700Hit 記念 SS





『男の嫉妬は見苦しい…』 そう言っていたのは、士官学校の先輩か同期の加山だったか定かではないが、確かにそ う思う。 この感情に気付くまで、自分がこんなにも嫉妬深い男だとは思ってもみなかった…。 自分で言うのも何だが、男としては割と気が利く方だと思う。確かに八方美人と言われ れば、否定は出来ないが…。 それでも海軍士官として、いや日本男児として「嫉妬」や「妬み」といった感情を持つ 事が無いように心がけてきた。 しかし、この胸の中にあるモヤモヤと釈然としない、心を蝕むような感情は「嫉妬」な のだろう。 「はぁ…」 舞台脇から自分の心を掻き乱す彼女を見つめる。 舞台の上で稽古中の彼女は、自分のこんな思いを知りはしないだろう。 700Hit 記念SS 思慕と嫉妬と秘密のお稽古 Written by G7 風呂上がりの濡れた髪が、夜風を敏感に感じさせる。 幾分乱暴に、首に巻いたタオルで頭の水分を飛ばす。 寝室に戻ると、大神が部屋を出た時と同じ姿勢で、ベットの上で横座りに台本を持った まま、何処かぼんやりとしているマリアがいた。 最近の彼女はこういった事が多い。 今度は深く溜め息を漏らしながら、大神は彼女の方に歩み寄る。 まだ気付く様子の無い彼女…。 「マリアっ!」 大神の呼び声に我に返るマリア。 「いっ一朗さん?」 少し驚いた様に、咄嗟に台本を抱きしめる。 「お風呂、先に使わせてもらったよ。また彼の事を考えていたの?」 「すみません、」 言葉を返すマリアは、照れたような苦笑混じりの表情だった。 ─ズキッ─ 胸の奥に走る鈍い痛み…。 「私もお風呂に行ってきます…」 「ああっ・・」 台本をベットに置いたマリアは、部屋を出て行く。 ─ズキッ、ズキッ─ 彼女の背中を見送りながらも、胸の痛みは続いている。 自分のこの胸の痛み・感情が、『嫉妬』だと判っているからこそ、面白くない大神はその ままベットに倒れ込む。 「ふぅ」 今日、何度目かの溜め息の後、マリアが置いていった台本を手に取ってみる。 「源氏物語か…」 歌劇団の新演目、源氏物語…。 今回マリアの役どころは光源氏、大神との結婚後、久々の主役という事で張り切ってい る。 しかし、原作が古典という事もあり、今回の役作りに苦労している様子だった。 そのマリアに、光源氏という役作りに没頭する彼女に対して、自分は嫉妬しているのだ…。 物語の人物に、ましてや架空の人物だと判っていても、マリアが他の男の事を考えるの は面白くない…。 パラパラと台本を捲ってみる。ロシア語と日本語で、びっしりと書き込みがされている。 「光源氏なんて、ただの好色な貴族ってだけだろうに…」 現代語に直された源氏の台詞を見ていると、自分ではとても言えそうもない、歯の浮く ような台詞が多い。 「マリアもこんな事を言って欲しいのかなぁ?」 何時の間にか時間が経っていたらしい。微かに聞える足音に、大神は慌てて台本を投げ 出し、頭から布団を被る。 布団越しにも微かに匂う湯上がりの甘くやわらかな香りに、彼女が部屋に入った事を知 る。 それでも背を向けたまま、寝たふりを決め込む。 やがて、静かにベットに腰を下ろすマリア。 「一朗さん?寝てしまわれたのですか?」 暫しの沈黙の後、布団越しの小さな声が聞えた。 「うん、寝ている…」 その様子に苦笑しながら、マリアは台本を手に取る。 『ひょっとして拗ねているのかしら…?』 確かに、最近は役を追求するあまり、大神に対して素っ気無い態度が多かった気がした。 それでも、通じ合っていると思っていたマリアだったが…。 『そうですよね。二人の関係は、まだ始まったばかりですものね』 隊長と副隊長、モギリと舞台女優…。恋人としての期間は長かったが、結婚したのはつ い最近であり、二人で歩く道程は始まったばかりなのだ。 そう、ゆっくりと歩んでいけば良いのだ…。 結局、隊長としての大神や、面倒見の良いモギリの大神だから惹かれたのではない。も ちろん、それらも重要な一因ではあるが、良い所・悪い所も含めて大神一朗という男性を 愛しているのだ。 そう考えると、大神のヤキモチも可愛く感じ、自分に対して嫉妬してくれた事を嬉しく思 えてしまう。 「眠っている一朗さんには聞えないでしょうけれど…。光源氏は女性達に何を求めていた のでしょうか?」 台本を閉じ、布団に包まった大神の背中を見つめながら問い掛ける。 「一応、寝言だけれども…。俺は古典なんて読んだ事がないから判らない」 まだ拗ねているらしい大神に、少し悪戯な表情で話を続けるマリア。 「一朗さんだったら判ると思ったのですが…」 「どうして?」 「だって、花組の子達だけでなく、風組のメンバーにも優しい一朗さんは人気者じゃない ですか?」 「……」 マリアの意地悪な問いかけに、黙ってしまう大神。 「一朗さんって、傍から見ればプレイボーイの素質が十分にありますよ?」 「そんな事無い!