マリアさん七変化? 其の二





乙女学園の朝は早い。 まだ小鳥の囀りが聞える早朝、それでも真夏の太陽は、勤勉にその日差しを振り撒いて いる。 今日も教員用の駐車場前を、色とりどりの袴姿に身を包んだ少女達が、箒を手に朝の清 掃活動に勤しんでいた。 「ねえ、今日から来られる講師の先生なんだけれど…」 「うん、一週間だけの特任講師って話よね」 忙しそうに手を動かしながらも、おしゃべりは続く。 「何でも、海軍から特別に派遣された方みたいよ」 「えーっ、私は帝国劇場からって聞いたけれども…」 お互いの情報を交換し合う少女達、その中の一人がポツリと呟く。 「何にしても、格好良い人だったら…」 「うん…」 思い思いに肯く少女達、規律正しい生活を送っているとはいえ、やはり夢見る少女達の 思いは止められない…。 ─ドッドッドッ─ 四気筒蒸気エンジンの地響きの様な重低音が響く。 音に気が付いた少女達が一斉に、音源の方向に顔を向けた。 紅色の蒸気バイクが此方に近づいてくる。 普段あまり見る事の無い、大型の蒸気バイクに少女達は不思議そうに顔を見合わせる。 やがて軽やかに紅い巨体を駐車場に滑り込ませ、エンジンを切った後に颯爽と彼女達の もとへ歩みよるライダー。 「済まないが…」 問い掛けられた少女は、海軍の第二種軍装(夏服)の白色が逆光と相俟って、目を細め ながらドライバーを見上げる。 少女より20cm以上高いその長身。表情を覗おうにも、一目で舶来物と判るレンズの大き い色眼鏡の為に、細かい顔の造詣まで覗う事が出来なかった。 それでも、声色や物腰から漂う精悍な雰囲気に完全に呑まれてしまう少女。 周りの少女達も伝染した様に固まっている。 「校長室はどちらに…」 「はっ、はいっ!校長室でしたら、そこの通用口を入って…」 出来の悪いマリオネットの様に、ギクシャクとした動きで少女が説明をする。 「ありがとう、お嬢さん。私は今日から特任講師として赴任する大神です、よろしく」 ライダーは軍服の衿ホックを掛け直しながら、優しく微笑むと一礼してその場を後にし た。 身体を返す瞬間に、金帯線に銀鍍金された桜章が目に入った。 「大神…、少尉さん…?」 それだけ呟くと、少女はヘナヘナと腰から崩れ落ちてしまう。 あとは蜂の巣を突ついたような騒ぎが駐車場を包んでいった…。 マリアさん七変化? 其の二 軍服講師マリア Written by G7 「と、言う訳で本日から一週間の短い間ですが、皆さんを教えて頂く事になりました、大 神マリア特務少尉です」 担任の女性教諭の説明に、ペコリと頭を下げるマリア。 ─ザワッ─ 教室の中が騒がしくなる。既に瞳孔がハート型に開いている生徒もいる。 女性教諭が静寂を促すように、二三度机を叩くと静かになったが、それでも生徒達の興 味は薄れてはいない様だ。抑圧される分、興味や憶測が大きくなる事を知っているマリア は、心の中で大きな溜め息を吐いた。 『本当に一週間、やっていけるのかしら…』 「只今、戻りました…」 「お帰り、マリア」 支配人室に入ると、大神がいつもの笑顔で迎えてくれた。 相変らず、ワイシャツにネクタイ、ベストというモギリ時代と変わらない服装の大神は、 執務机に坐ってはいるが支配人には見えなかった。 「どうだったの、講師としての初日は?」 椅子から立ち上がり、此方に歩み寄りながら大神が問い掛ける。 「授業自体に問題はありませんでしたが…、今日は危うく遅刻しそうになって…」 そう言って目の前に立つ大神に、咎めるような視線を向ける。 「でも、間に合ったんだろう?」 「偶々、紅蘭の蒸気バイクの調整が終わっていたから良かったものの…。