大正〜昭和期の助産婦。
《生い立ち》
岡山県上道郡古都村大字宍甘(岡山市)に、人力車夫の清水留吉と伊勢の長女として生まれた。
家が貧しかったので、小学校卒業後は裁縫塾に通い、14歳で女中、翌年は帽子組み兼女中となって家計を助けた。
やがて、農家の長男東原猪久太と結婚し、3年目に男児を出産したが、大正12年(1923)に協議離婚して子連れで実家に戻った。
《助産婦》
助産婦になるために産婆足助に住み込み、1年間夜学に通った。そこで看護学や産婆学を学んで卒業した。
このころキリスト教の洗礼を受けた。
同13年(1924)農民運動のリーダー山上武雄と再婚した。夫から思想的な教育を受け、助産婦のかたわら婦人部組織開拓に奔走した。
昭和18年(1943)、夫(62歳)と死別した。喜美恵は44歳だった。二人の子を育て上げ、ハンセン病病院、各種地域活動などの奉仕活動を行った。
献体するようにとの遺言して77歳で死没した。
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