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 青木 澄子  天保11(1840.1.13)年12月21日〜大正11(1922)年2月1日

 明治・大正期のキリスト教伝道師。

 江戸八重洲海岸で、父・伊勢国長島藩士青木孫七、母・富子の子として生まれた。

安政2年(1855)に、健之助を婿養子に迎えたが、明治11年(1878)に夫と死別した。あとに幼い4人の子どもと老母が残されたため、澄子は独力で商売を始めた。しかし、二度の火災に遭うなどして苦難をなめた。

 そうした境遇もあったのか、知人にキリスト教の入信を勧められた。最初は否定的であったが、信仰に頼らなければ子どもたちの教育は困難であると悟り、同12年(1879)築地の新栄教会タムソン,D.から受洗した。

その後、キリスト教伝道を志してトゥルー,M.T.が伝道にあたっていた新栄教会の本郷東片町、本郷森川町の両講義所で働いた。

 尾嶋真治ら地方出身の学生の出入りが多かったので、母親代わりとなって彼らの世話をした。のち本郷教会で30余年間伝道活動を続け70歳を超えたころに伝道界の現役を退いた。

 晩年は、かつて世話をした有志たちから新宿柏木に建てた家を贈られた。寄贈を受けた家で毎日曜日には子どもたちを集めて日曜学校を開いた。

 83歳で死去。墓地は青山霊園にある。

新栄教会
(日本基督教団)
東京で組織された最初の教会。
アメリカ長老教会宣教師タムソンによって明治5年(1872)夏に東京伝道が開始された。
タムソン,D.
1835.9.21-1915.10.29
文久3年(1862)、アメリカ長老教会伝道局から派遣。
トゥルー,M.T.
1840.12.17-1896.5
アメリカの清教徒の流れをくむ敬虔な家庭で育つ。夫の海外伝道の遺志を継いで、明治7年(1875)、来日。東京の京橋(巣鴨)で伝道を開始。伝道のかたわら新栄女学校、桜井女学校などの発展に寄与した。矢嶋楫子に授洗。

尾嶋真治

1867.10.24-1951.6.18

江戸生まれだが、父の郷里山梨で過ごす。やがて上京して東京一致神学校に入学。本郷教会に籍を置く。青木澄子の世話になった教会である。

牧師としても本郷教会に赴任したが、間もなく辞任して自給伝道を開始。昭和16年の日本基督教団設立の際は、信条を異にするとの理由から、日本的キリスト教を主唱して日本基督会を創立。主として山陰地方の伝道に励む。

出 典 『キリスト教歴史』 『本郷教会史』 『信仰三十年基督者列伝』 『女性人名』
日本基督教団本郷教会(http://members.jcom.home.ne.jp/uccj-nishitokyo/01/01208_hongo.html#head