明治〜大正期の社会事業家。
中原益・幸の娘として山口県に生まれた。
横浜共立女学校在学中の明治9年(1876)11月、横浜海岸教会牧師ジェームズ・バラから受洗した。
同14年(1881)7月2日、二宮安次と結婚。夫・安次は、明治31年に発足した日本禁酒同盟会(会長 安藤太郎)の理事として名を連ねた。
わかは、同14年12月1日、横浜市不老町に貧者のための警醒学校を設立して教師となった。
22年(1889)、稲垣寿恵子と横浜婦人慈善会を創立した。同年、根岸に第二警醒学校を、26年(1951)相沢託児園、横浜慈善病院、神奈川幼稚園を、翌27年にはヴァン・ペテンらとともに中村愛児園をそれぞれ設立した。
32年(1899)警醒学校付属児童教育所を開設して、幼児の教育と経営にあたった。また、神奈川県の幼稚園や日本基督教婦人矯風会のためにも尽力した。
大正10年(1921)方面委員(のち民生委員)となった。
<やりかけ>
|