新エッセイの部屋

 第 35 回  季節外れの桜( H20年7月21日 )

  桜ちゃんと名付けられた女の子が誕生したのは、今年の1月のことです。

  5ヶ月後、初孫となるその誕生を待ちわびていた桜ちゃんのお祖母ちゃんにあたる我が友は逝きました。20年も

 前にいわゆる公園デビューで知り合ったお仲間でした。

  私より年下であるにもかかわらず、しっかりした性格の彼女からは、たくさんのことを教えてもらいました。どこか

 に出かけるにしてもリーダーシップを執って引っ張ってくれたのは、彼女でした。

  また、自営業のご主人と共に時間を見つけては花を見に

 車で出かけるのですが、その折にもよく声を掛けてくれまし

 た。お言葉に甘えて度々便乗させてもらったものです。

  そういう思い出の一つ一つが蘇ってきて、今でも時々、
 
 お誘いの電話が来るような錯覚を持つことがあります。

  病気のために彼女の言葉が聞き取りにくくなってしまった

 とき、どんなふうに対応したらいいものかと戸惑いました。

   人は誰もいつかは老い、死を迎える。それは充分わかっているのですが、自分よりも若い友がその宣告を受

  け、厳しい現実を受け入れようとしている。そのことに畏敬の念を覚えました。

   彼女の生命がいよいよ危ないと知った日、それは彼女にお孫さんが誕生したことを人づてに聞かされたとき

  でもありました。彼女のために何かしたい。けれど病気のため、すっかり痩せてしまったという彼女に会うのが

  忍びなくて、歩いて10分程の道のりを訪ねて会いに行くことがためらわれました。それで読書が趣味だった彼

 女に本を贈ろうと駅前の書店に出かけました。

  お孫さんのための絵本と彼女には薔薇を美しい水彩で描いた画集を買い求めて郵送しました。ほどなく礼状が

 届けられ、そこには手書きの文字に添えて薔薇の絵が描かれていました。私が知る限り、初めて目にする彼女

 の水彩画でした。

  短い文面の最後には、何かで読んだものという断り書きが添えられて、こんな文章が綴られていました。

 「今の自分にできる事、やりたい事に集中して生きたい。平気でにこやかに。

         人間は生まれ、人間は生き、人間は死んで行く。それはとても重い。」

  この手紙を手渡しで届けてくれたのは、彼女のご主人でした。

  「もう点滴でしか栄養をとる事ができない状態なのに、まだ台所に立とうとするんだよ。本当に強情なんだ

 から・・・・」

  そんな状況の中でこの手紙も書かれたのでしょうか。今の自分にできる事、その中に家族のために台所

 に立ち、私への手紙もしたためられたのだとしたら・・・・

  私は彼女からのメッセージをしっかりと受け止めて、与えられた人生を彼女の分も大切に生きなければ、

 いけないのだと直接語りかけられたように思えたのでした。

  彼女が逝って一月以上が経った或る日、外出先で思いがけずご主人と出会いました。乳母車を押して

 いて、その中には柔らかなおくるみに包まれて、眠っている可愛らしい赤ちゃんが・・・

  「桜ちゃんだよ」 と教えられて覗き込むと、気配を感じたのか、むずかりはじめました。そっと視線をそ

 らし、ご主人と短い会話を交わしてその場を離れました。振り返るとそこにはじっと桜ちゃんを見つめてい

 るご主人の姿がありました。

  帰宅した私は、どうしても描いてみたい衝動に突き動かされるようにして、季節外れの絵を描きました。

 そう、桜の絵です。もう何年も前の事になりますが、ご夫妻と桜談義の中で私が「桜をつぼみの頃から

 じっくり観察して描きたいのだけれど、ついうっかりしているうちに満開になってしまう。そのたびに、ああ

 残念って思うんです。」と何気なく言った事を覚えていて下さって、ご主人が自宅の敷地に植えられている

 桜の木の枝を担いで持ってきて下さったのです。背丈が1.5m程にも達し、ちょうどつぼみがふくらんだ

 頃を見計らってのことでした。

  そんな記憶も蘇って、桜ちゃんの可愛らしさに後押しされたこともあり、季節外れの桜を描きたくなった

 のです。お二人への感謝の気持ちを桜に込めたいという気持ちがそうさせたと自分では納得しています。
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