津田 美歌子 文政11年(1828)4月22日〜明治43年(1910)12月30日 |
明治期の天城教会の基礎作りに貢献した教会員。
「美賀子」とも書くこ。
書記の同志社幹事を務めた加藤寿(ひさし)の実母である。岡山藩士津田蕃利(しげとし)の後妻となった。津田一陣(かずのぶ)の義理の母にあたる。
津田一陣の妻は、天城教会伝道師の津田栄子で、栄子は夫の死後に信仰をもち、献身した。
明治13年(1880)美歌子の家で川越義雄の伝道集会が開催された。これが、岡山県天城教会の礎となった。美歌子は同16年に岡山教会で金森通倫から受洗した。美歌子が天城教会の初穂である。
天城教会伝道当初の指導的役割を果たし、同20年(1887)天城基督教会受洗者試験委員をつとめた。
<やりかけ>
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出 典 |
『キリスト教歴史』 『女性人名』 |
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