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 柴原 宗助          弘化4年(1968.7.9)5月27日〜明治42年(1909)3月17日


<やりかけ>
 高梁の酒造業柴原家の養子となっていたが、キリスト教に関心を示し、高梁教会設立の日に受洗した。その際に禁酒を決意して酒樽を開いて高梁川に流し、家業を改めて本屋兼雑貨商を営み、文開堂と名づけた。県会議員を務めたり、民権運動に参加するなど、社会運動に関心を示した。

 また、福西志計子が私立裁縫所から興した高梁順正女学校の設立を後援し、初代校長をもつとめた。さらには私立高梁病院の発起人となって地域の発展に貢献した。(1886)からは京都に出て寺町丸太町上ルに撫子書院(書店)を開いたり、岡山に戻って井原町の町長、有漢の村長などを勤めた。井原町には宗助を記念した銅像が建てられたが、第二次大戦中に強制供出させられたために碑文のみが残存。
出 典 『キリスト教歴史』