選択を迫られる時が来る のかもしれない。 しかし、そんな状況でも、アイツは大神 一朗としての信念を貫くのだろうか…。 「少し、妬けるわね…」 「かえでさん…?」 グラスに目を落しながら、かえでは話を続ける。 「貴方と大神君、海軍兵学校の同期だってのは知っていたけれど…。男同士の友情って言 うのかしら…、私には解らない分、正直少し妬けるわ」 グラスから少しだけ顔を上げ、薄らと染まった頬と上目使いの彼女…。 その様子は普段と違う妖艶さを感じさせ、加山は僅かな驚きと苦笑を交えた表情で言葉 を紡いだ…。 ◆ 太正9年、広島県・江田島の海軍兵学校。 全国から集まった、120名近くの優秀な新入生達…。 桟橋から望む正面玄関を前に、俺や大神もその集団の中にいた。 国元からは、「秀才」や「天才」、果ては「神童」と呼ばれた人間が集まっているのだ。 各々が「我こそは…」、という気概に溢れており、周囲は独特の緊張感が支配していた。 かく言う俺自身も、そんなエリート意識に凝り固まった中の一人だった…。 「なぁ、海って凄いよなぁ」 突然にかけられた声に反応すると、少年の様に目を輝かせた男が自分に話し掛けていた。 「はぁ…?」 男の言葉の意味が判らずに、曖昧な返事を返す。 「あっ、俺は大神 一朗。栃木から出てきたんで、恥ずかしながら「海」ってものを始め て見たんだ…」 あまりに緊張感の無い台詞に言葉を失う…。 それが、大神 一朗との初めての出会いだった。 その後も、海軍士官候補生として教程を進んで行く俺達。 不思議と大神との仲は続いていた。 そして太正11年…。卒業まで1ヶ月を切ったある日…。 「卒業かぁ…」 「そうだな、俺達が海軍兵学校53期生として卒業するんだ…」 白亜の生徒館から見る透き通った瀬戸内の海。 毎日、時には嫌になる程に見てきた海…。 初めて会った時から、3年近くの時が過ぎたが、隣に立つ男の表情に変わりは無い。 幾分精悍な顔付きになったものの、大海原を眺めるその瞳は、あの頃と同じ輝きが宿っ ている…。 軍事学・普通学といった教程を消化し、首席卒業の栄誉に最も近い男…。 そんな事を微塵も感じさせない雰囲気、決して奢る事の無い性格が俺を惹き付けるのだ ろうか。 「なぁ、加山…」 「なんだ、大神…」 お互いに海原を見つめたまま話を続ける。 「やっぱり海は良いなぁ…。俺はこんな海の様な男になりたい…」 何の気負いも無く、当たり前に言いきる大神…。 そんな横顔を見ていると、此方の視線に気付いたのか、大神が顔を向けた。 突き抜けるような、清んだ笑顔…。 言葉では表現出来ない衝撃が、自分の心を支配していく。 言葉を失い、ただ目の前の笑顔に引き付けられる。 『この男に自分を賭けてみたい…、この男と一緒に進んでいきたい…』 肉体や頭脳の優劣ではなく、本能に刻まれている純粋な「憧れ」や「羨望」をこの男か ら感じている…。 自分の与えた衝撃も知らないまま、大神は何事も無かったように再び大海原に目を移す。 体中の細胞に凄まじい速度で「大神 一朗」という名前が刻まれていくのが感じられる。 俺はただ、その横顔を眺めている事しか出来なかった。 この時の大神の言葉が、後に自分の口癖になるとは、その時は考えもしなかったが…。 ◆ 「同期の櫻か…」 薄くなった琥珀色の水面を眺めながら、一人呟く。 目の前の加山も当時を思い出しているのか、何処か遠い目で窓の外を眺めていた。 正直、加山の大神との思い出話を聞いて、少し羨ましかった…。 楽しそうに話す、加山の表情を見ていられなくて、グラスを空けるピッチが早くなって いくのは判っていた。 微かに感じる寂寥か、血液を巡るアルコールの所為かは判らない。 ただ早くなっていく心臓の鼓動が、渦巻く感情に拍車をかける。 自分にも同期の人間がいない訳ではない。 ただ、あの二人の様に根底で信じあえる友がいないだけ…。 勿論、帝撃での仲間達を信頼していない訳では無い。 しかし時折、皆が私の後ろに見る姿…。 私が「藤枝 あやめ」の妹である事は事実であり、変えようの無い現実なのだ…。 姉の意志を継ぐ為に、ここにやって来た…。 その決意は今も変わらない、しかし私自身の感情は未だに落着く事が無い。 憧れであり、目標であった姉…。 その存在が大き過ぎる程、私は自分の存在意義を見失ってしまいそうになる。 立場上、常に毅然と年長者として振る舞う事に疲れているのかもしれない。 何も言わずに、ただ私を受け止めてくれる誰かを望んでいるのだろうか…。 「かえでさん…?」 加山の声に、慌てて顔を上げる。 「大丈夫ですか?」 心配そうな加山の視線が、今のかえでには辛かった。 「泣いてないわよね、私……」 思わず口にしてしまった本音…。 此方を見つめる加山と視線が絡む。 『きっと私、酷い顔をしている…。こんな表情か おを彼にみせるなんて…』 かえでが視線を外そうとしても、何故か身体が動かない…。 「……」 「……」 一歩踏み出せば、肩に手が届く距離、お互いに言葉も無く見詰め合う二人…。 『何故、この一歩を踏み出して、彼女を抱き締めてやれない…』 『何故、素直に彼の胸に飛び込む事が出来ないの…』 一瞬の刻、縮まらない距離…。 視線は、思いは絡まってはいても踏み出せない一歩…。 「加山くん…?」 部屋に戻ると加山の姿は無かった。 開け放たれた窓から吹き込む夜風が、火照った頬を撫でていく。 「帰ってしまったのかしら…」 あの沈黙から先に逃げ出したのは、私の方からだった。 溶けてしまった氷を口実に部屋を出た…。 自分の脆弱な心の所為か、上官としてギリギリの線引きだったのかは判らないが…。 窓を閉めようと歩み寄り、桟に手をかけた所で動きが止まる。 「……」 ─酔いが醒めたら、窓は閉めて下さい─ 水滴に曇る窓に残るメッセージ…。 彼の残した文字を指でなぞる。 「馬鹿…おひとよし。でも、お互い様よね…」 冷たくなった指先を、そっと唇に当ててみる。 自分が笑っている事に気がつくと、そのまま窓の外を眺める。 少し雲に隠れた宵闇の月。 頬に感じる優しい秋の夜風が、触れられた事のない彼の指先を連想させる。 顔を上げ、その感覚を楽しむように、私はゆっくりと瞳を閉じた…。 ─Fin─ 後書き 不完全燃焼っていうか、力不足ですね…(汗) こうなったら、最後までこの二人を追って行きたいです。 ある意味、私の中では「大神×マリア」が表なら、「加山×かえで」は裏な感じです(謎) この二人って、大神達より不器用そうなのは気のせいでしょうか…(笑)




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