三人吉三 真女形のお嬢吉三 2004.2.14

11日、歌舞伎座夜の部を見てきました。

主な配役
和尚吉三 團十郎
お坊吉三 仁左衛門
お嬢吉三 玉三郎
おとせ 七之助
十三郎 翫雀
伝吉 左團次
源次坊 市蔵
八百屋久兵衛 吉弥

三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)のあらすじ
両国橋西川岸の場
ここ隅田川の川岸に、木屋文蔵の手代十三郎がとぼとぼとやってくる。十三郎は昨晩、売った脇差の代金100両を懐に持ったまま、声を掛けてきた夜鷹と遊び、その時金を落としてしまったのだ。

もしや夜鷹が拾ったのではと思い、探して歩いたが見つからず、死ぬより他ないと決め川に飛び込もうとするが、それを通りかかった土左衛門伝吉が止める。一部始終を十三郎から聞いた伝吉は「その夜鷹は自分の娘で、金は娘が拾って持っている」と言い、十三郎をうちへ連れて帰る。

この先はこちらをご覧下さい。

 

河竹黙阿弥の傑作「三人吉三巴白浪」は、1860年に市村座で「三人吉三廓初買」(さんにんきちさくるわのはつかい)の名題で初演されました。八百屋お七の世界を踏まえた芝居で、お嬢吉三はお七、お坊吉三は吉三郎、そして和尚吉三は二人の取り持ち役の弁長の見立てになっているのだとか。

だからこそお坊吉三とお嬢吉三が吉祥院の場で、突然まるでホモセクシャルの恋人同士のように登場しても不思議はないのだと納得。

それから和尚吉三は大川端で「根が吉祥院の味噌すりで弁長といった小坊主さ」と名乗っています。この弁長という名前、どこかで聞いた名だと思ったら、昨年秋にやった「松竹梅湯島掛額」通称「お土砂」の紅屋長兵衛、あだ名が「べんちょう」。

お七と吉三郎のために、お土砂をふりかけては人をフニャフニャにして活躍する道化役と、この美しくも陰惨な芝居の主人公が同じ人物の見立てとは、黙阿弥のイメージの豊かさをつくづく感じます。

初演時の和尚吉三は小団次、お坊吉三は若き日の九代目團十郎(当時河原崎権十郎)、そしてお嬢吉三は当時立役をほとんどやったことがない岩井粂三郎。

―黙阿弥はこのやさしい、お姫様役や町娘、美貌の妻や妾の役を演じては右に出るものはないといわれた真女形に、あえて女装の剽盗を演じさせ、両性具有者の倒錯的な、<狂える美>の創造をもくろんだ。―(服部幸雄著:歌舞伎歳時記より)

今回玉三郎の演じるお嬢吉三を見て、黙阿弥が思い描いたお嬢吉三のイメージがわかるような気がしました。

まず大河端で出てきた玉三郎のお嬢吉三はみるからに楚々としたお嬢様で、「八百屋お七」だと名乗ります。同じく名乗ったおとせがうっかり百両の金を落とし、金のことを話してしまうことからお嬢様は強盗に変身。この辺がとてもわかりやすくてよかったです。先月の浅草のやり方ではいきなり金に手をだすので「どうしておとせが金をもっていることを知っていたんだろう」と不自然に思えてしまうからです。

「月も朧に白魚の・・・」の名科白は半ば淡々と、けれど要所要所はたっぷりとやっていました。しかし杭に片足を掛けることで着物の裾がみだれるのをとても気にしているように見え、やはり真女形にとってあの格好は抵抗があるのかなと思いました。

お坊吉三とのやりとりで「問われて名乗るもおこがましいが」の後に「去年の秋から七役や、悪婆をやってはみたものの」というような珍しい台詞を入れていましたが、いきなり「効かぬ芥子と悪党の凄みのねえのは馬鹿げたもの」と続くよりずっと筋が通って良かったです。

土手の上は狭いためか、お坊吉三との立ち廻りもぎこちなく見えましたが、吉祥院の場で天女に化けていた欄間から降りてきた後はふっきれたように足も外輪、遺言を書く時も立てひざで、そのとき脹脛がちらりと見えるのが色っぽかったです。

この場の玉三郎の女のものとも男のものともいえない不思議な魅力には引き込まれます。最後の火の見櫓の場での綱やはしごを使った激しい立ち廻りも意欲的で、玉三郎ならではのお嬢吉三の美しさを存分に堪能させてくれました。

お坊吉三の仁左衛門は、籠のたれをあげた時の横顔からして水も滴るようないい男。ただ声が少ししゃがれていたのが心配です。吉祥院でお嬢吉三と死ぬ決心をかためるところでは科白のうまさを聞かせました。

最後の火の見櫓の場に、お坊吉三は本花道、お嬢吉三は仮花道から、むしろで顔を隠して出てくるのですが、尻っぱりょした仁左衛門の足が、これまた女性の足より優美でした。

花道七三で振り返ってむしろを広げた瞬間のその顔。「累」の与右衛門のような凄みと色気がある良い顔です。

二人の割り科白も仮花道があると面白さが倍増。今月仮花道が設置されたのは、まさにこの場面のためでしょう。

和尚吉三の團十郎、大川端の場では背中に大きな海老の紋が入った半纏を着て出てきて、花道七三での足を前後に開いた見得は、どっしりとしていてさすがに立派です。

お坊とお嬢の二人の間に入って止める時の腕の高さが先月の舞台の獅童や男女蔵より高目ですが、本当にきれいに決まっていました。團十郎の和尚吉三はやはり当代一だと思います。

世話物をやるとき團十郎は時として「あ〜」という音が科白の前に挿入されるのが気になりますが、この役は完全に手の内に入っていて、全く余計な言葉は聞こえず良かったです。

吉祥院の場でちょっとしたハプニングがありました。和尚吉三が殺そうと決心したおとせと十三郎に「裏の墓場でまっていろ」というところを「裏の酒場で」と言ってしまったのです。聞いているほうはギョッとしましたけれども、あわてずにすぐ言いなおしたので、何事もなかったように続行し、やれやれでした。

伝吉の地獄宿の夜鷹たちが三人吉三の鸚鵡をやるところでは、升寿、京蔵、守若の三人がいきのあった芸を見せてくれました。

その他には時蔵の「仮初の傾城」と三津五郎の「お祭り」の舞踊でした。いなせな「お祭り」でしたが、おかめとひょっとこのお面を使ったのは初めて見ました。以前見た「大原女」が良かったことをふと思い出しました。

この日の大向こう

休日のためか、たくさんの声が掛かりました。大向こうの会の方も5〜6人は見えていたそうです。

「月も朧に白魚の」の前には数人の方が「まってました」とかけられました。このお芝居では玉三郎さんにも掛け声が頻繁にかかりましたが、全く違和感はありませんでした。

「お祭り」の「まってました」もたくさん声が掛かりました。、一人遅れて女の方が「まってました〜」と掛けられたのはちょっと悪目立ちしましたが、三津五郎さんが「待っていたとはありがてえ」と、がっしりとおおらかに全ての声を受け止めてくれたので救われました。

 

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