潮崎 逸野 明治18年(1885)〜昭和48年(1973) |
ホーリネス教会伝道者、医師。
《生い立ち》
島根県出身。
逸野は神学校出身の伝道者であるとともに医師として、とりわけ、安部千太郎とともにハンセン病患者への伝道に献身し、彼らの治療と慰安に尽力した。
<やりかけ>
大正8年(1919)11月28日開催の聖別会のために逸野は、中田重治の妻・あやめと鈴木とともに祈祷会を開き、霊火に燃やされて狂ったようになっていた。手を打つやら、叫ぶやら、盛んなデモンストレーションであった。
鈴木は、元警察官で、聖書学院を卒業後、銚子ヘフジバ・ミッションで働いていたことがある。
逸野は結婚して田中姓となり、夫・田中真三郎と保養園というハンセン病患者の療養所で働いていたところを、恩師・中田重治が室蘭からの帰途、青森に途中下車して、慰問した。 |
出 典 |
『中田重治傳』 |
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