そのっ、明け方 まで…、朝が早いと判っていて…」 自分で言いながら、顔が赤くなっていくのが判る。 「だって、マリアが可愛いかったから、仕方が無いだろう?」 大神はマリアの抗議を軽くいなしてしまう。 支配人になってから、こういう所ばかりが上手になった気がする。 「本当にもう…」 マリアは諦めた様に、衿のホックを外し溜め息を吐く。 「でも、軍服姿のマリアを見る事になるとは思わなかったよ」 大神の真っ直ぐな視線が自分に向けられている事が判り、慌てて衿を正す。 「これはっ、山口海軍大臣の…」 「うん、判ってるよ」 今回の講師としての出向は山口からの正式な依頼であり、罷りなりにも政府の機関であ る乙女学園に出向するにあたり、民間人では無く形式上だけでも海軍の士官の出向という 形を取りたかったらしい。 「今日は、校長への挨拶もあったので、この服を着ていきましたが、明日からは普通の格 好で…」 「そうなの?マリアのその姿、俺より似合っているのに…。でもマリアだったら、通常の 軍装よりも正装の方が似合うかもしれないね」 そう言われて、華激団総司令就任時の大神の海軍正装を思い出す。派手な金モールの付 いた燕尾服や側章を付けている自分を想像してしまい、慌てて頭の中のイメージを振り払 う。 「一朗さんっ!からかわないでください!」 「いや、マリアは何を着ても似合うと思うんだけれどなぁ。今度、俺の正装を着てみるか い?」 大神が笑いを堪えながら答える。 正装は海軍の士官のみが着用を許されている。准士官、特務士官は正装が無いのを判っ ていて言っているのだ。 「もう結構です」 そう言って横を向く。西日が差し込む窓にカーテンを閉めようと歩き出すが、後ろから 大神がついてくるのが判った。しかしそのまま無視を決め込む。 「マーリアっ」 「……」 「大神マリアさん?」 「……」 「奥さーん」 「……」 「大神特務少尉殿ぉ?」 「何ですかっ!」 余りのしつこさに声を荒げながら振り向くと、大神の悪戯っ子の様な笑顔が眼前に広が って、慌てて身体を逃がそうとする。 しかし、大神の両手に肩を押さえられてしまい、身動きが取れなくなる。 「一朗さん…」 抵抗する様に顔を背けるが、大神は構わず耳元に顔を寄せて、優しく囁いてくる。 「マリアにそういう格好で叱られると、本当の上官にしかられているみたいだね…。俺っ て、どうも威厳とか貫禄ってヤツが足りないらしいからね…」 「そっ…、そんな事は…」 「そうかなぁ?今度、髭でも伸ばしてみたら貫禄が付くかな?」 大神は元来、体毛の濃い方では無い。しかし朝方の剃刀を当てていない時などは、無精 髭が気になる時がある。肌が丈夫でないマリアは、その刺激だけでも紅く跡になってしま う。 「髭は似合わないかな?」 「それは…」 他愛も無い会話の様だが、耳元に響く大神の声からは微かに熱を含んでいるのが感じら れ、その熱が徐々に自分の身体を巡っていくのが判る。 「髭はいや…、です…」 「じゃあ、伸ばさない事にするよ」 大神の腕が腰に廻され、空いた片方の腕で器用にマリアの軍装を解きにかかる。 「一朗さん…」 弱々しいが、何とか抗議を口にする事が出来た。 「正月の着物と違って、今度は慣れている軍服だからね…」 既に第二ボタンまで外されて、蒸し熱い外気が直に肌に感じられる。少しでも大神の手 を逃れようと、肌の露出を隠そうとして、大神の身体に抱き着くように自分から密着させ る。 「誰かに見られたら…」 「見られない様に、カーテン閉めたんだろう?」 「違っ…!」 首元に感じる熱い唇の感触に一瞬言葉を失う。 