明治・大正期のキリスト教伝道師。
江戸八重洲海岸で、父・伊勢国長島藩士青木孫七、母・富子の子として生まれた。
安政2年(1855)に、健之助を婿養子に迎えたが、明治11年(1878)に夫と死別した。あとに幼い4人の子どもと老母が残されたため、澄子は独力で商売を始めた。しかし、二度の火災に遭うなどして苦難をなめた。
そうした境遇もあったのか、知人にキリスト教の入信を勧められた。最初は否定的であったが、信仰に頼らなければ子どもたちの教育は困難であると悟り、同12年(1879)築地の新栄教会でタムソン,D.から受洗した。
その後、キリスト教伝道を志してトゥルー,M.T.が伝道にあたっていた新栄教会の本郷東片町、本郷森川町の両講義所で働いた。
尾嶋真治ら地方出身の学生の出入りが多かったので、母親代わりとなって彼らの世話をした。のち本郷教会で30余年間伝道活動を続け70歳を超えたころに伝道界の現役を退いた。
晩年は、かつて世話をした有志たちから新宿柏木に建てた家を贈られた。寄贈を受けた家で毎日曜日には子どもたちを集めて日曜学校を開いた。
83歳で死去。墓地は青山霊園にある。
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