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岡島 倭子           明治33年(1900)1月8日〜昭和44年(1969)3月18日
 社会事業家

 私立松山女学校(松山東雲学園)で学んだ。松山女学校は、牧師・二宮邦次郎が初代校長として教育に携わったキリスト教主義の女学校である。倭子は、在学中に受洗した。
 
 岡島元七郎と結婚したが、その10年後に夫も入信した。
 昭和6年(1931)〜昭和14年(1939)、夫ともにブェノスアイレスに在住し、そこで内村鑑三、黒崎幸吉、矢内原忠雄らの著書を助けに聖書研究会を開いた。

 昭和18年(1943)、シンガポールに単身赴任した夫は乗船した最後の帰還船阿波丸が撃沈されたために、昭和20年(1945)に死亡した。

 倭子は、生前、農村伝道を志していた夫の遺志を継いで、戦後は兵庫県三木市郊外志染に入植して、山に囲まれた谷間を開墾して愛真農園を開き、また日曜学校を開設した。さながら、フランスアルザスの荒地で伝道と教育に尽くした牧師・オバーリンのように女オバーリンといったところであろうか。

 ひとりの老婦人の入水自殺事件に触発されて、老人ホームの必要を痛感し、昭和38年(1963)に愛真ホームを開設した。愛真ホームは、財団法人信倭会として運営され、次の案内が出ている。

     (福)信倭会 志染愛真ホーム
    【所在地】兵庫県三木市志染町御坂764番16
     【TEL】0794-87-3608  

 倭子は、夫の遺稿・追憶集を編集して『聖旨のままに』(1950)、および長男編集の倭子の遺稿・追憶集『聖旨のままにU』(1979)を出版した。

<やりかけ>
出典 『キリスト教歴史』
http://www.shinonome.ac.jp/shinonome/06about/about.htm
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/sensi-awamaru1.html
http://www.heartful.ne.jp/index.html

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