最初のもくじに戻



ガントレット 恒    明治6年(1873)10月26日〜昭和28年(1953)11月29日
 明治〜昭和期の社会運動家。恒子とも書く。

 愛知県碧海郡箕輪村(安城市)に生まれる。父は山田謙造、母は久。弟に音楽家の山田耕筰がいる。
 恒は、救ライ事業に生涯を捧げた牧師であり、医師であった叔父の大塚正心かね(母の妹)夫妻の感化で早くから信仰と社会事業に目覚めた。

 叔父の勧めで明治11年(1878)英女学家塾(桜井女学校)に入り、桜井ちかの薫陶を受ける。のち女子学院において矢嶋楫子に学び、前橋共愛女学校に赴任。

 同31年エドワード・ガントレットと結婚。法的手続きをして英国籍を取得した我が国最初の事例となる。のち夫とともに日本に帰化して「岸登恒」とも称した。

 34年から夫の任地岡山および山口に16年間居住し、6人の子を育てながら宣教師の通訳として伝道に協力した。のち上京して、桜井英語専門学校、東京女子大学や自由学園で教鞭をとりながら、日本基督教婦人矯風会の活動に携わり、婦人更正、廃娼運動に尽くした。久布白落実守屋東とともに三羽烏と呼ばれた。

 大正9年(1920)ロンドンで開催された矯風会万国大会に出席し、ジュネーブの婦人参政権協会の大会にも出席、帰国後婦人参政権協会の設立に尽力した。

 昭和21年(1946)矯風会会頭に就任。婦選獲得運動、平和運動に貢献した。昭和9年から同11年まで続いた汎太平洋婦人会議で会長に選ばれ、のちに名誉会長に推された。

80歳で死没。著書に『七十七年の思ひ出』がある。

<やりかけ>
出典 『七十七年の思ひ出』 『キリスト教歴史』 『女性人名』
共愛学園高等学校 http://www.hs.kyoai.ac.jp/
山田耕筰 http://www.kt.rim.or.jp/~hy01-jmd/
歴史が眠る多磨霊園 http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/gauntlett.html
女子学院 http://www.joshigakuin.ed.jp/