巌谷 小波 (本名:季雄)  明治3年(1870.7.4)6月6日〜昭和8年(1933)9月5日
 作家。児童文学者としても著名。

 太政官大吏・巌谷修の参男として、江戸麹町武家地三軒家坂上に生まれた。姉に富森幽香がいる。幽香は、伝道師として、また同志社舎監としてキリスト教伝道のみならず女子教育に尽力した。

 小波は、代々の近江国の水口藩医を継ぐべく男子に必須の教養として、父・修からは大学や中庸の句読を、文学好きの祖母からは和歌や俳諧、さらに梅若・金剛などの能舞台の鑑賞を鍛えられた。また、ドイツ語を松野クララに学んだ。

 明治10年(1877)、訓蒙学舎に入学。明治13年(1880)にドイツ留学中の長兄・立太郎から、ドイツ語の勉強にと贈られたオットー(Otto,Franz)のメルヘン集から大きな影響を受けた。そして、メルヘンとともにドイツ語を通じてキリスト教にも開眼した。シュピンナー,W.とヘーリング,O.のドイツ語を通訳するために番町(富士見町)教会に出席し、明治25年(1892)5月29日に受洗した。

 番町教会は、明治18年(1885)冬に、小崎弘道と湯浅治郎が森為国に土地選定と建築を依頼して、麹町区中6番地を選定し、翌年の4月に番町講義所を開設し、11月に番町教会として設立式を挙行した。初代牧師には東京第一教会牧師・小崎弘道が兼任した。明治20年(1887)6月、小崎は番町の専任になるため東京第一教会(のちの霊南坂教会)を辞任し、11月12日に牧師就任式を番町教会が挙行した。

 
<やりかけ>
出 典 『キリスト教歴史』 『番町教会』 『女性人名』 『同志社通史編二』