「ドアだって…」 強く吸われる感覚に、神経の全てが集中してしまいそうになりながらも、僅かばかりの 抵抗を見せる。 「鍵は閉めておいたよ…」 僅かに顔を上げ、それだけ口にすると再びマリアの首筋に向かう。 新しい刺激を感じる度に、自分の身体に紅い、情愛の花弁が刻まれるのが判った…。 花弁が花開く事にマリアの抵抗は無くなっていく。 甘い霞に覆われながらも、マリアは自分の胸元に顔を埋める大神に目を向ける。 少年の様な無邪気な、そして真摯な彼の表情を見ていると、もう何も言えない…。 結婚してから、こういった事が増えた様な気がする。結婚前は、もう少し不器用で真面 目な性格だと思っていたけれど…。 釈然としない感情も残るが、それでも目の前にいる自分の夫に対して、優しい眼差しを 向ける自分…。 『明日も軍服で隠して出向しなければ…』 益体も無い事を考えながらも、マリアは大神に身を任せ、ゆっくりと目を閉じた…。 「それでは、今日の授業は終わりにします」 号令が終わり、各々の話に華を咲かせる女生徒達を背に、黒板を消していくマリア。 出向も残す所あと1日。結局、初日から今日までの間、海軍の第二種軍装で出向を続け た。 始めは違和感を感じていたが、慣れてくると軍服の纏う独特の緊張感が、心地よく感じ た。背筋を伸ばす感覚は決して嫌いなものでは無かった。元々のマリアの性格とも合って いたのかもしれない。 「マリア先生って本当に格好良いよねー」 「うんうん、私もあんな人になりたいわ…」 特別意識しなくても、生徒達の話が耳に入ってくる。気にする様子も無く、マリアは作 業を続ける。 「でも、マリア先生って結婚されてるんでしょう?」 「そうっ!お相手は、帝国華劇団の支配人って話らしいよ」 「本当っ?」 「うん、お姉ちゃんが華劇団のファンだから、確かな話だと思うけど…」 「へぇーっ!そうなんだぁ」 「マリア先生の旦那さんで、帝国華劇団の支配人なんていったら、きっと渋くてダンディ ーな方よねぇ…」 「はぁ…」 少女達は各々の想像を膨らませているようだった。そんな様子を見ていると、可笑しさ が込み上げてしまうマリアだった。 『一体どんな姿を想像しているのかしらね…』 笑いを堪えながら、教室を出ていこうとするマリアに、生徒の一人が声を掛けた。 「あのっ…、マリア先生の旦那様って、どんな方なんですか?」 憧れと期待の宿っている瞳に、一瞬本当の事を言うのを躊躇ってしまうマリア…。 「そうね…、優しくて頼り甲斐のある人よ…」 「そうですよねぇ」 少女はマリアの答えに満足したように、再び妄想の世界に入って行く。 『嘘は言ってないわよ、嘘は…。只、偶に子供みたいな悪戯をしたり、少しだけエッチな 所があるだけで…』 マリアは強引に自分を納得させると、少女の夢に対して僅かな罪悪感を感じながら教室 を後にした。 『早く、早く帰らなければ…』 心の中で焦る気持を押さえつつも、マリアは蒸気バイクのスロットルを開ける。 本日で乙女学園への出向は終わった。本来ならば一週間を振り返りながら、ゆっくりと 家路につく予定だったのだが…。 「一週間、お世話になったご挨拶を、是非帝国華劇団の支配人さんにもお礼を言いたくて …」 少女達の純真な気持ちを断る事は出来なかった。 出向元は一応、海軍という事になっているが、最終的に許可を出したのは帝国華劇団の 支配人である大神だ…。 自分の生徒達がその大神に会いに行くという。 大神の人間性や容姿に問題があるわけでは無い。ただ、少女達の夢を壊さないようにし なければならない…。たった一週間だけだったが、しっかりと彼女たちの先生をしている マリアだった。 