C52(8200)
その当時世界的に流行していた3シリンダー機を日本でも開発すべく、3シリンダー機8200(後のC52)をアメリカのアルコ社に大正14年に6輛発注しました。給水加熱装置を8200〜8202の3輛はウォーシントン式、8203〜8205の3輛をエレスコ式としています。機関車本体だけの発注で、テンダーはD50と同じ20立方のものを使用していました。性能試験結果は上々で、勾配区間では18900(後のC51)の約3割増しの重量を牽引することができました。火床面積が3.80平方メートルと大きく、その当時の日本人の体型では手による投炭能力には限界がありました。グレズリー式弁装置部分に、シンダー取り出しの際にシンダーが詰まってしまう可能性がある、ということから、前面に鉄製のカバーが取り付けられ、大きく外観を損ねました。昭和3年の形式称号規定により、C52となりましたが、国産の3シリンダー機、C53の増備と共に活躍の場が狭まり、昭和7年には全機休車となってしまいました。昭和9年にC52全機は心機一転、大改造を受け、火床面積を3.25平方メートルに縮小、各部(コンプレッサー、給水ポンプ、汽笛など)を国産部品に交換され、瀬野ー八本松間での後部補機として活躍しました。
Nゲージとしては、マイクロエースから発売されています。