マリアさん七変化 其の参





「〜〜〜♪」 キッチンから聞えるハミング。 小気味良い包丁の音。 火に掛けた鍋から漏れる小さな煮沸音。 まるで指揮を執るタクトの様に揺れる彼女の髪。 結婚してから伸ばし始めた髪は、綺麗に後ろで纏められている。 「ポニーテール」と言うらしい、彼女のこの髪型が好きだった。 軽やかなリズムを刻む金色の尻尾を眺めていると、自然と目尻が下がってくるのが判る。 自分だけが聞く事の出来る、ささやかな朝の演奏会…。 準備が一区切りした所で、彼女に声を掛ける。 「何から運んだらいいかな、マリア?」 マリアさん七変化 其の参 仲直りと魔法のバスケット Written by G7 「どうかしましたか、一朗さん?」 テーブルを挟んで、向かい側に坐る彼の表情に首を傾げる。 「いや、何でもないよ…」 そう言って笑ってみせる彼だが、何か引っかかるものを感じる。 「はっきり、言ってください」 言葉尻に力を込める。 「う〜ん、このポテトサラダ…」 彼の目線が、木製ボウルに盛られたサラダに注がれる。 『何か失敗でもしたかしら…?』 小皿に載せて、自分も口にしてみる。 ジャガイモも上手く蒸かせているし、塩・胡椒も良い案配だ。 この自家製マヨネーズも会心の出来である。 人参やハムも問題ない。 アクセントの林檎も甘くて美味しい…。 「何処かおかしかったですか?」 「凄く美味いんだけれども…。林檎がね…」 「林檎ですか…?」 済まなそうに苦笑いを浮かべながら、彼は話しを進める。 「甘い物と塩辛い物を一緒に食べるのが、どうも苦手で…」 「そうだったのですか…。まぁ、人それぞれ嗜好は違うものですし…」 言いながらも釈然としない思いが残る。 「では、この前の酢豚の時も…」 先日、紅蘭の知り合いから教えてもらった、中華料理を思い出す。 確か、あの料理にもパイナップルを入れたのだ…。 「うん…。実はあまり得意じゃなかった…」 「でも美味しいって言って下さいましたよね?」 押さえてはいるものの、徐々に声のトーンが上がってしまう。 「本当に美味しかったよ」 「では何故、言ってくれなかったんですか?」 もう駄目だ、自分でも歯止めが利かない…。 「男が食べ物の事で文句を言うなんて出来ない」 彼が拗ねた表情で視線を外す。 「お互い、思った事は言葉にして、二人で解決しようと言ったのは一朗さんではないです か!」 「実際、美味い物は美味いんだから!」 互いに声が大きくなっていく。 「そんな事を言われても、嬉しくありません!」 ─ドンッ!─ テーブルを叩きながら、立ち上がる私。 「じゃあ、どうすれば良いんだ、マリア?」 激昂する私に比べ、幾分落着いた様子の彼が口を開く。 腕組みをしたまま、黙って此方を見つめている。 彼ばかりが冷静でいるのが、どうにも面白くない。二人の問題なのに、彼にとっては取 るに足らない出来事なのだろうか? 「では、食べて頂かなくても結構です」 「えっ!?」 「だから、嫌いであれば食べて頂かなくて結構です」 さすがに、彼の表情が歪む。 「嫌いとかじゃなくて、苦手なだけで…」 「そんな事はないです!一朗さんは、ご飯とウグイス豆を一緒にたべるじゃありません か!」 ◆ 「はいっ?」 自分の疑問の声は見事に無視され、一気に捲くし立てたマリアはそのまま部屋を出て行 く。 遠ざかる後ろ姿、彼女の後ろ髪も揺れ方が激しい。 『はぁ…。俺が朝飯は洋食がいいなんて言ったから…』 幾分論点がずれているような気がするが、自分もかなり動揺していた。 結婚してから初めての喧嘩だろう。 今まででも些細な諍いはあったものの、すぐに仲直りする事が出来た。 しかし、今回はその糸口すら掴めないのだ…。 「俺が悪いのかな…」 口に出してみるが、彼女が何に対して怒っているのかが、今一つ判らない。 料理に対して口を出した事…。 「違うな…」 自分の嗜好を伝えなかった事…。 「これも違う…」 料理を美味いと誉めた事…。 「本当に美味いんだから、他に言いようが無いし…」 結局、明確な原因は浮かんでこない。 いや、本当は判っているのかもしれない。