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内田 はま子    弘化4年(1847.12.21)11月14日〜昭和11年(1936)3月12日
 明治〜昭和期の伝道師。

 江戸小石川の姫路藩邸で父・烏山小作と母・實の二女として生まれた。10人きょうだいだった。
 元治元年(1864)2月、17歳のとき同藩士・川崎十作と結婚して、夫とともに内田家に入籍して内田姓を名乗った。

 維新後、一時姫路に住んだが、明治7年(1874)再び上京したが、夫が彰義隊に加わったために家禄を失ったうえに、夫に先立たれ、一人娘の恵子を抱えて途方に暮れた。母と一緒に本郷弓町に住んで裁縫などで生計を立てていた。そのころ、キリスト教に接し、母と一緒に徒歩で築地外国人居留地の東京日本基督公会(新栄教会)に出席するようになった。

 この教会はアメリカ長老派教会から派遣された宣教師タムソン博士(Rev.Thompson,David)が明治6年(1873)9月に設立した教会である。教会でアメリカのオランダ改革派教会派遣の宣教師フルベッキ博士(Verbeck,Guido Herman Fridolin)から大人向けの日曜学校の生徒として、親切丁寧に聖書講義を受け、徐々に心の中にキリストの光を認めるようになっていった。

 はま子は、当時8歳になった娘の教育をしたいばかりにフルベッキの紹介で浸礼(バプテスト)教会のアーサー方に住み込み、夫人の助手兼女中になった。8歳の娘・恵子をアーサーの塾に入れた。娘の恵子は、長じて日本基督教会の三浦宗三郎牧師の夫人となった。

 明治8年(1875)11月6日、28歳のとき、アーサー宣教師から日本女性として最初の沈め(浸礼)を受けた。神田川の青々とした土手には藪があり、ところどころに潅木の森があった。川にはときどき小舟が通っていた。宣教師たちと数名の女学生の立会いのもとでアーサー宣教師といっしょに神田川にはいって受浸した。神田川の水道橋とお茶の水の間で、おおぜいの見物人が出て、その中には外国人と日本人女性が心中すると誤解した人もいた。初めて見る人には異様な光景に映ったことであろう。新聞記事にもなったとのことだ。

 翌年の5月14日、アーサー宅で東京第一浸礼教会が設立された。東京における最初のバプテスト教会の誕生である。受洗後のは子まは、キダーのバイブル・ウーマン(婦人伝道師)として東京近郊や水戸、平、仙台、根室などで伝道に従事した。同32年(1899)仙台の 尚絅女学校の舎監として35年間を終生寄宿生のために働いた。尚絅女学校は、明治25年(1892)宣教師ミードによって設立された女学校である。前身は、その2年前にアメリカ・バプテスト教会婦人外国伝道協会派遣宣教師たちが自宅に数名の少女を同居させて宗教教育を行った家塾である。現在は学校法人尚絅学院として発展している。

 はま子は、血族や親族に42名のバプテスト教会員を輩出するほど熱心に家族伝道に尽くした。アメリカのバプテスト派の機関紙に「珍奇」として紹介された。
ちなみに、はま子は組合教会の内田正牧師の養母であり、内田正の姪に海軍少将世良田亮婦人がいる。『植村 一』にはま子の写真とバプテスマ60年を感謝した自筆が掲載されている。実に気品にあふれた笑顔である。『福音』紙が「終わりまで微笑を湛えた童顔で、その笑顔こそ雄弁な福音の証言である」と、はま子のことを記しているが、はま子の写真を見たものは誰でもそのとおりであると納得するであろう。

 89歳の生涯を閉じたはま子の臨終の愛誦はリバイバル聖歌の「えみをたたえて十字架をおいゆけ」であったといわれている。

(注) 使用した文献には「はま」あるいは「はま子」とあるが、ここでは『植村 一』に出ている「はま子」とした。
フルベッキ,G.H.F.

アメリカ・オランダ改革派教会宣教師として安政6年(1859)11月7日長崎に上陸。しばらくは聖公会のウィリアムズ,C.M.と同居。のち同地の済美館の教師、校長。慶応2年(1866)に佐賀藩の知遠館で大隈重信や副島種臣ら秀才の育成。その間、佐賀藩の家老村田らに授洗。

明治2年(1869)太政大臣三条実美の嘱を受けて上京し、開成学校設立を支援、大学南校教頭、政府顧問等を歴任して日本の近代教育に多大な貢献をなした。岩倉具視一行の米欧派遣の建白書の素案を作成したのもフルベッキである。グリフィス,W.E.やジェーンズ,L.L.の招聘斡旋者でもある。

明治11年(1878)官職を辞し、宣教師としての活動に専一献身した。内田はまがフルベッキから聖書の講義を受けたころは、まだ政府の要職にあったことがわかる。が、宣教師としての使命を怠らなかったことも同時に伺える。

出 典 『植村 一』 『キリスト教歴史』 『キリスト教人名』 『日本女性史6』 『キリスト教歴史』 『キリスト教人名』 『女性人名』 『日本女性史6』 
学校法人尚絅学院(http://www.shokei.ac.jp/
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