『せめて、モギリ服だけはなんとかしなければ…』 先日のデートの時に着ていたスーツが、クリーニングから帰ってきていた事を思い出し ながら、マリアは蒸気バイクを帝劇の車庫に滑り込ませた。 「一朗さんっ!」 ロビーを抜けて支配人室に行く途中で、さくらとすれ違った。 「あっ、マリアさん。大神さんなら調理室にいましたけれど…、そんなに慌てられてどう したんですか?」 「ありがとう、さくらっ!」 そのまま食堂を抜けて調理室に向かう。 ─ボンッ─ マリアがドアを開けようとした瞬間、室内から爆発音が聞えた。 「一朗さんっ!」 勢いよくドアを開けると、モクモクと黒煙が漏れてくる。 「マリア〜っ!」 煙の中からアイリスが飛び出してくる。煤だらけになったエプロンと、顔には白い物体 が一面に付着していた。 とりあえずアイリスの顔を拭き取りながら、室内を見渡す。 「やあ、お帰り。マリア…」 奥の方から同じく酷い状態の大神が歩いてきた。 「一朗さん…、いったい何が起ったのですか?」 「今日でマリアの出向が終わるだろう。だから皆で労をねぎらおうと、アイリスとケーキ を焼こうと思ったのだけれど…」 「ケーキを焼くのに、何故爆発が起るのですか…?」 「生クリームを攪拌しようと、紅蘭の作った泡立て器を使ったがいけなかったかな…」 部屋中に飛び散っているのは、どうやら生クリームらしい。 「さあ、アイリス。お風呂に入ってきなさい」 「ハーイ」 あらかた生クリームを拭き取ったアイリスを送り出すと、マリアは途方に暮れた様子で 室内を見渡す。 「マリア、ひょっとして怒ってる?」 大神が生クリームの入ったボウルを持ったまま、マリアを覗き込む。 「いえ、私の為を思ってやった事ですから…。さぁ、片付けましょうか」 気を取り直して、微笑むマリア。この時点で、彼女は重大な事を忘れているのを気付か ないでいた…。 一時間も片付けると大まかな所は綺麗になった。花組の面々も各々の準備に駆け回って いる。 「ふぅっ、大体片付いたかな?ありがとうマリア」 大神がエプロンに付いた煤を叩きながら、マリアに声を掛ける。 「そうですね、後は明日にでも…。ふふっ、一朗さん、こんな所にもクリームが付いてい ますよ」 大神の頬に付いていた生クリームを、自分の顔を寄せて舌で掬い取る。 「マ、マリア先生…?」 突然開かれたドアの方から聞える声に、錆付いた機械の様に首を廻すマリア。 「あっ、貴方達…」 調理室の入り口には、真っ赤な顔で目を丸くしている少女達の姿があった…。 「先生って事は…、君達が乙女学園の生徒さん?」 「はい…」 「始めまして、帝国華劇団支配人の大神です」 煤だらけのエプロンに、所々顔に付いた生クリーム…。 大神の心からの笑顔も、今のマリアには駄目押しの様にしか感じられなかった…。 こうしてマリアの出向は終わったが、暫らくの間、大神は「モギリ服禁止令」と 「支配人の心得」という題目でマリアの特別講義を受ける事になった。 ただ、その時にマリアが軍服を着ていたかどうかは、二人だけの秘密らしい・・・。 ─FIN─

後書き
Маня様からのリクエスト、「軍服マリア」のつもりなのですが・・・。
アクションどころか、軍服を着る必然性が全く感じられないモノになってしまいました・・・(泣)
最初は凛々しい軍服姿のマリアさん活劇を予定していたのですが、軍服姿でイチャつくマリアっていう自分の煩悩に負けてしましました。
また時間があれば、活劇の方も書いてみたいです。




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