しかし、自分の男としての矜持が妨げている だけかもしれない…。 「はぁ、昼飯はどうしよう…」 天井を眺めながら、深く息を吐く。急に静かになった部屋の中で、自分の溜め息だけが やけに大きく聞えた。 ◆ 「ちょっと、カンナ。何処へ連れて行こうというの?」 「いいから、いいから」 私の言葉を聞き流しながら、カンナは強引に腕を引っ張って行く。 彼女達、花組のメンバーが何か企んでいるのは、薄々と判っていた。 彼との喧嘩の後、お互いに別々に食事を取っているのを知っている彼女達。 直接口には出さないが、心配してくれているのは十分に感じられた。 自分とて、そんな状況を寂しく思っているのだ。 やはり一人分しか作らない食事は楽しくなかった。 料理にしても、美味しいと言ってくれる相手がいなければ、何処か味気なく感じてしま う。 何故、あんなにも激昂してしまったのだろう…。 些細な事の筈なのに…。 たった一日が過ぎただけなのに、寂しさで如何にかなってしまいそうな自分…。 お互いに言葉も無く、背中合わせで眠る夜は、一人で眠るより寒く寂しい。 「カンナ…。私、そんな気分ではないの…」 不意に足を止める。 再び不安が押し寄せ、竦んでしまいそうになる。 「じゃあ、どういう気分なんだよ」 顔を上げるとカンナが真剣な眼差しで私を見つめる。 「……」 その視線を真っ直ぐに見る事の出来ない私は、無言で目を逸らす。 「アタイ達は男女の仲とか、夫婦の問題ってのは良く分からないし、知りもしない。けど よ、隊長とマリアの事だったら良く知っているつもりだぜ」 下を向いたまま、カンナの言葉に聞き入る。 「だからさ、顔を上げろよマリア。二人にはいつも笑っていて欲しい。理想のカップルで いて欲しい…。アタイ達だって、夢見る乙女なんだから、なっ?」 顔を上げると、力強い笑顔を浮かべたカンナが目に映る。 胸がいっぱいで言葉が出てこない…。 ただ、溢れてくる気持を逃がさないように、自分の胸を抱きしめるの精一杯だ。 「おっ、おい、マリア、泣くんじゃないって。泣かせたなんて言ったら、すみれの奴にな んて言われるか…」 「ありがとう、カンナ。でも、どうしてだろう、足が動かないわ…」 先程とは違う暖かな感情の奔流に身体が思うように動かない。 「しょ、しょうがねえなぁ。ちょいと揺れるぜ」 言葉の後、自分の身体が浮き上がる。 私を横抱きにして、カンナは走り出した。 「カ、カンナ?降ろしてちょうだい」 前を向いている彼女は、気にしたふうもなく足を止めない。 「お姫様をこうやって抱えるのは、王子様の役目なんだろうけど、アタイにもこんな役得 があってもいいだろう?」 ◆ 「何時まで待っているんだ?」 食堂にある置き時計に目をやると、既に10時を廻っている。 珍しく加山に朝食を誘われ、奴の言葉通りに30分近く坐っているのだ。 昨夜の晩、加山に誘われた時から、何かあるとは思っていたのだが…。 久しぶりに酒を交わしながら、マリアとの喧嘩について問いただされたのだ。 さすがは月組隊長だと思っていたが、加山曰く、 『お前の顔を見ていれば、月組で無くとも十分に気付くぞ…』 さらに駄目押しとばかりに、 『そんな事でよく花組の隊長が務まっていたなぁ』 と言われてしまった。 そこまで言われると、さすがに気分の良いものではなかったが、事実なのだから仕方が ない…。 『大神ぃ、お前はお前らしく不器用に自分を出していくしか無いんじゃないか?変に気を 利かす事と、相手を思いやるって事は別だぞ…』 自分でも理解していたつもりだが、加山に正鵠を射抜かれるとは…。 とにかく今のままでは駄目だとは判っているものの、その糸口が掴めないでいる。 『そのうち、「夫、失格です!」とか言われたらどうしようか…』 頬杖をつきながら考えを巡らすが、一向に良い案は浮かんでこなかった…。 「おっ待たせ〜♪」 元気の良いアイリスの声に我に返る。 アイリスの後から続々と食堂に入ってくる花組の面々。 それぞれ満面の笑みを湛えている。 「……?」 訝しく思いながらも、坐ったまま彼女たちを迎える。 「マリアさーん、恥ずかしがらないで行くデース!」 