清水安三   明治24年(1891)6月1日〜()1月17日
 大正・昭和期のキリスト教牧師・教育者

《生い立ち》
 滋賀県高島郡新旭町に生まれた。

 大正5年(1916)同志社大学神学部を卒業した。
 


<やりかけ>
北京愛隣館の設立には、林歌子がかかわっていた。
ある年、林歌子が北京を訪れたとき、清水安三が天橋のスラム街を案内したことがきっかけとなり、林歌子は婦人強風会や東洋婦人会に働きかけて寄付を募り、その募金をもって清水安三に天橋愛隣館建設と運営を委ねた。

《ブラジル講演》

 戦後、ブラジルに渡った最初の日本人は、清水安三であり、2番目が賀川豊彦であったと、弓場繁は『ブラジル開拓伝道物語』に述べている。
 安三は、桜美林学園建設資金を得るために、著書『希望を失わず』(1948)を売りさばきつつ講演をするために国内はもとより渡米し、さらにブラジルにも渡ったのだった。ゴヤンベの小野謙蔵牧師の運転する小型トラック、また弓場繁牧師のフォードに便乗した。弓場牧師は、安三のために1月間を運転手として奉仕した。安三は、勝ち組負け組みの騒ぎのなか、平然と中国における崇貞学園を敗戦により失い日本に引き上げ、東京町田市に桜美林学園を建設したことなどを語った。
出 典 『北京清譚』 『ブラジル開拓伝道物語』 『キリスト教人名』