俺はマリアだけだし、マリア以外じゃ嫌なんだから」 大神が布団を跳ね飛ばし、力強く彼女の言葉を否定した。 「やっと此方を向いてくれました」 そう言って、零れんばかりの笑顔を向けるマリア。 自分の言葉に照れているのか、大神はばつが悪そうにまともに彼女の顔が見られない。 そんな大神の様子は、まるでフントが項垂れている様を思い出してしまう。 萎れた耳と丸まった尾っぽを付けた大神を想像して、一人笑い出してしまうマリア。 『でも一朗さんは、犬というよりは色々な意味で狼よね…』 マリアが笑いを堪えていると、大神が小さな声で呟く。 「そんなに笑わなくても良いだろ?それに、俺は源氏みたいにマリアに母の面影を求めた りはしないよ…」 「ふふっ…。やっぱり知っていたんですね?源氏物語」 「一応はね…」 「すみません、からかったりして…。母の面影って、藤壷の宮ですね…」 「うん…」 短い返事を残し、カーテンの隙間から外を眺める大神。その視線は何処か遠くを見つめ ている様に感じられた。 「一朗さん。今、あやめさんの事を考えていたでしょう?」 マリアも同じ様に、大神の視線の先に目をやる。 「うん…。確かにあやめさんには、母親とかではなく姉に対する思慕みたいなものがあっ たと思う」 「そうですね…」 「源氏のように、激しい想いでは無かったと思う…。でも、マリアにその代償を求めてい るんじゃなくて…」 上手く説明できない大神に助け船を出す。 「はい…。私や一朗さんに他の子達も、あやめさんに対する想いは同じ物だったと思いま す。ただ判っていても、あやめさんを想う一朗さんにヤキモチをやいたこともありますし …」 「えっ、そうなの?」 驚いたように振り返る大神。 「もうっ…、そういう所は鈍いんですから」 マリアは怒ったように、少し口を尖らせる。 彼女のそんな仕種を見て、大神は笑いながら後ろに倒れ込む。 「ははっ。これでお相子ってとこかな。俺も源氏みたく気障な台詞は言えそうも無いし」 「そうですね、気障な一朗さんなんて想像できません…」 お互いの視線は絡めあったまま、マリアも大神の側に横になる。 やがて交わす視線が微妙に艶を帯びてくる。 目の前の胸に手を伸ばすマリア。 指が届きそうな所で大神は再び、彼女に背中を向けてしまう。 「一朗さん…?」 「どうせ俺は、気の利いた台詞の一つも言えない男だから」 どうやら、先程のマリアの言葉に拗ねているらしい。 あまりに判り易い大神の行動に、笑いが込み上げてくる。 しかし、一度灯ってしまった情愛の炎は消えはしない。 マリアは大神の態度に怒るわけでもなく、ゆっくりと身体を寄せていく。 彼女の手が触れると、一瞬だけ身動ぎした大神だったが、それでも背中を向けたままだ。 這うように静かに、上半身を起こして彼の上に覆い被さる。 「おぼえなきさまなるしもこそ契りあるとは思ひたまはめ。 むげに世を思ひ知らぬやうにおぼほれたまふなむいとつらき」 (折角のこの機会こそ、前世からの因縁によるものと思っているのに まるで人の情も知らぬばかりに振る舞われては、ただ辛さが増すばかりです) 甘く密やかに大神の耳元で囁く。 突然の古めかしい言葉に、顔を向ける大神。 彼女の台本に書かれていた、源氏の台詞だった。 気が付けば、お互いの息吹さえ感じられそうな距離に、顔が近づいていた。 マリアに組み伏せられた格好の大神。寝そべったまま見上げる彼女の表情は、普段と違 う妖艶さを感じた。 ─ゴク─ 大神の喉が音を鳴らす。 「前世の因縁とかは判らない。でも、俺の振る舞いで辛さを感じるよりも喜びを感じて欲 しい…」 「合格です、一朗さん」 「マリア…」 彼女の滑らかな指が、大神の洗いたての前髪を優しくかき上げる。 遮るものの無くなった視界、僅かな月明りに彩られた翠色の瞳から目が離せない。 「これからは、こうやって二人でお稽古しましょう。相手がいた方が上達も早いですから」 「どちらの稽古なんだい?マリアの、それとも俺の…?」 「それはお任せします…」 こうして、秘密の稽古が功を奏したかは二人にしか判らない。 しかし「源氏物語」がマリアの代表作の一つになったのは事実である…。 ─FIN─ 後書き リクエストは「マリアにヤキモチをやく大神くん」という事でしたが…。 嫉妬って言うと少し重く感じてしまいますね…。「ヤキモチ」って、軽くほのぼのとした ものが表現できればと思っていたのですが…。 力不足です…。 さて「源氏物語」ですが、宝塚の花組で舞台化されています。 帝劇のメンバーで演じるのなら、 マリア→光源氏、カンナ→頭中将、レニ→紫の上、すみれ→六条御息所(笑)or葵の上っ て感じでしょうか。もちろん藤壷はあやめさんが良いのですが・・・(女優さんでは無いです けど) などと妄想爆発で遅れに遅れてしまった作品ですが、楽しんで頂ければ幸いに思います。




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