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   杉原 錦江     明治21年(1888.11.24)12月11日〜昭和59年(1984)2月11日
 明治〜昭和期のキリスト教会員

<生い立ち> 
 神奈川県大磯町に、商家の小島神五郎・すぎ子の娘として生まれた。
 敬葉学舎に学んだ。

<受洗> 
明治40年(1907)に受洗した。

<結婚> 
 明治42年(1909)、医師の杉原正四郎(明治17年3月10日生まれ)と結婚した。
 正四郎は、独学で医学を学んで医師免許を取得した。
 銀座教会では、明治43年(1910)6月10日、四季会(現在でいう役員会)が開催され会堂建築のための建築委員が選任され、続いて日本メソジスト銀座教会堂建築費募集委員が男女60名が選出された。このなかには錦江も委員のひとりとして選任された。委員に選ばれた錦江は、このときは21歳だったが、教会の働きに終生積極的だった。

 ほかに安藤太郎・文子夫妻、根本正・徳子夫妻、そしてのちに銀座教会伝道師として活躍する平岡龍子が名を連ねている。龍子の夫・佳吉は募金委員となっている。

 教会活動は、献金の額や社会的地位によることなく、神の国建設の信仰心を問われた活動と理解することが正しいだろう。そのなかには、左官職頭の小林梅吉がいる。梅吉は、会堂建築の話が具体的に出た日、すなわち20世紀大挙伝道の感謝礼拝が行われた席上で、この日から会堂の落成の日まで毎日煉瓦一枚づつを寄付します、と申し出て、周囲を感激させ、かつ教会員の信仰と祈りを燃え上がらせた。教会としての姿が如実に目に浮かぶ内容である。彼は、事あるたびに銀座教会の記録に出てくる忠実な教会員として大正14年1月12日に天に召された。

<夫の努力> 
 錦江は、大正8年(1919)、夫のスイス留学に伴い渡欧した。日常の生活を切り詰めて留学費用を捻出したのだった。薬物学をおさめて帰国後、医学博士となった。正四郎はそのとき50歳になっていた。正四郎は晩年までラジオによる英語の勉強を怠ることなく、また銀座教会の福音会英語学校が終戦後再開されると一生徒となって入学した。入学にあたり長年蓄えてきたひげを剃り落とした。それは、正四郎の決意とともに教師に対する心遣いでもあった。

 帰国後、夫妻は銀座教会で客員として礼拝をささげて教会員同様に教会生活を果たしていたが、関東大震災による教会堂再建等の使命を感じて、正式に銀座教会員として転会し、教会のために尽力した。大震災により焼土と化した路傍で遊ぶ子どもらのために大正13年に銀座教会は保育所(託児所)を開設した。この託児所を銀座教会では私立学校法に基づく幼稚園として婦人会が積極的に運営してきた。この経緯を尊重して、昭和4年(1929)6月12日に「こひつじ幼稚園」として東京府に正式に認可手続きを行った。このとき杉原正四郎が設置者となった。

 昭和12年(1937)7月7日盧溝橋事変により、杉原医院の看護婦まで招集される時代となり、こひつじ幼稚園は、国策に合わないためか銀座教会の福音会英語学校とともに昭和16年に閉鎖された。

 杉原夫妻は、昭和16年(1941)4月22日、青山学院で挙式された秋田楢山教会牧師土合竹次郎の結婚(再婚)の媒酌人をつとめた。
そして日本基督教団が成立し、その総会に杉原夫妻はメソジスト教会代表として出席した。

 教会幹事、同婦人会長<昭和20年(1945)度〜昭和41年(1966)度>、日本メソジスト教会婦人事務局員、同局長、日本基督教団常議員、東京教区婦人部委員長、東京神学大学理事などを歴任した。

 昭和23年10月第5回総会選任の日本基督教団役職員及委員一覧には、杉原夫妻の名が出ている。東京教区選出議員として、それぞれ委員に選ばれた。正四郎は財務部の委員、謝恩金委員に
選ばれた。錦江は婦人部の部長、農村伝道特別委員会委員、常議員、5ヵ年伝道委員会委員に選ばれた。任期は昭和25年10月までの2年間。

<夫・杉原正四郎の死> 
 昭和28年(1953)10月10日、死去した。享年68歳。葬儀には新装された銀座教会堂に800余名の参列者があった。
 3月に骨折から端を発した病状がはかばかしくなかったが、7月30日の正午礼拝において新装された教会堂で奨励された。正四郎は、銀座教会の歴代役員名簿に大正14年(1925)〜昭和18年(1943)、昭和23年(1948)〜昭和30年(1955)と記載されている。死没後まで出ているのは、記録の誤りか、特別扱いなのかはわからない。

 錦江は、昭和30年(1955)8月28日、秋田楢山教会で礼拝説教「キリストを得るために」の奉仕をした。講師として招かれた理由は、いまのところ不詳である。日本基督教団成立前では秋田楢山教会が銀座教会と同様にメソジスト教会だったためや、過去に土合竹次郎牧師夫妻の媒酌人をつとめた縁なのだろうか。いずれにせよ、銀座教会と秋田楢山教会は主に繋がっていることに加えていくつかのかかわりが見られる。銀座教会第9代牧師・亀徳一男と、秋田楢山教会第9代牧師・亀徳正臣は従兄弟関係である。

 地域社会においては司法保護司、東京都民生委員、人権擁護委員などをつとめた。

 『銀座教会九十年史』には名誉長老名簿(1980,11,1現在)に錦江(1972−現在)の名が出ている。歴代役員として昭和17年(1942)に就任し、昭和46年(1971)まで記載されている。
 95歳で死没した。
出 典 『女性人名』 『銀座教会九十年史』 『秋田楢山教会百年史』

銀座教会( http://www.ginza-church.com/
東京神学大学(http://www.k-doumei.or.jp/member/tokyoshingaku.htm

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