入り口辺りから織姫の声が聞える。 「だっ駄目…」 消入りそうな小さな声だが、確かにマリアの声も聞える。 「あ〜っ!女は度胸だっ!」 先に入ってきたカンナが、僅かに見え隠れする白く細い腕を引っ張った。 「きゃっ…!」 次の瞬間、視界に飛び込んでくる白色…。 「……!」 目の前の光景に言葉を失う。 「どうされましたの?お口が開きっぱなしですわよ」 すみれの言葉も気にならなかった。 目の前に立っているマリア…。 その表情は恥ずかしそうに、俯いたままだ。 踝辺りまである、裾の長い純白のワンピース。 両手には麻で編まれた、同じく白の広庇帽子を抱えている。 そして彼女の鎖骨辺りで揺れる三つ編…。 丁寧に編み込まれた彼女の髪は、清らかな美しさを湛えていた。 そして綺麗に真ん中で分けられた前髪。普段は滅多に見る事のない彼女の額が、その初々 しさに拍車をかける。 「おーい、大神はん?」 紅蘭が目の前で手を振るが、マリアから目が離せない。 「いい……」 「何だって?」 思わず口に出た言葉に、カンナが聞き返す。 「おでこが可愛い…」 自分の呟きに、真っ赤に頬を染めたマリアが手に持った広庇帽子で顔を隠す。 「だろう?」 親指を突き立てたカンナが、会心の笑みを返した。 ◆ 窓の外を流れる風景。 長閑な風景が眼前に広がっている。 お互いに交わす言葉は無い。 ただ、彼と繋いでいる左手だけが暖かい。 帝都を離れる度に、蒸気バスの乗客も少なくなる…。 あの後、強引に帝劇から放り出された私達、一朗さんの代わりを加山隊長が務めるとい うことで、突然のお出かけと相成った…。 彼も突然の展開に戸惑っていたが、皆の気持を汲み、出かける事を決めたようだった。 行先も決まらぬまま、バスに乗り込んだ。私はただ彼に腕を引かれるままに従うしかな かった。 昨日の蟠りがない訳ではないけれど…。仲直りの糸口を見つけられなかったのも確かな 事だったので、何も言わなかった。 バスの微かな振動に揺れる三つ編。ワンピースを着る事より、この髪型の方が恥ずかし かった。 年甲斐もなく、童女の様な髪型に笑われはいないかと心配したが、彼の反応を見る限り その心配はなさそうだった。 膝の上に乗せられたバスケット。 帝劇を出る時に、さくら達から渡された物だった。 『絶対に仲直りできる、魔法のバスケットです』 幾分、芝居掛かった台詞だったが、皆の好意を素直に受け取ることにした。 心地良い振動が眠気を誘う…。 昨夜は眠りが浅かったからだろうか…。いつからか一人では、彼の腕に抱かれなければ 安心出来ない自分。 いつのまに、こんなにも弱くなってしまったのだろう。 しかし、こうなってしまった自分も決して嫌いではない…。 そんな事を考えながら、自然と私は彼の肩に頭を乗せた。 ◆ 肩に掛かる重さに目をやると、眠ってしまったマリアのあどけない寝顔があった。 髪型の為か、喧嘩の後だからだろうか、彼女の顔を眺めていると笑みが零れる。 結局、加山や花組の面々の思惑に乗せられた形となったが、今はこの時間を楽しもうと 思う。 以前までだったら、こういった事を素直に受け止められなかっただろう。 しかし、今は違う。 帝劇の仲間達、自分の家族達…。昔はそう接しなければと思っていたが、今は当たり前 にそう思えるようになった。 マリアとの結婚を決めた時、ともすれば今まで築き上げたものが壊れてしまうと思って いた。しかし、彼女たちは今も自分達を家族として認めている。 そうした彼女達の成長を嬉しく思う。 自分も成長しなくては…。かけがいのない家族から、夫婦へ…、多少の生活の変化は有 ったものの、根底にある彼女への気持には変わりがないのだから。 彼女達が成長したように、自分達も夫婦として成長していけば良い。 自分達のペースで一歩ずつ確実に…。 そう考えると、昨夜までの鬱蒼とした気持ちが晴れてくる。 横で眠るマリアの肩を優しく引き寄せる。 『ごめんね、マリア。起きたら言葉に出して謝るよ、だけど今は先に謝らせてくれ…』 心の中で呟いてから、彼女の滑らかな額にそっと唇を寄せた…。 ◆ 久し振りのスカートだからだろうか、いつものスライドで歩く事が出来ない。 手を握る彼も、私のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれる。 バスを降りて四五分歩くと、同じ東京とは思えない長閑な風景が広がっていた。 辺りの風景を楽しみながらも、何度か彼の表情を覗い見る。 お互いに言葉が無いのは変わらないが、その表情が柔らかくなっているような気がした。 車中で何があったのだろうか? 気付けば彼の肩を借りて眠ってしまっていた私…。 彼は何も言わずに、優しい表情をしているだけだった。 「あそこでお昼にしようか?」 「はい…」 何気ない普通の会話…。 比較的大きな楡の木は、木陰に入った私達を涼やかな風と共に迎えてくれた。 手際良くレジャーシートを広げて、互いに腰を下ろす。 「魔法のバスケットか…。何が入ってるのかな?」 「さぁ…、一体何でしょうか?」 二人して覗き込むようにバスケットを開けてみる。 「……」 「……」 呆気に取られた表情で見詰め合う。 サンドウィッチの横に、綺麗に盛り付けられたポテトサラダ…。 「加山の奴…」 「カンナね…」 同時に言葉が漏れる。 再び交わす表情に笑みが混じった。 「「ふふふっ…」」 一頻り笑った後に食事を始める。 「一朗さん…」 箸で取ったポテトサラダを、手を添えて前に差し出す。 勿論、林檎もしっかり入っている。 彼も意図を察したらしく、前かがみに口を開けた。 「あーん」 一口にサラダを口に入れると、モグモグと咀嚼しながら少し考える素振りをする。 「やはり、駄目ですか?」 「いや、マリアがこうして食べさせてくれるのなら、大丈夫!」 満面の笑みで言葉を返し、再度口を開ける。 彼の餌をねだる小さなひな鳥の様な仕種に、笑いが込み上げる。 「本当に、調子が良いんですから…」 「昨日食べられなかった分も食べないといけないだろ?」 ◆ 「そんなに気に入られましたか?」 彼女の膝枕で仰向けに寝転んだまま、手を伸ばし三つ編の先で遊んでいると、上から彼 女の声が聞えた。 「うん、凄く可愛い」 覗き込む彼女の顔を真上に眺めながら、素直な感想を口にする。 「ありがとうございます。一朗さん」 吹き抜ける風が、三つ編を優しく揺らす。 「ごめん、マリア…」 彼女の目を見つめながら、言葉を紡ぐ。 「いいえ、私こそ…」 翠の瞳も優しい光を湛えて、此方を見つめていた。 「さくら君達には感謝しないとな…」 「そうですね…、加山隊長にも…」 「夫婦の問題だと言っても、俺達は全員が家族なんだ…。二人だけで夫婦をやっているん じゃない。花組という大きな家族の一員だって事だよな…」 「ええ…。大きくて、暖かい家族です」 彼女の言葉に大きく頷いて、軽く背中を伸ばす。 「良い所ですね」 一面に広がる景色を眺めながら、マリアが目を細める。 自分も身体を返して同じ方向に目を向ける。 「今度は皆で来よう。弁当も沢山作って…」 「ポテトサラダもですか?」 「もちろん!」 僅かに含みを持った彼女の問いに笑顔で答える。 「その時は子供とかも連れて行きたいな…」 自分の言葉に、僅かな驚きと期待の入り交じった表情で答える彼女。 「子供ですか…?」 「うん、俺とマリアの…」 彼女は自身の腹部に手を当てて、何か考えている。 「でも一朗さん、子供が出来たら髪は切ろうと思います。お腹に沢山栄養をあげたいです から…」 「三つ編のマリアは見られないって事?それは少し考えてしまうな」 「髪はまた伸びますよ…。それに私も子供に見せてあげたいです、この風景を…」 どこまでも突き抜ける様な青空。 僅かな夏の残滓を残す風に、たゆたう緑。 二人の午後はゆっくりと時を刻んでいく…。 ─FIN─ 後書き 何も言いません、何も言えません…(汗) 自分の表現力の無さを痛感しております。 『花組の「家族」としての絆』と『マリアと大神の夫婦としての成長?』ってなモノを少 しでも感じて頂けたら幸いに思います…。




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